第9話 昼間の仕事
圭一たちが出かけたあと、俺は今日も家の中を見回っていた。
玄関。
廊下。
リビング。
台所。
特に変わったところはない。
そのまま階段へ向かう。
一段。
カタン。
もう一段。
カタン。
二階まで上がり、今度は部屋を順番に確認していく。
圭一の部屋。
廊下。
父親と母親の部屋。
窓の近く。
特におかしなものはない。
「よし」
今日も大丈夫そうだ。
昨日は父親に玄関を任された。
夜は玄関を見張る。
昼間はこうして家の中を見回る。
だんだん、この家での俺の仕事が分かってきた気がする。
俺はかなり機嫌がよかった。
こういうことができるのは、たぶん俺くらいだ。
圭一がいつも大事そうに持っている、あの薄い四角いやつにはできない。
朝になると音を鳴らして圭一を起こしているみたいだけど、それだけだ。
自分で家の中を見て回ったりしない。
何か変なものが入り込んでも、探しに行くこともできない。
「やっぱり俺の方が役に立つな」
昨日だって、父親は俺を玄関に置いてくれた。
今朝は圭一も俺を見て、ずいぶん驚いていた。
まさか一晩中見張っていたとは思わなかったんだろう。
頑張った甲斐があった。
一通り見回りを終える。
家の中は静かだった。
誰もいない。
変な音もしない。
圭一を怖がらせている何かも見つからない。
俺は少し休むことにした。
しばらくじっとしているうちに、ふと思い出す。
「そういえば……」
帰ってきてから、ベルは何度か鳴らしている。
家に着いた時にも鳴らした。
圭一の部屋でも鳴らした。
時間を知らせるためにも鳴らした。
だから、ちゃんと鳴ること自体は分かっている。
でも、あの時はどれも人間に何かを知らせるために鳴らしただけだ。
ベルそのものの調子を、落ち着いて確かめたわけじゃない。
せっかくまた仕事を始めたんだ。
もう少ししっかり鳴らして、問題がないか確かめておいた方がいいかもしれない。
いざという時に、途中で変な鳴り方をしたら困る。
「よし」
ちょうど今は誰もいない。
今のうちに確かめておこう。
ベルを鳴らす。
――ジリリリリリリリリリッ!
家の中いっぱいに音が響いた。
うん。
ちゃんと鳴る。
思ったより調子はいい。
もう少しだけ続けてみる。
――ジリリリリリリリリリッ!
問題なし。
これだけ鳴れば、何かあった時にもちゃんと気づいてもらえる。
少し短く鳴らしてみる。
――ジリリリリリッ!
これも大丈夫だ。
長く鳴らしても。
短く鳴らしても。
特におかしなところはない。
「絶好調だな」
これなら安心だ。
時間を知らせる時も。
何か異常を見つけた時も。
ちゃんと人間に知らせられる。
もう一度だけ確認しておこうかと思った、その時だった。
コンコン。
玄関の方から音がした。
「ん?」
誰か来た。
続いて、外から声が聞こえる。
「鈴木さーん?」
近所の人だ。
「いらっしゃいますー?」
どうしたんだ?
父親も母親も仕事に行っている。
圭一も学校だ。
家にいる人間はいない。
俺が返事をしても、もちろん外の人には聞こえない。
人間には、俺が話している言葉は聞こえないらしい。
だから、そのまま様子を見ることにした。
コンコン。
もう一度、扉を叩く音。
「鈴木さーん?」
しばらく待っていたみたいだけど、当然誰も出ない。
やがて、
「いないのかしら……」
と呟く声がして、足音が遠ざかっていった。
「なんだったんだ?」
少し考える。
急に何か用事でもできたんだろうか。
でも。
来たのは、俺がベルを鳴らしたすぐあとだった。
……まさか。
さっきのベルが聞こえたのか?
玄関の方を見る。
家の中であれだけ鳴らしたんだ。
外まで聞こえていてもおかしくない。
誰か家にいると思って、確認しに来た。
「……なるほど」
少しやりすぎたらしい。
調子を確かめただけなんだけどな。
でも、よく考えれば悪いことばかりでもない。
外にまで聞こえるくらいなら、本当に何かあった時は役に立つ。
ただ。
何もない時に何度も鳴らす必要はなさそうだ。
確認なら、もう十分できた。
「次から気をつけるか」
一つ勉強になった。
俺はまた家の中を見回ることにした。
玄関。
異常なし。
リビング。
異常なし。
台所。
異常なし。
二階へ戻る。
カタン。
カタン。
圭一の部屋も確認する。
何もない。
今日も、圭一を怖がらせている何かは見つからなかった。
昨日の夜も出てこなかった。
今日の昼間もいない。
俺が見張っているから、出てこられないのかもしれない。
それなら、それでいい。
姿を現さないなら、みんなも怖がらずに済む。
そうして何度か家の中を見て回っているうちに、時間が過ぎていった。
窓から入る光も、少しずつ変わっている。
「そろそろ帰ってくる頃か」
最初に帰ってくるのは母親だったはずだ。
俺は二階をもう一度確認した。
異常なし。
今日の昼間の仕事も問題なさそうだ。
その時。
外から人の声が聞こえた。
「あ、鈴木さん」
昼間に来た人の声だ。
もう一人いる。
母親だ。
玄関の外で話しているらしい。
俺はその場で耳を澄ませた。
「今日、お休みだったんですか?」
「え? いえ、仕事でしたけど」
「あら、そうなの?」
少し間が空く。
「お昼くらいだったかしら。すごいベルの音が聞こえてたから、誰かいるのかと思って」
……。
やっぱり俺だった。
「ベルですか?」
母親の声。
「ええ。ジリジリジリって。昔の目覚まし時計みたいな音」
母親が少し黙った。
「……昔の目覚まし時計?」
「そうそう。今はあまり聞かないような音」
「でも、うちには今、そんなもの……」
そこで母親の言葉が止まった。
どうしたんだ?
しばらくして、
「……ないと思いますけど」
と続けた。
「あら、そうなの?」
「はい」
「おかしいわねえ。確かにこの家から聞こえたと思ったんだけど」
「近くのお宅じゃないですか?」
「そうだったのかしら」
完全に俺だ。
思っていた以上に、外まで響いていたらしい。
「……やりすぎたな」
調子を見るだけだったのに。
近所の人がわざわざ家まで来るとは思わなかった。
これからは、本当に必要な時以外は何度も鳴らさない方がよさそうだ。
ベルがちゃんと動くことは分かった。
それで十分だ。
「まあ、失敗することもあるか」
また仕事を始めたばかりなんだ。
少しくらい失敗することだってある。
次から気をつければいい。
やがて外の話が終わった。
「それじゃあ、また」
「はい」
近所の人の足音が遠ざかっていく。
少しして。
ガチャ。
玄関の扉が開いた。
母親が帰ってきた。
「おかえり」
もちろん、聞こえない。
俺が話している言葉は人間には届かない。
でも、それはいつものことだ。
せっかく帰ってきたんだ。
迎えに行こう。
今日も何もなかった。
家の中は大丈夫だった。
それくらい確認してやってもいい。
俺は階段へ向かった。
下の方から、母親が靴を脱いでいる音が聞こえる。
一段、降りる。
カタン。
もう一段。
カタン。
下から聞こえていた音が止まった。
「……?」
どうした?
俺はそのまま次の段へ身体を傾けた。
カタン。




