表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜中に、誰かが鳴いている  作者: 宍戸 耀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/13

第10話 階段を降りてきたもの

仕事から帰ってくると、家の前で近所の奥さんに声をかけられた。


「あ、鈴木さん」


「こんにちは」


軽く頭を下げると、奥さんは少し不思議そうな顔をした。


「今日、どなたかお家にいました?」


「え?」


思わず聞き返した。


「いえ。今日は夫も仕事ですし、息子も学校ですけど」


「あら、そうなの?」


奥さんは首を傾げる。


「お昼くらいだったかしら。そちらから、すごいベルの音が聞こえたんですよ」


「ベル?」


「ええ。ジリジリジリって。昔の目覚ましみたいな音」


その言葉に、少しだけ引っかかった。


昔の目覚まし時計。


昨日、圭一から聞いた音も、そんな感じだったと言っていた。


それに。


昔、この家にも似たような音を出すものがあったような気がする。


でも、すぐには思い出せなかった。


長いこと聞いていない音だった。


今、普段使っている物の中に、そんな音を出すものはない。


「それで、誰かいるのかなと思って、一度玄関まで来たんです」


「そうだったんですか」


「でも呼んでも誰も出てこなくて」


奥さんは少し考えてから続けた。


「音も変だったんですよ。しばらく鳴って、すぐ消えて。また少ししたら鳴って」


「……そうなんですか?」


「ええ。だから、てっきり誰かいるんだと思って」


「近くの別のお宅じゃないですか?」


「そうかしらねえ。こっちから聞こえたと思ったんだけど」


私は曖昧に笑った。


「たぶん、どこか別のお宅だと思いますよ」


「そうよね。誰もいなかったんですものね」


「はい」


「じゃあ、勘違いだったのかしら」


「わざわざありがとうございます」


奥さんと別れ、玄関の前に立つ。


変な話だ。


昨日から圭一も、家の中で変な音がすると言っていた。


昨夜は結局、何も起こらなかった。


やっぱり圭一が気にしすぎているだけだと思っていたのに。


「まさかね……」


偶然だろう。


近所の別の家から聞こえた音を、奥さんが勘違いしただけ。


そう思いながら玄関の鍵を開けた。


「ただいま」


当然、返事はない。


まだ圭一も帰ってきていない。


靴を脱ごうとした、その時だった。


カタン。


手が止まった。


「……何?」


家の中を見る。


静かだ。


気のせいかと思った。


だが。


カタン。


また聞こえた。


今度は、はっきりと。


靴を脱ぐのをやめ、そのまま耳を澄ませる。


カタン。


カタン。


コトン。


一定ではない。


けれど、少しずつ近づいてくる。


「……何の音?」


階段の方を見る。


誰もいない。


いや。


何かいる。


階段の上の方。


小さな何かが見えた。


カタン。


一段。


それが下へ動いた。


息が止まる。


カタン。


また一段。


「……え?」


目を凝らす。


小さい。


赤い。


古びている。


カタン。


カタン。


それは少しずつ階段を降りてくる。


転がっているわけではない。


一気に落ちてくるわけでもない。


まるで、一段ずつ確かめるように。


自分で階段を降りている。


コトン。


最後の一段。


それが床まで降りてきた。


私は、それを見た。


小さな時計だった。


赤くて。


古くて。


ところどころ傷がついている。


色も少し褪せている。


昔ながらの、ベルのついた目覚まし時計。


「……え」


どこかで見たことがある。


そう思った。


赤い色。


丸い形。


上についている二つのベル。


昔、この家にも、こんな時計があったような気がする。


圭一がまだ小さかった頃だっただろうか。


でも、はっきりとは思い出せない。


長いこと使っていなかった。


家のどこかにしまわれたまま、目にすることもほとんどなくなっていた。


だから今さら、その姿を見ても、すぐには記憶と結びつかなかった。


それでも。


目の前にある時計を見ていると、妙に胸の奥がざわつく。


昨日から聞こえていた、古い目覚まし時計みたいなベルの音。


さっき近所の奥さんが言っていた音。


そして、この赤い時計。


「……なんで」


自分でも、何に対してそう言ったのか分からなかった。


ただ。


見覚えがあるようなものが。


今。


目の前で。


自分で階段を降りてきた。


時計が。


ひとりで。


カタン。


時計が少し動いた。


「きゃあああああっ!!」


悲鳴が出た。


考えるより先に身体が動いた。


玄関の扉を開け、そのまま外へ飛び出す。


バタン!


