夜空に咲くひまわりと、冷えたビールを喉に流し込む「悪くない夜」
いつもお読みいただきありがとうございます!
「納涼花火大会編」も、いよいよ今回で結末を迎えます。
一花のひたむきな姿と、響の投球にぜひご注目ください!!
【第5章:女神のストライク】
続く第8フレーム。
重苦しい空気の中、2番手の佐藤さんが意地のストライクを叩き出す。
「よしっ! まだだ、まだ終わってないぞ!」
佐藤さんがチームを鼓舞しようと声を張り上げる。
その時だった。
「う、ぅ……っ……」
ボックスの隅で、一花の小さな肩が激しく震えていた。
その瞳から大粒の涙が溢れだし、ポロポロと床へ落ちていく。
プライドも、強がりも、すべてが崩壊したかのように、一花は声をあげて泣き出してしまった。
「一花ちゃん!?」
驚いて駆け寄る佐藤さんに、一花は顔をくしゃくしゃにしながら、胸の奥に秘めていた叫びを漏らした。
「ママと……ママと一緒に、花火見れなくなっちゃう……!」
しゃくり上げる声の痛々しさに、後ろで見守っていた響の眉がわずかに動く。
「前に……みんなで一緒に見たあの席で、可愛い浴衣着て一花がいるから、お空から一緒に見てねって……お墓にも行って、ちゃんと約束したのに……っ!」
「一花ちゃん……」
「一花があの席にいなかったら……ママが一花を見つけられない……! だから、だから絶対にあの席じゃなきゃダメなのにぃ……!」
両手で顔を覆い、抑えきれない声で泣き崩れる一花。
その姿をじっと見つめる響の脳裏に、前日の一花の言葉がふとよぎる。
『ねえパパ、帰りにあそこにも寄って!』
――あの子が向かっていた場所が、どこだったのか。
今なら、わかる気がした。
佐藤さんは、痛む胸を抑えるように深くため息をつくと、隣に立つ響へと静かに視線を向けた。
「……玉城ちゃん。実はね、私が一花ちゃんをこの勝負に誘ったんじゃないんだ」
泣きじゃくる一花の頭をそっと撫でながら、佐藤さんは言葉を続ける。
「一花ちゃんから、どうしてもあの席で花火が見たいって、泣きつかれてね。だけど人気の席だ。一般販売はもう売り切れてるし、仲間の間でも希望が多くて、勝手に譲るわけにもいかなかった」
「だから、それなら全員が納得する形で、あの席を賭けた対抗戦をやろうって、私から持ちかけたんだよ。私が不甲斐ないばかりに、一花ちゃんにこんな悲しい思いをさせてしまって……」
佐藤さんが申し訳なさそうに視線を落とす。
その言葉と、一花のしゃくり上げる声を、響は黙って聞いていた。
(……そう)
表情はほとんど動かない。ただ、少女の小さな背中に隠されていたものが、ようやく見えた気がした。
ツンと尖った強がりの裏にあった、あまりにも切実で健気な覚悟。
響の胸の奥で、微かな熱が確かに灯り始めていた。
しかし、ベンチで涙を拭った一花は、スコアモニターの非情な数字を見つめたまま、力なく首を振った。
「……もう無理だよ。ここから逆転するには、最低でもフォース(4連続ストライク)が必要だし。いま佐藤さんがたまたま、ストライクを出したけど……」
「おいおい、たまたまって!」
佐藤さんが思わず、ツッコミを入れたが、一花の瞳からは次々と涙が溢れて止まらない。
「それに、次の第9フレームはあの人だし……絶対もう追いつけない……っ」
完全に心が折れ、顔を伏せて泣きじゃくる一花。
その小さな肩に、すっと温かい手が添えられた。
「一花ちゃん」
響がそっと一花の身体を抱き寄せ、彼女の目線に合わせて優しく微笑んだ。その笑顔は、いつものどこか頼りないスタッフの顔ではなく、どこか絶対的な包容力があった。
響は一花の涙をそっと指先で拭うと、そのまっすぐな瞳を見つめて力強く告げた。
「必ず、私が一花ちゃんに繋ぐ。だから――この響お姉さんにまかせなさい」
その言葉に宿るあまりの頼もしさに、一花は涙を浮かべたまま、呆然と響の顔を見上げることしかできなかった。
響はゆっくりと立ち上がり、マイボールを片手で拾い上げる。
響は鋭い光を宿した瞳で、まっすぐにレーンの奥を見据えながら、静かにアプローチへと足を踏み出した。
その瞬間、周囲の雑音がすっと遠ざかった。
胸元に構えたボールが、滑らかな軌道を描いて下方に降ろされる。
重力と完全に調和したその一歩は、まるで淀みがない。
前方に伸びた左手は美しく水平を保ち、後ろへと振り上げられたバックスイングは地面と完全な垂直を描いて両翼のように開く。
それは一切の無駄な力みが排除された、力学の結晶のようなフォームだった。
最頂点に達したボールが、今度は重さのままにトップスピードで落ちてくる。響はそのボールを導くようにレーンへと優しく送り出した。
一花の瞳が、その一連の動作に釘付けになる。
これまで見てきたどんなプロボウラーのフォームよりも、圧倒的に洗練され、気高く、そして――。
「綺麗……。まるで、女神みたい……」
指先から放たれたボールは、レーンの光を反射しながら、鋭い回転を帯びてピンの待つ奥へと突き進んでいく。そして――。
――バッァァァンッ!!!
