アゲハチョウが猫の手に舞い降り、鍵のないドアで魔術師がアクエリを飲む
世界を平面にする。
父親に言われたこの一言が俺の人生を変えた。ついでに、父親の評価が『無口だが実直』から『頼むからネットから離れろ』にも変わった。
便利屋猫の手。
今は亡き父親から引き継いだ雑居ビルの一室の事務所兼自宅が俺の全てだ。
オフィスの奥の自室は1Kの猫の額ほどのスペースしかない。俺はソファーベッドから起き上がり、昨夜の飲み残しのコーヒーをがふりと飲み干した。
カーテンで目隠しした自室とオフィスを隔てるドアを、ぽりぽり腹をかきながら押し開く。
人がいた。
オフィスの中央、机を挟んで向かい合わせに配置した黒のソファーに、その女は自分の部屋かのようにくつろいで腰掛けている。
細くしなやかな体躯に、黒の網タイツで覆われた脚をモデルのように組んでおり、人目を惹くエキゾチックな雰囲気をまとっている。
唖然とする俺に、彼女の黄色と黒の斑の虹彩の瞳が向けられる。
俺は会釈して、彼女の向かいの席に腰を下ろした。
「鍵、かけてませんでしたっけ」
彼女は俺の問いかけに、じろりと睨み返してきた。
「ワタクシ、こちらの便利屋猫の手の営業時間の午前10時にお訪ねしましたのよ」
「はぁ」
事務所の時計をみると午前3時で止まっていた。2週間前から電池を変えてなかった。スマホをみると午前11時だった。
彼女は、俺の気の抜けた返事を受け流し、続ける。
「ところがノックをしてもお返事はなく、それでも5分と30秒、何故営業時間になっているのにお会いできないのか考えて待ちましたのよ。待っているうち腹が立ってきまして、つい、ドアを強く押してしまいましたの」
「そしたら、開いたと」
職業柄、施錠だけは厳重にしていたのに。見た目は蝶でも中身はゴリラだったか。
「お茶でもいただけませんこと」
俺は何か釈然としない気持ちながら席を立ち、オフィスの隅の冷蔵庫を開いた。
豆腐と豆板醤しかなかった。麻婆豆腐すら作れない。
俺は黙って彼女のいる応接スペースに戻った。すると、良いものを見つけた。
「粗茶ですが」
ペットボトルの常温コーラ。
「国と時代によっては手打ちモノですわね」
「アクエリもありますが」
彼女は黙ってコーラのペットボトルを手に取り、蓋を開け、ごくごくと飲み始めた。
自分で勧めといてなんだが、よくぬるいコーラをぐいぐい飲めるな。
サブスク映画の途中に挟まれる広告をみるように、ぼーっと脳みそを使わずに彼女を眺める。
かすかに見える白い喉が上下し、ペットボトルを握る手先は竹細工の工芸品のようだ。
なんてことを思っていたとき、異変に気づいた。
ペットボトルに水滴がびっしりついている。まるで冷蔵庫でキンキンに冷やしたあとであるかのように。
あぁ、やっぱりこっち側か。
俺は対お客様用のスタンスを止め、ふかーくソファーに背を預けた。
彼女はコーラを一気飲みし、音もなく机に置いた。
「次はゼロシュガーでお願いしますわ」
「砂糖を気にするならコーラを控えては」
ほほほ、と彼女が笑う。
「身体に悪いのでは、とビクビクしながら飲むコーラが一番おいしいですわ」
俺は空のペットボトルをゴミ箱に放り投げた。外れた。ついてないな。
「で、何の御用で」
俺は半ば覚悟を決めて尋ねた。
彼女はモデルみたく足を組み替え、少し前のめりに俺を見つめる。普段なら胸チラでもしないかとか期待するが、今はカマキリの前のテントウムシの気分だ。捕食者の気分で如何様にも事態が変わる。
彼女は、にこっと、国を傾けるような絶世の笑顔を浮かべた。
「貴方の願いを叶えて差し上げますわ」
今は亡き父親の言葉が浮かぶ。
風邪と美人には気をつけろ、と。
おかげで生まれてこの方風邪は引かなかったが、美人ばかりはどうしようもない。なにしろ主導権は向こうにあるのだから。
「お断りします」
俺はせめて虚勢に見えぬようと淡く期待して、端的に答えた。この手の誘いにろくな事はない。
彼女は意外とばかりに目を見開く。瞳の虹彩が、暗く重く、それでも夜空の星のようにキラリと光る。
「何故ですの」
「そんな申し出を受ける理由がない」
俺は背をソファーにべたりとつけ、両手を横に広げた。少しでも大人物にみえるよう振る舞ったつもりだが、どうしても小物感が出てしまう。
彼女は、わざとらしくはぁ、とため息をついた。出来の悪い生徒が、アホな質問をしてきたときの教師みたいに。
「昨夜、貴方が半歩足をずらしたからです」
これでどうだ。とばかりにドヤってきた。
昨夜。俺は記憶を掘り起こす。
「昨日は酒が足りなくなってコンビニで酒を買ったな」
ん、そういえば帰りに犬のフンがあって「危ねえ」ってなったな。まさか。
「口に出したら怒りますわよ」
彼女がぴしゃりと冷たく言い放つ。
ナチュラルに思考を読みやがった。俺は素直に何か心当たりがないか、記憶を探る。
あ。
犬のフンを避けたあと、飼い主のマナーに内心文句をつけながら歩いていて、危うく芋虫を踏みかけた。夜なのに珍しいなと思って、事前に気づくことができて、避けられた。
彼女が満足げに微笑む。
「あのときの芋虫が、あんたか」
「違いますわ」
ソファーからずり落ちる。
「貴方が半歩ずらしたお陰であの方は生き延び、アゲハチョウになり、子を成し、そしてその子がまたアゲハチョウになり。何度も繰り返した後、そしてワタクシたちに至ったのですわ」
「トカゲが恐竜の末裔の逆バージョンみたいなことか」
彼女が眉をひそめる。あまりこのたとえお気に召さなかったらしい。
「てことは、あんた、アゲハチョウなのか」
「貴方、他人に『貴方のご先祖は猿ですね』と言うのですか」
俺は肩をすくめて返事のかわりにした。
「でも、あんたのご先祖サマはまだ芋虫だろ。なんでその子孫が今ここにいるわけ」
「説明しても構いませんが、フランス映画くらい難解ですわよ」
「じゃあいいや。ドラえもん的なタイム・トラベルだと思っとくよ」
彼女は、ご自由に、となかばあきれ顔でひらりと手をふった。
「つまり、ワタクシはご先祖様を救ったお礼に来たのですわ」
「それはそれはケッコウなことで」
俺はどうしたものかと、常温のアクエリをごくりと飲んだ。運動してないのに飲むスポーツドリンクはうまいな。
彼女は、キラキラした瞳で、堂々とソファーに座っている。お礼に来た、という態度には見えない。
コンコン。ノックの音が。
俺は正直驚いた。2人も飛び込みの客が来るのは事務所開設以来初めてだ。
俺がチラと彼女みると、彼女はどうぞとばかりにドアに手を差し伸べた。来客用のソファーから立ち上がる気はないらしい。
「お客様ですわよ」
「いや、来られても困るんだよ」
「便利屋でしょう」
「看板だけ。一見さんお断りなの」
「老舗料亭じゃあるまいし」
あーだこーだ言い合っていると、「失礼しまーす」とおずおずとドアが開かれた。忘れてた。この蝶ゴリラに鍵破壊されてたんだった。
止める間もなく、そっーと顔を覗かせてきたのはショートカットの女子だった。中学生か高校生か、この年代の年は分からない。
「蝶ゴリラってなんですの」
「いまはいいから」
彼女を手で制して、俺はドアに顔を向け、精一杯不審者と思われないよう口角をあげてみせた。
俺が何か言葉を発する前に、ショートカットの女子が彼女をみて「うっ」と仰け反る。
