第12話 オマエヲミテルゾ
俺が何を言っても、人間には聞こえない。
それは、もう分かっている。
圭一に話しかけても返事はない。
母親に「おかえり」と言っても、気づかない。
ベルを鳴らせば気づいてもらえるけど、ベルで伝えられるのは、何かがあったということくらいだ。
俺が何を考えているのか。
何を伝えたいのか。
そこまでは分かってもらえない。
それが、少し困っていた。
俺はちゃんと圭一たちのことを考えている。
夜は玄関を見張っているし、昼間だって家の中を確認している。
変なものがいないか探している。
何かあったら、ちゃんと知らせるつもりだ。
でも。
それを圭一たちは知らない。
「どうしたら分かるんだろうな」
そんなことを考えていた時だった。
二階から、人の動く音が聞こえている。
圭一と母親だ。
さっきから二人で家の中を見て回っている。
何を探しているのかは分からないけど、今は二人とも二階にいるらしい。
一階には誰もいない。
俺はリビングの方へ向かった。
その時。
テーブルの上に、小さなメモ帳が置いてあるのが目に入った。
母親がよく使っているものだ。
買うものを書いたり、何か忘れないように書いたりしている。
その横には一本のペン。
「……これだ」
俺が言ったことは聞こえない。
でも。
人間は、紙に書いてあるものなら読める。
だったら。
書けばいい。
なんで今まで思いつかなかったんだ。
今なら、圭一も母親も二階にいる。
試すなら今だ。
俺はテーブルのところまで移動した。
まずはメモ帳。
一枚だけ取る。
少しくらい使っても大丈夫だろう。
次はペン。
横から押して、転がす。
コロ。
コロコロ。
紙の近くまで持ってきた。
さて。
問題はここからだ。
人間みたいに持つことはできない。
何度かペンの周りを動いて、押したり、挟もうとしたりしてみる。
一度、ペンが転がってテーブルの端まで行った。
「危ない危ない」
もう一度戻す。
今度は角度を変える。
台座の隙間にペンを押し込んでみた。
少し斜めになったけど、止まった。
「お」
いけそうだ。
身体を動かしてみる。
ペンも一緒に動く。
ペン先を紙につける。
カリ。
線が一本ついた。
「できるじゃないか」
あとは書くだけだ。
問題は、何を書くか。
圭一に一番伝えたいこと。
俺はお前を見ている。
ちゃんと見ているから、安心していい。
何かあっても、俺がいる。
それを伝えればいい。
長い文章は無理だ。
これだけでも結構大変そうだ。
ひらがなは丸いところが多い。
カタカナなら、真っ直ぐな線が多い。
こっちの方が書きやすいだろう。
「よし」
最初の一文字。
オ。
カリ。
カリカリ。
身体を少し動かして、向きを変える。
「……難しいな」
真っ直ぐ書いたつもりなのに、少し曲がった。
でも読める。
たぶん。
次。
マ。
それから。
エ。
ヲ。
ミ。
テ。
ル。
ゾ。
途中で何度かペンが外れた。
そのたびに挟み直す。
文字の大きさもばらばらになった。
線も歪んでいる。
それでも、時間をかけて最後まで書いた。
俺は少し離れて紙を見る。
そこには、不格好なカタカナで、
オマエヲミテルゾ
と書かれていた。
「できた」
これなら伝わる。
ただ。
誰が書いたのか分からなかったら困る。
俺はもう一度ペンを挟んだ。
最後に一文字。
K。
俺の後ろにあるのと同じ文字。
圭一が書いてくれた文字だ。
これなら圭一なら分かる。
紙を見る。
オマエヲミテルゾ
K
「……うん」
悪くない。
これなら俺の気持ちも伝わるだろう。
しばらく眺める。
「……」
もう少し眺める。
「……うーん」
何か足りない。
意味は分かる。
お前を見ている。
間違ってはいない。
でも。
これだと、今だけ見ているみたいじゃないか?
俺が言いたいのは、そういうことじゃない。
今だけじゃない。
これからもだ。
圭一のことは、ずっとちゃんと見ている。
「これじゃ弱いな」
せっかく初めて気持ちを伝えるんだ。
中途半端なのはよくない。
もう一枚、メモ帳から紙を取った。
ペンを挟み直す。
さっきより少し慣れた。
今度は一枚目より長い。
でも、こっちの方が俺の言いたいことに近い。
カリ。
カリカリ。
オ。
マ。
エ。
ヲ。
少し休む。
二階から、かすかに物音が聞こえた。
二人ともまだ上にいる。
大丈夫だ。
またペンを紙につける。
ズ。
ッ。
ト。
「……ッて難しいな」
小さく書いたつもりだけど、あまり小さくならなかった。
まあいい。
続ける。
ミ。
テ。
ル。
最後まで書いた。
その下に、もう一度。
K。
「よし」
二枚目を見る。
オマエヲズットミテル
K
一枚目の横に並べる。
オマエヲミテルゾ
K
オマエヲズットミテル
K
「これだな」
これならちゃんと伝わる。
一枚だけより、ずっといい。
俺が圭一のことをちゃんと見ていること。
ずっと気にかけていること。
二枚あれば、間違えようがない。
あとは圭一のところに持っていけば――
「……二枚か」
紙を見る。
一枚でも運ぶのは大変そうだ。
二枚を二階まで持っていくとなると、かなり時間がかかる。
途中で落とすかもしれない。
それに。
圭一は今、母親と一緒に二階にいる。
わざわざ持っていかなくても、そのうちここへ戻ってくる。
リビングなら母親も見る。
だったら。
ここに置いておけばいい。
俺は二枚の紙をテーブルの上に並べた。
なるべく目につくところ。
これなら見落とさないだろう。
「完璧だ」
あとは二人が戻ってくるのを待つだけ。
でも。
せっかくなら。
読んだ時の反応を見たい。
今まで何を言っても伝わらなかった。
初めて俺の言葉を読んだら、圭一はどんな顔をするんだろう。
きっと驚く。
もしかしたら、喜ぶかもしれない。
「楽しみだな」
俺は隠れられそうな場所を探した。
リビングのソファー。
その下ならちょうどいい。
俺は床まで降りて、ソファーの下へ入った。
少し暗い。
でも、ここからならテーブルの辺りも見える。
俺自身は見つかりにくい。
「よし」
あとは待とう。
二階から、まだ二人の動く音がする。
そのうち戻ってくる。
俺はソファーの下から、二枚の紙を見る。
ちゃんと並んでいる。
オマエヲミテルゾ。
オマエヲズットミテル。
その下には、どちらもK。
圭一ならきっと分かる。
俺からの言葉だって。
どんな反応するかな。
早く戻ってこないかな。
俺はソファーの下で。
少しわくわくしながら、その時を待った。