これまでの投球とは明らかに違う、甲高い破裂音がフロアを貫いた。
完璧な角度でポケットを捉えたボールの前に、10本のピンは一瞬で弾け飛び、マシンの奥へと消えていく。
ボックスが、水を打ったように静まり返る。
佐藤さんは口を半開きにしたまま固まり、一花も涙の痕が残る顔でスコアモニターを見上げていた。さっきまでの「下手なスタッフ」とは完全に別人のような一投に、誰もが言葉を失っている。
全員の意識が、まだ響の残像に釘付けになっていた、その時だった。
「……あれ?」
数秒が経ち、ようやく空気が動き始めたころ、佐藤さんがふと隣のレーンを見て声を漏らす。
「伊藤さんは?」
よし子さんが首を傾げ、高橋さんも視線を巡らせる。
そして、全員の目が同じ場所に止まった。
アプローチの上で、伊藤さんがうずくまっていた。
両膝をつき、両手を床について、頭を深く下げたまま動かない。まるでこちらに向かって土下座をしているような姿勢だった。
「……伊藤さん?」
呼びかける声にも、すぐには反応がない。何事かと近づいてみると、隣のレーンの奥で、ポツンと1本だけ残った10番ピンが無情にもマシンのスイープに払われてゆくところだった。
どうやら、響のあまりの一投に全員が気を取られている隙に、伊藤さんはひっそりと投球し、そしてスペアを外してしまっていたらしい。
そのショックのあまり、その場に崩れ落ちるようにうずくまっていたのだった。
「……いや、伊藤さん」
高橋さんが呆れたように息を吐く。
「リアクション大きすぎでしょ……。誰も見てないうちに外して、それって……」
よし子さんも苦笑いを浮かべた。
強烈なストライクの余韻と、その横で誰にも気づかれないまま自滅してうずくまる男。
ボックスを包んでいた重い緊張感は、いつの間にか妙な笑いへと変わっていた。
「あはは……大丈夫ですかね、伊藤さん」
そんな中、響だけが自分が引き起こした騒ぎなど、まったく知らないことのようにとぼけていた。
響が繋いだダブルと、伊藤さんの手痛いミス。
これにより、両チームの点差は一気に縮まった。
スコアが示す勝利条件を、一花は目を見開いて見つめていた。
(次、私がストライクを出したら追いつける。フォースなら勝ち。……絶対に、絶対に……!)
奇跡の逆転劇のバトンは、小さなエースへと託された。
かつてない重圧に足を震わせる一花の背中に、響がそっと手を添える。
「一花ちゃん。道は、自分で切り開くものよ。……大丈夫。一花ちゃんなら、できる」
低く、しかし確かな声だった。
「……うんっ!」
一花は力強く頷くと、溢れそうになる涙を手の甲で拭い、マイボールを抱えてアプローチへ上がった。
レーンの前に立った瞬間、先ほどの響の投球が脳裏に鮮明に蘇る。
重力と調和した動き、無駄のないフォーム。
女神のような残像が、一花の身体の硬さを綺麗に消し去っていく。
(……できる。私なら、できる)
迷いなく助走を始める。
放たれたボールは美しい弧を描き、ポケットへ飛び込んだ。
パァンッ!!!
10本のピンが弾ける。
「やったぁぁぁっ!!」
佐藤さんが飛び上がって歓声を上げる。
一花は小さく息を整え、すぐさま次の一投へ意識を集中させた。
助走を始めたその姿は、まるで誰かを映したようだった。
無駄のないステップ。水平に伸びた腕。綺麗なスイング。
小さな身体からは想像できないほど洗練された軌道で、ボールが放たれる。
次のボールは、まるで先ほどの一投を再現するかのように、綺麗な弧を描いて奥へと突き進んだ。――が、
完璧すぎたボールは
想定よりわずかに曲がりが強く、激しい衝撃音のあと、左端の7番ピンだけが残った。
「ああっ……!」
佐藤さんが天を仰ぐ。
だが、一花はもう泣かなかった。
すぐさま冷静にスペアを仕留め、自分の仕事を終えてアプローチを降りる。佐藤さんチームの投球は、ここで全て終了した。
勝敗の行方は、後攻のアンカー・高橋さんに託される。
「……ごめんね。だけど、これも勝負だからね。手は抜かないよ」
高橋さんはアプローチへ上がると、静かに息を吐いた。
その瞬間、それまでの温和な表情は消え去った、本気の構え。
鋭い踏み込みから放たれた一投目は、ポケットを正確に射抜き、ピンを一本残さず、ストライクを叩き出した。
フロアの空気が、一気に張り詰める。
勝負の一投。
高橋さんの手から離れたボールは、1投目と全く同じ、完璧なストライクコースへと乗った。
一花が祈るように強い想いを胸に抱く中、ボールが鋭くポケットを捉えた。
バチィィンッ!