勢いよく扉を閉めた。


心臓が激しく鳴っている。


「なに……今の……」


息がうまくできない。


震える手で鞄からスマートフォンを取り出した。


夫の浩一に電話をかける。


数回の呼び出し音のあと、声が聞こえた。


『もしもし?』


「ねえ」


自分でも分かるくらい、声が震えている。


『どうした?』


「やっぱり……なんかいる」


『なんかって何だよ』


「分からない。でも、今……見たの」


『何を?』


私は家の方を見る。


玄関の扉は閉まったままだ。


「時計みたいなの」


『時計?』


「古い時計。赤くて、古びてて……」


少し言葉に詰まる。


「なんか……見たことある気がするの」


『見たことある?』


「昔、うちにあったやつに似てるような……」


電話の向こうが少し黙った。


『昔の?』


「はっきり覚えてない。でも、それが階段から降りてきたの」


『降りてきたって?』


「一段ずつよ。カタン、カタンって」


『……それ、昨日俺が見つけたやつじゃないか?』


「え?」


『圭一の部屋の近くに古いやつがあったから、玄関のところに置いたんだよ』


私は眉を寄せた。


「でも、二階から降りてきたのよ?」


『何かの拍子に階段から落ちてきたんじゃないのか?』


「落ちたんじゃないの!」


思わず声が大きくなる。


「一段ずつよ! カタン、カタンって!」


『でも、そう見えただけかもしれないだろ』


「違うって!」


『分かった、分かった』


浩一はまだ半信半疑らしい。


『帰れそうなら、少し早めに帰るよ』


「早く帰ってきて」


『もうすぐ圭一も帰ってくるだろ?』


「そうだけど……」


『とりあえず中に入って待ってろ。何かあったらまた電話して』


「……分かった」


電話が切れた。


私はしばらく玄関の前に立っていた。


正直、入りたくない。


でも、ずっと外にいるわけにもいかない。


もうすぐ圭一も帰ってくる。


「……大丈夫」


自分に言い聞かせる。


浩一の言う通りかもしれない。


古い時計が、何かの拍子に動いただけ。


たまたま一段ずつ降りてくるように見えただけ。


そういうことだ。


きっと。


私は恐る恐る玄関の扉を開けた。


中を見る。


何もいない。


「……」


ゆっくり家へ入る。


扉を閉める。


さっき時計がいた場所を見る。


階段の下。


「……ない」


動きが止まった。


さっき確かにそこにいた。


赤い、古い時計。


最後の一段を降りて、床にいた。


なのに。


ない。


「どこ……?」


玄関を見る。


下駄箱の周り。


廊下。


何もない。


少し迷ってから、階段へ近づく。


上を見る。


静かだ。


「……まさか」


一段ずつ、ゆっくり上がる。


途中にもない。


踊り場にもない。


二階まで上がり、廊下を確認する。


ない。


圭一の部屋の前にも。


他の部屋にも。


どこにも見当たらなかった。


「……何なのよ」


背中が寒くなる。


見間違いだった?


そんなはずはない。


あれだけはっきり見た。


音だって聞いた。


カタン。


カタン。


一段ずつ。


あの時計が階段を降りてくるところを。


それに。


あの赤い時計。


どうしても、どこかで見た記憶に引っかかる。


昔、この家にあったものとよく似ている。


そう思えば思うほど、古い記憶の中に同じ赤い色が浮かんでくる。


でも。


本当に同じものだったのかまでは、思い出せない。


「……気味悪い」


それ以上探す気にはなれなかった。


一階へ戻る。


夕食の支度をしなければならない。


いつも通りにしていればいい。


そう思い、台所に立つ。


けれど。


包丁を持っていても。


冷蔵庫を開けても。


少し音がするたび、身体が反応してしまう。


階段の方を見てしまう。


さっきの時計が、またどこかから出てくるような気がする。


「……早く帰ってきて」


ぽつりと呟いた。


圭一でもいい。


浩一でもいい。


誰でもいいから、早く帰ってきてほしかった。


もう一人でこの家にいるのが。


ひどく心細かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