「めちゃ可愛い」
女子の黄色い声に、彼女が立ち上がり、胸を張る。
「どうぞこちらへ」
「可愛くて丁寧なバケモンじゃん」
「おかえりください」
「待て待て」
ショートカットの女子に詰め寄ろうとする彼女をなんとか手で押しとどめる。
「悪いけど、キミ、今取り込み中でね」
「えーなんでこんなバケモンがここにいるの。見てよ、鳥肌止まんない」
女子が細い腕を俺に差し出す。確かに鳥肌が立っている。
「キミ、何か視えるの」
キャッキャとひとりではしゃぐ女子と、バケモノ呼ばわりされてむっつり膨れる彼女に挟まれ、俺は頭痛がし始めた。
女子は、屈託なくケタケタ笑い、彼女のふくれっ面など、どこ吹く風だ。
「どうしよかっかなーって考えながら歩いてたらさぁ、このビルのこの階がカーって爆発したんじゃないかってくらい光ってみえて、あれ、オーラってやつしょ、で、コレだ、ってぴんってきてー、んで、来たの、当たりじゃん、ウチ、見る目あるっしょ」
「句点使ってくれ」
「オーラ見て、悩み解決、オッケーマル」
「もういい」
要するに、彼女の桁違いの「オーラ」を視て、自分の悩みを解決できる人がいると思ったらしい。
俺の仕事の範疇になりそうだ。なのに、全く嬉しくない。
一方の彼女は、褒められたことに気を良くしたのかソファーに座り満足気に腕を組んでいた。
「隠しておりましたのに、ほんの一瞬気を抜いた瞬間を逃さないとは、この時代の人間にしては中々の眼力ですわね」
「あぁ。腹立って鍵ぶち壊したときか」
彼女がジロリと俺を睨む。ショートカットの女子は「人間だって。ウケる」と能天気だ。
俺はもうどうにでもなれという投げやりな気分になってきて、彼女の対面のソファーに再びぼすんと腰を下ろした。ショートカットの女子にも、彼女の横に座るよう促す。
俺の眼の前にはアゲハチョウの子孫と視える女子がいる。1時間前の俺に見せてやりたいような光景だ。
俺は空になったアクエリのペットボトルをゴミ箱に放り投げた。くるりと回転し、今度はすとんと収まった。ついてる、のか。
俺はため息をついて、2人に向き合った。
「まずは自己紹介からだ。学校で習ったろ」
彼女と女子が互いに向き合い、計ったように俺を指差す。
「平家物語の『平』に、数字の『一』で、タイラハジメだ」
「字画が多いとお亡くなりになる呪いでもかけられたのですか」
「クラスで一番早く漢字で名前書けたっしょ」
こいつら、揃って馬鹿にしてやがる。
ただ、この手の反応は慣れっこなのでハイハイと受け流し、彼女に視線を向けた。
「名前、そうですわね。せっかくですので、この時代に合ったものにいたしましょうか」
「ゴリラゴリラゴリラはどうだ」
「鍵を壊したことをそんなにネチネチ仰るなら直して差し上げますわ。ついでに貴方の口の蝶番も」
「悪かった。冗談だ」
いよいよ殺気だって来たので素直に謝る。美人が怒るととんでもなく恐ろしい。
彼女が座ったまま手を上げ、ぱちんと指を鳴らすと、カチカチと金属の触れる音がした。鍵が直ったんだろう。
「すげー。アゲハ姐さん」
ショートカット女子が手をぱちぱちと鳴らす。鉛筆回しが出来たくらいのテンションだが、もっと驚くべきではないだろうか。
「貴女、どうして「アゲハ」と」
彼女が首を傾げる。俺も同じことが気になった。
「え、だってアゲハ姐さんの目、アゲハチョウの模様みたいでチョーきれいだったから」
彼女がじっとショートカットの女子を見つめる。黄色と黒の斑色の瞳。
やがて、彼女はニコリと笑った。思わず心臓が飛び上がるような笑顔だった。
「素敵ですわ。揚羽蝶の『揚羽』に、『舞』うで、アゲハマイと致します。どうぞよしなに」
揚羽がふふん、と顔を晴れ晴れと上げて名乗る。
『アゲハ』って漢字でどう書くんすかと呑気に尋ねるショートカット女子の手のひらに、揚羽が指で「こうですわ」となぞっていた。
「あ、ウチはトクガワチヨ。徳川家康と千年の代で、徳川千代。華のJKっす、よろしくねー」
賑やかな事務所。人の声がこんなにも室内に響き渡るのはついぞなかったことだ。
俺は、しかし、トントンと指先で机を叩き、少し前のめりで徳川と向き合った。さぁ、ここからだ。
「徳川さん、さっき悩みがあるとか言ってたね。『猫の手』は便利屋だが、猫も杓子もなんでも来いってスタンスじゃあない。依頼を受けるかどうかは、俺が決める」
真面目な雰囲気を察したのか徳川が居住まいを正す。それでも人懐っこい笑みは絶やさないのだから本質が明るいのだろう。
「うん。ウチはこんなだけど、悩みはマジだよ」
「聞かせてくれ。『猫の手』に何を依頼したい」
徳川の笑みが、瞬間曇るのを俺は見過ごさなかった。それでも徳川は笑った。でも、明るい笑顔ではない、無理やり繕ったような、ツクリモノの表情。傷を隠すために、無理やり覆いを被せたような顔だ。
「叔父さんを殺して」
俺は、予想外の返答に内心動揺しながら、それでも表情は動かさなかった。この手の依頼が無いわけではない。だが、同じ言葉でも、根明のハツラツした女子が発すると、妙な重みがある。
「悪いが、俺は殺し屋じゃない」
「うん、でも多分平さんとか揚羽姐さんみたいな人じゃないと無理なんだ」
「それは、何故」
俺はちらりと揚羽を横目で見た。揚羽は真顔で、じっと横から観察するような視線を徳川に向けている。
「叔父さんは、魔法が使えるの。あ、言い方はなんでもいいんだけどね、超能力とか呪術とか。だから、フツーの人じゃ無理。たぶん、ゴルゴ13でも、ね」
徳川は言葉の締めで疲れたような笑みを浮かべた。
俺はソファーに背を預けた。
これで仕事を受けるの条件の一つ『超常現象絡みであること』は満たされた。あとはもう一つ。
「安くないぞ」
俺は机の上のメモに金額を書き、徳川に用紙を見せた。
「これは前金だ。成功したらその金額の倍もらう」
徳川はメモをじっと見つめている。高校生がどんなに頑張っても不可能な金額だ。いや、この国の国民の9割が支払える金額じゃない。
徳川は「そっかー」と呟き、すぐにふらりと立ち上がった。
「ちょっと席外しますねー」
そう言い残してドアから出ていった。
徳川がいなくなった事務所は、なにかヒンヤリした空気に包まれた。
俺も揚羽も何も言わない。止まっているはずの時計の針の音が恋しくなるほどの沈黙と、時間が流れた。
「よいのですか」
徳川が出ていってから数十分程経ったか、揚羽が唐突に口を開いた。声はすこし聞き取りづらい。
俺は、ソファーから立ち上がりインスタントコーヒーを探すために、棚を漁った。
「ふっかけたからな。諦めてくれりゃあそれでいい」
高校生が殺しを依頼だなんて、いくら『超常現象絡み』で『十分な報酬がある』という条件さえ満たせば何でもしてきた俺でも良い気はしない。
「いえ、そうではなく」
揚羽が何か言いかけたのと同時に、ドンっとドアがぶち開かれた。ゆがんだ鍵が宙を舞う。
徳川が、リュックサックを机の上にドンと降ろし、チャックを開く。
そこには山程の札束が。
俺は今度こそ動揺した。生唾をごくりと飲み込む。
「コレでどうっすか。あ、コレは間違えなくウチのお金っすよ。強盗とかしてないっすからね」
揚羽が、ぷっと吹き出す。
「『あの娘は支払う気ですよ』と言いたかったのです」
揚羽は、口元を抑えながら、最高のコメディを観た時のように身をよじって前のめりに笑っていた。
「やはり人間は最高ですわ。アサリの味噌汁を飲んでいて真珠を見つけた気分。あぁ、可笑しい」
お金を用意した徳川ですら、揚羽の様子に困惑しているのが見て取れた。
俺は、父親の言葉をもう一度思い返していた。
風邪と美人には気をつけろ。
見た目で気を緩めすぎた。揚羽は、ニンゲンとは違う存在だ。
俺は大金を前に、背筋に走る嫌な予感をどうしても拭い去れなかった。しかし、徳川は俺の提示した条件をクリアしてきた。そして、何より徳川のような子どもの、どこか媚びるような不安に揺れる目にはどうにも弱い。
俺はリュックサックごと受け取り、徳川の目をしっかりと捉えた。
「分かった。これでキミは俺の依頼主だ」
徳川がふーっと脱力し、ソファーに倒れるように座り込む。安堵の笑みはどこか儚げにみえて、ほんの少し胸が痛む。
徳川が、突然バネ人形のように身体を起こす。
「なんだよ」
「いや、リュックは返してほしいなって」
徳川がリュックサックを指さす。俺はなんとも締まらない空気に居心地が悪くなり、札束を取り出し、軽くなったリュックサックを徳川に手渡した。高校生が使うにしては、年季が入った子どもっぽいデザインのリュックサックだった。
揚羽がにこにこしながら片手の手のひらにお盆を乗せて、ウエイトレスみたくソソソっと机に寄ってきた。
「粗茶ではございますが」
どこから調達したのか、上品なお茶の香りが安っぽい俺の湯呑みから立ちのぼる。湯呑はともかく、お茶どこからと考え、しかし追求はしなかった。聞いても無駄だろう。どうせ無から創り出したとか、あの一瞬の間に静岡で調達したとか言われるのがオチだ。
「福岡の八女茶ですわ」
「そっか。うまいな」
徳川が湯呑を両手のひらで包むように持ち、ゆっくりとすする。ホッとした表情が地からのものであると信じ、俺は少しだけ息をついた。
ふと、みると止まっていたはずの時計が時を刻んでいた。これも揚羽の仕業だろう。
時刻は13時。動き出した時計を見ながら、三者三様にお茶を飲んだ。
「さて、仕事に取り掛かるにあたって依頼する理由を教えてくれ」
頃合いを見計らって俺が切り出すと、徳川が湯呑を置いて頷いた。キリッとした表情で背筋を伸ばす姿は、当初の軽薄な印象と異なる。
「んー、ひとことで言うと、土地絡みの利権問題、かな」
土地絡み。俺の全身に、ぞわりとかすかな震えが走る。徳川は、俺の様子に気づくそぶりもなく続ける。
「ローマ字の「TOKUGAWA」って会社聞いたことあるでしょ。あれ、ウチのパパの会社だったの」
TOKUGAWAといえば、レジャー、飲食、不動産…。複数業種を手掛ける日本を代表する大企業だ。
「数年前に社長が交代したな。たしか、事故で亡くなったとかで」
「事故じゃない」
徳川が、見た目にそぐわぬヒヤリとした口調で言い切る。
「殺されたの、パパの弟の、徳川賢三に」
スマホで調べると、徳川賢三のプロフィールが出てきた。仕立ての良さそうなスーツに、刈り上げた短い髪形は、ビジネスマンというより、スポーツマンだ。バストアップの写真越しでもエネルギッシュさがにじみ出るような男で、魔法だとかのオカルトよりも、腕っぷしで全て解決できそうな見た目だ。
プロフィールを読み進めると『前社長「徳川昭彦氏」の事故による死去により、社長に就任』と書かれていた。
事故のことをさらにネットで調べると、『TOKUGAWAの社長徳川昭彦氏が妻とともに事故死。同乗していた子は辛うじて一命を取り留めた』ということが分かった。