激しく弾け飛ぶピンの嵐の中、奥の8番ピンだけが、何かに守られるかのように微動だにせず、一花の見つめる先で真っ直ぐに立ち続けていた……。
【第5章:エピローグ】
夜空を焦がすような大輪の光が、特等席を鮮やかに染め上げた。
「いやあ、やっぱりここからの眺めは格別だねえ」
佐藤さんは嬉しそうに頬を緩め、隣に座る妻の肩をそっと抱き寄せた。
隣では、浴衣姿の一花が、父親のとなりで目を輝かせている。
「ママも、きっと見てるよ」
一花は頷いた。
大きな青色の花火が開いた瞬間、一花の目に光が映り、唇がわずかに緩んだ。
「……見てるよね、ママ」
ドン、と腹に響くような音とともに、夜空に大きなひまわりの花火が咲く。一花の誇らしげな笑顔を、パパは愛おしそうに見つめ、その小さな頭を優しく撫でた。
同じ時刻。
喧騒から遠く離れた都心の高層マンションの一室は、テレビの音すら消され、静寂に包まれていた。
響は冷蔵庫から、薄く霜の降りた冷えたグラスと、缶ビールを取り出した。
プシュ、と静かな音が部屋に響く。
グラスに黄金色の液体を注ぎ、片手に持って窓辺へと歩み寄る。
大きなガラス窓の向こう、遠くの街並みのさらに奥で、幾重もの鮮やかな光が夜空に咲いては儚く消えていく。
断続的に遠くの空を染める大輪の残像を静かに目に焼き付けながら、響は誰に呟くでもなく口元を綻ばせた。
「……悪くない夜ね」
冷たいビールを喉に流し込む。彼女の静かな微笑みだけが、暗い部屋の中でそっと揺れていた。
翌日。『Strike Palace』は、学生たちでいつも以上の賑わいを見せていた。
ひっきりなしに続く受付の対応とピンの弾ける音のなか、フロントの奥では、繁雑さに少し疲れた表情を浮かべた響が、気だるげにレンタルシューズを拭いていた。
そこへ、見覚えのある中学生男子3人組が興奮した様子で駆け寄ってきた。
「あの、玉城ちゃん! 昨日、ここで投げたって本当!?」
「俺たちも見たかったなぁ。まぁ、どうせ派手にガターでも出したんだろうけどさ!」
「うぐっ……」
図星を突かれた響が言葉に詰まり、面倒そうに話をはぐらかそうとした、その瞬間だった。
「ちょっと! 私のお姉様に、気安く話しかけないでくれる?」
凛とした声が響き、中学生たちの前に一花が毅然と立ちはだかった。
「あ、一花ちゃん! ……って、お姉様!?」
腰に手を当てて三人組をパッと見上げる一花に、少年たちは一瞬、後ずさりした。
「昨日、玉城ちゃんが投げてたの、やっぱり本当だったんだ……!」
驚き、お互いに顔を見合わせる中学生たちを一花は蔑むような目でみると、
「響お姉様は、私の師匠なんだから!!」
「はぁ!?」
響が予想だにしなかった一花の言葉に唖然とする。
「ほら、用がないならあっち行って、ロリコン!!」
「ロリコンはこいつだけだし!!」
「違げぇってば! 俺は歳上が好きなんだって!」
「あーわかったわかった、もういいよ」
「それにしても、いったい昨日何があったんだ……わけわかんねーな」
三人組は苦笑いしながらも、どこか楽しそうに「じゃあね、玉城ちゃん!」と手を振りながらレーンへと戻っていった。
嵐の去ったフロントで、響は呆れたように深いため息を吐いた。
「一花ちゃん……お姉様って何よ。それに私、あなたの師匠になった覚えはないんだけど」
「いいの。今日からそうなったの」
一花は響の腕にぎゅっと抱きつくと、悪戯っぽく微笑んだ。
「ねえ。私とダブルス、組んでくれる?」
絶対の信頼を込めた真っ直ぐな瞳が、響を見つめている。
「……私みたいな素人に務まるわけないでしょ」
「務まるよ。わたし、ちゃんと分かってるもん」
一花は少しだけ得意そうに栗色の髪を軽く振り払った。
響は困ったように息を吐き、小さく肩をすくめる。
「……まぐれよ」
そう言い残すと、響はフロントの奥へ下がり、レンタルシューズを置き直すと、いつもの業務へと戻っていった。
偽りの日常も、いつの間にか生まれた絆も、すべてはこの場所に溶けていく。
フロアの向こうでは、また小気味よくピンが弾ける音が続いていた。
(第3話・完)
第3話 納涼花火大会編を最後までお読みいただきありがとうございます!
ボウリングではポケットに綺麗に入っても8番ピンだけが残る時がまれにあります。
「ジャストエイト」と呼ばれるこの現象は、ピンにファーストヒット後の僅かな軌道のずれによって
引き起こされるのですが......今回は一花の強い想いに天国のお母さんが応えてくれたのかもしれません。




