表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜中に、誰かが鳴いている  作者: 宍戸 耀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/13

第11話 捨てたはずの時計

玄関の扉を開けた。


「ただいま」


靴を脱ごうとした、その時だった。


「圭一!」


「うわっ」


奥から母さんが駆けてきた。


その勢いに驚いて、俺は思わず一歩下がる。


「な、何?」


「やっと帰ってきた……」


母さんはそう言って、ほっとしたように息を吐いた。


でも、その顔を見て、俺はすぐにおかしいと思った。


顔色が悪い。


目も少し赤い。


今にも泣きそうな顔をしている。


こんな母さんを見るのは初めてだった。


「……どうしたの?」


「圭一、ちょっと聞いて」


母さんは俺の腕を掴んだ。


その手に、少し力が入っている。


「今日ね、変なことがあったの」


「変なこと?」


その言葉を聞いて、昨日からのことが頭に浮かんだ。


あの音。


階段の後ろから聞こえた、カタンという音。


自分の部屋で鳴った、古臭いベルみたいな音。


「また何か鳴ったの?」


そう聞くと、母さんの顔が強張った。


「……どうして分かったの?」


「え?」


「今日、昼間に鳴ってたらしいの」


「昼間?」


「隣の奥さんが聞いたんだって。うちから、すごいベルの音がしてたって」


俺は黙った。


今日の昼間。


俺は学校にいた。


父さんも母さんも仕事だった。


家には誰もいなかったはずだ。


「誰もいなかったんだよね?」


「いないわよ。だから変なの」


母さんは一度、階段の方を見た。


俺もつられて見る。


何もない。


家の中は静かだった。


「それだけじゃないの」


母さんが言った。


「私も見たの」


「何を?」


すぐには答えなかった。


言っていいのか迷っているみたいだった。


「……時計」


「時計?」


「赤くて、小さい時計」


俺は少し考えた。


「赤い?」


「うん。古くて、かなり傷んでた」


「丸いやつ?」


母さんが俺を見る。


「そう。知ってるの?」


その瞬間、朝のことを思い出した。


学校へ行こうとして玄関を出る時。


下駄箱の上にあったもの。


「……ケイ?」


「ケイ?」


母さんが首を傾げる。


「昔、俺が使ってたやつだよ。赤い時計」


「名前つけてたの?」


「小さい頃だけど」


後ろには、俺が書いたKの文字が残っているはずだ。


「後ろにKって書いてなかった?」


「そこまでは見てないけど……たぶん、その時計」


「やっぱり」


「やっぱりって?」


「あったんだよ。今朝」


母さんの顔が止まった。


「……今朝?」


「うん。玄関の下駄箱の上に」


「玄関に?」


「なんでこんなところにあるんだろって思ったんだけど、学校遅れそうだったから、そのままにして出た」


母さんはしばらく何も言わなかった。


「じゃあ……朝から家にあったの?」


「みたい」


「誰が置いたの?」


「知らないよ」


俺はそう答えてから、何となく引っかかった。


朝は急いでいたから、そこまで深く考えなかった。


でも。


よく考えてみれば、おかしい。


「……あれ?」


「どうしたの?」


「いや……」


俺は眉を寄せた。


「ケイって、ちょっと前に捨てたはずなんだけど」


母さんの顔から、さらに血の気が引いた。


「捨てた?」


「うん」


確か、もう使わないからと処分したはずだ。


少なくとも、家の中にあるはずはない。


それなのに今朝、玄関にあった。


「母さん?」


母さんが黙ったままなので声をかける。


「……圭一」


「何?」


「その時計ね」


母さんの声が小さくなった。


「今日、階段を降りてきたの」


「……は?」


何を言われたのか分からなかった。


「階段?」


「二階から、一段ずつ」


「落ちてきたってこと?」


「違う」


母さんはすぐに首を振った。


「落ちたんじゃないの」


「じゃあ何?」


「降りてきたの」


「……時計が?」


「そう」


俺は母さんの顔を見る。


冗談を言っているようには見えない。


むしろ、思い出しただけでも怖いみたいだった。


「カタン、って一段降りて」


俺の身体が固まった。


「それから、またカタンって」


「……カタン?」


「うん。一段ずつ、ゆっくり」


背中が冷たくなった。


聞いたことがある。


昨日。


階段を上がっていた俺の後ろから。


一段上がるたびに。


カタン。


カタン。


「……俺が聞いた音」


「え?」


「昨日、俺の後ろから聞こえたやつ」


母さんも黙った。


「たぶん……同じだ」


昨日は見えなかった。


振り返っても、何もいなかった。


でも。


もし、あの時。


本当に何かが俺の後ろをついてきていたとしたら。


「それで、どうしたの?」


「怖くなって外に逃げたの。それからお父さんに電話して……」


「父さんは?」


「古い時計だから、振動で落ちてきたんじゃないかって」


「……まあ」


俺も最初にそう思った。


時計が勝手に歩くなんて、普通はありえない。


「でも違うの」


母さんが強く言った。


「私は見たの。一段ずつ降りてきたのよ」


「でも……」


言いかけて、止まった。


時計は歩かない。


そんなの当たり前だ。


だけど昨日、俺も聞いている。


俺の後ろをついてきた、あの音を。


「その時計は今どこにあるの?」


俺が聞くと、母さんは首を振った。


「分からない」


「え?」


「戻ってきたら、いなくなってたの」


「どこ探した?」


「一階も二階も探した。でも見つからないの」


俺は思わず周囲を見る。


廊下。


居間。


階段。


どこにも赤い時計は見えない。


「……探してみる?」


「一人では嫌」


母さんはすぐに言った。


その言葉に、また驚いた。


いつもだったら、そんなことを言う人じゃない。


俺が怖がっている時だって、「大丈夫よ」と言っていた母さんだ。


その母さんが、本気で怖がっている。


「分かった。一緒に探そう」


俺たちは家の中を探した。


居間。


台所。


廊下。


玄関。


階段の下。


二階へ上がって、俺の部屋。


父さんと母さんの部屋。


他にも、時計が入り込みそうなところは一通り確認した。


でも。


見つからなかった。


「ないね」


「……うん」


俺たちは居間へ戻った。


母さんは座ったまま、しばらく黙っていた。


俺も何を言えばいいのか分からない。


捨てたはずの時計。


誰もいない昼間に鳴ったベル。


階段を一段ずつ降りてきた時計。


そして、突然いなくなった。


バラバラだったものが、少しずつ一つにつながっていく。


その時だった。


母さんが小さな声で言った。


「ねえ、圭一」


「何?」


「もしかして……」


一度、言葉を止める。


「捨てられたことを怒って、仕返ししに戻ってきたんじゃない?」


一瞬、何を言っているのか分からなかった。


それから俺は、思わず少し笑った。


「いや、それはないでしょ」


「……そうよね」


「時計だよ?」


「……うん」


母さんも小さく頷いた。


でも。


少しして、母さんが呟いた。


「……でも」


そこで言葉が途切れた。


俺も何も言えなかった。


時計は歩かない。


時計は怒らない。


捨てられたからって、自分で家に戻ってきたりもしない。


そんなことは分かっている。


分かっているはずなのに。


俺と母さんの間に、長い沈黙が流れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