そうか、徳川千代は、そのときの。俺は当時のニュースを何となく思い出した。ずいぶんとセンセーショナルに報じていたが、結局は単なる事故と片付けられたはずだ。
「なぜ、賢三氏が関与したと思われたのですか」
揚羽が、徳川、いや千代の横にすっと腰掛け、やんわりと肩に手を置いた。俺は千代の肩に置かれた手が淡い燐光を放っていることに気づいた。
事故のことは千代にとってトラウマだろう。どう配慮しつつ、深掘りしていくか考えていた俺の心配をよそに、千代は落ち着いた様子でちょこんと座っている。
揚羽をとめるべきか。
千代に揚羽がなんらかの力を用いていることは明らかだ。しかし俺は止めなかった。千代からしても、依頼をしてきた時点で、嫌な過去を掘り起されるのは覚悟していたはずだから。
「黒い靄みたいな怪物が、いたの。あいつの、叔父さんの側に」
千代がぽつぽつと語り始める。
「事故のとき、あの怪物がいきなりパパの車の前に飛び出して来て、フロントガラスを通り抜けて飛び掛ってきた」
揚羽はやわらかく頷き、俺は黙って様子を見守る。
「怪物のことはお医者さんにも警察にも話したけど、誰も信じてくれなかった。妄想だって。でも、あの日、ウチの病室にきた叔父さんの背後にその怪物がいたの。まるでペットみたいに大人しくしてた。それが、なんか、すごく怖かった」
黒い靄のような怪物。呪術か魔術による使役か。
いくつか心当たりはあったが、いまは口に出さなかった。
千代は、言葉を切り、うつむいたが、やがて顔を上げた。ショートカットの下の表情は、無理に繕った笑顔だった。
「叔父さんがあの怪物を使ってナニかやったんだって、ウチ確信したの。それから何年もかけて叔父さんのこと調べたらやっぱりビンゴ。あの怪物、普段は番犬みたいに叔父さんにベッタリだけど、時々居なくなるの。そしたら、叔父さんにとって都合の悪い人が不幸な目に遭うの」
千代の丸い目からポロポロと涙が溢れる。
「ウチには何も出来ない。ただ視るだけ。あぁ、また誰かを傷つけに行くんだって分かってても、何も出来なかった。あの怪物と向き合ってぶん殴ってやりたいのに」
泣きながらも千代の目から、悲しみや悲壮感、そして怒りがにじみ出る。
「叔父さんは、ウチからパパとママを奪った。それに色んな人も傷つけてる。でも、それだけじゃない。アイツは、ウチの思い出まで壊そうとしてる。パパが、ママとウチのために作ってくれた木の家を。少女漫画みたいってママが笑ってた家がある、あの山を」
千代が俺をキッと睨むように力強く顔を上げた。
「レアアースだがなんだか知らないけど、たかが石コロのために、ウチから何もかも奪うつもりなら、ウチだって、ヤッてやる」
千代は袖でぐいっと涙を乱暴に拭い去った。その下からは、怒りと決意に燃える少女の危うい光がギラギラと光っていた。
「千代、おいで」
揚羽が絹のようにふわりと千代を抱きしめると、千代の荒い息遣いが徐々に静まりやがて寝息に変わった。
「少し、無理をさせ過ぎましたわね」
揚羽は、自身の胸にもたれて寝息をたてる千代に、どこからか取り出したブランケットをふわりとかけてやっていた。
「せめて、夢の中では幸せな思いに浸れますように」
揚羽は、千代の額に優しく口づけした。
俺は揚羽が分からない。彼女が千代にみせた優しさは本物だろう。だが一方で揚羽がこの事態を、誤解を恐れず表現するなら楽しんでいることも、また事実だろう。
聖人画の一枚のような光景を前に俺はなんとも言えないほろ苦さをかみしめていた。
千代が寝入っているのを見て、俺は自分の湯呑にインスタントコーヒーを注いだ。揚羽が白シャツでミートソーススパゲッティを全力ですすり上げるやつを見る目で見てきたが無視した。
しばらく俺がコーヒーをすする音だけが事務所に広がった。
「揚羽。あんたが未来から来てるなら、もう結末は知ってるのか」
「500年前のイギリスの片田舎で起きた事件を、貴方、覚えておりますの」
あんたなら500年どころか創世記から終末まで手のひらだろ、と応える代わりに肩をすくめてみせる。
揚羽が、怪しげな笑みを唇に浮かべる。
「貴方が望むならこの件をワタクシが『解決』してあげてもよろしくてよ」
俺は揚羽の黄色と黒の斑色の瞳を見る。
揚羽は意味深な笑みを浮かべている。その華奢な肩には傷ついた少女がもたれかかり、一時の安眠に身を委ねている。
「これは俺の仕事だ」
俺は空の湯呑を机に音を立てないように置き、小さく、しかしはっきりと口にした。
「ま、手伝いくらいは頼むかもしれんがな」
揚羽がくつくつと笑う。よく笑う蝶だな。
「ええ、『お手伝い』なら喜んで」
「あんた、映画はじっくり、なんなら一時停止して楽しむタイプだろ」
「応援上映も大好物ですわ」
つまり、この件は揚羽にとっては参加型のエンタメなわけだ。
揚羽がその気になれば、1秒後には全て『解決』してしまう。だが、揚羽には『その気』がない。なぜならこれはエンタメだから。
俺は少し寝てくると言って席をたった。背後から「おやすみなさいませ」と、鈴のような澄んだ、しかし底のしれない深い声がかけられる。俺は片手をあげて応え、自室のドアを閉じた。
コンコン。ノックの音が。
俺は自室のソファーベッドから起き上がり、ドアを開けた。
揚羽が立っていた。その先のソファーにはぐーっと伸びをする千代。目覚めたばかりらしく、大あくびをしている。
「お二人とも、おそよう、ですわね」
揚羽がにっこり微笑む。目覚めに悪いくらい、見た目はいい女だ。中身は蝶ゴリラだが。
「いてっ」
つま先に飛び上がるような痛みが走る。揚羽がヒールで踏んづけていた。
「あら、ごめんあそばせ。蝶々なもので、足の使い方を間違えましたわ」
「ムカデの爪の垢でも煎じてろ」
「足が多すぎますわ。せめてタコにしてくださいまし」
千代がケタケタ笑う。健康的で爽やかな表情。どうやら彼女の目覚めは良好なようだ。
「千代、よく眠れましたこと」
揚羽が、足に穴が空いてないか確認する俺を置いて、千代のもとに向かう。
千代が「はいっ」と元気な声をあげ、しかし首を傾げる。
「でも、変な夢だったなー」
「どのような夢ですの」
揚羽がなにか期待するように、千代の横に腰掛けた。
「ドラクエのスライム2匹に挟まれて、キメラに額を突っつかれたの。ヤバくないっすか」
「まあ、せめてキングスライムと仰って」
なんだコイツら。というかドラクエ派かよ。
俺は時計を見た。時刻は18時。
俺は机を挟んだ向かいのソファーに腰を下ろした。
「徳川さん、今日はもう遅いから帰りな。進展があれば必ず連絡する」
「はいっ。平さん、アゲハ姐さん。これからよろしくお願いします」
千代から携帯の番号を聞き取り、俺は事務所のドアを開いた。
「もう遅いのでワタクシがご自宅までお送りいたしましょう」
「いいんすか、姐さん。あ、じゃあ小腹空いたんで『鹿の目』の二郎系クレープ食べましょう」
「二郎系がスイーツ界隈まで進出してるのですか、是非参りましょう」
キャッキャとはしゃぐ2人を見送り、俺はひとり事務所のソファーに座った。
話し疲れたな。だが、不思議と爽やかな疲労感に包まれ、俺は眠るわけでもないのに目を閉じ、しばらく沈黙にゆったりと浸った。
久しぶりに酒に頼らない夜を迎えられそうだ。




