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夜中に、誰かが鳴いている  作者: 宍戸 耀


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13/13

第13話 時計は歩かない

二階から降りてきて、俺と母さんはダイニングに戻った。


さっきまで二人で二階を探していた。


俺の部屋。


廊下。


父さんと母さんの部屋。


時計が入り込みそうなところは、一通り確認した。


でも。


ケイは、どこにも見つからなかった。


母さんが階段を降りてくるところを見たという時計。


今朝、俺が玄関の下駄箱の上で見たケイ。


少し前に、俺が捨てた時計。


それが今、この家のどこにいるのか分からない。


もう外は暗くなり始めていた。


夕食の準備は終わっている。


でも、父さんはまだ帰ってこない。


俺は椅子に座ったまま、何度か階段の方を見た。


母さんも落ち着かないみたいだった。


「……本当にいなかったね」


俺が言う。


「うん……」


母さんは小さく答えた。


その顔は、まだ青ざめている。


さっき、時計を探している時に母さんが言ったことを思い出す。


捨てられたことを怒って。


仕返しをしに戻ってきたんじゃないか。


そんなわけない。


俺は心の中でもう一度そう思った。


時計だ。


生き物じゃない。


捨てられたからって怒るわけがない。


仕返しを考えるわけもない。


そもそも。


自分で家に戻ってくることだってできない。


はずだ。


「母さん」


「何?」


「さっき言ってたことだけど」


「……仕返し?」


「うん」


母さんの顔が少し強張った。


「やっぱ、それはないと思う」


「どうして?」


「だって、時計だよ?」


母さんは黙った。


「時計が怒ったりするわけないだろ」


「……そうよね」


「歩いたりもしないし」


そう言うと、母さんが俺を見る。


「でも、歩いたのよ」


「いや……」


「私は見たの」


母さんの声が少し強くなる。


「階段を一段ずつ降りてきたの。カタン、カタンって」


「それは聞いたけど」


「だったら」


「でもさ」


俺は少し言いにくくなった。


「冷静に考えてよ。時計が歩くわけないじゃん」


母さんの顔が曇る。


「私だってそんなこと分かってるわよ」


「じゃあ……」


「分かってるけど、見たの」


母さんは階段の方を見る。


「だから怖いのよ」


俺も黙った。


母さんが嘘をついているとは思えない。


でも。


時計が自分で歩いた。


そう言われても、簡単には信じられなかった。


俺自身も、変な音は聞いている。


昨日。


階段を上がっている時。


俺が一段上がるたびに、後ろから。


カタン。


また一段上がると。


カタン。


まるで何かがついてきているような音だった。


それに、部屋で突然鳴ったベル。


でも。


俺は実際に時計が動くところを見ていない。


「……父さんには話したの?」


「電話では話したわよ」


「なんて?」


「古い時計だから、何かの拍子に階段から落ちたんじゃないかって」


「……やっぱり」


父さんならそう言いそうだ。


「信じてない感じ?」


「たぶんね」


母さんがため息をつく。


「まあ……仕方ない気もするけど」


「圭一までそんなこと言うの?」


「だって」


俺はまた階段を見る。


「俺も実際に見てないし」


「……」


「父さんだって、時計が歩いたって言われても普通は信じないだろ」


「そうだけど……」


母さんは納得していないみたいだった。


「……父さん、早く帰ってこないかな」


「そうね」


それから、しばらく二人とも黙っていた。


家の中が妙に静かだった。


冷蔵庫の音。


外を走る車の音。


遠くから聞こえる人の声。


普段なら気にも留めない音まで耳に入ってくる。


俺は何度も階段を見る。


カタン。


また、あの音が聞こえてくるんじゃないか。


そんな気がしてしまう。


でも。


何も聞こえなかった。


しばらくして。


母さんが立ち上がった。


「ちょっとリビング見てくる」


「うん」


母さんはダイニングを出ていった。


すぐ隣のリビングだ。


だから俺も、特に気にしなかった。


数秒後。


「きゃあああっ!」


「母さん!?」


椅子から飛び上がった。


リビングへ向かおうとする。


その前に、母さんが戻ってきた。


顔が真っ青だった。


両手に、白い紙を持っている。


「何!?」


母さんは答えなかった。


ただ。


震える手で、二枚の紙を俺に差し出した。


「……これ」


「何?」


受け取る。


母さんが普段使っている、小さなメモ帳の紙だった。


二枚。


そこに。


歪んだカタカナが書かれている。


一枚目。


オマエヲミテルゾ


その下に。


K


「……」


一瞬、息が止まった。


もう一枚を見る。


オマエヲズットミテル


その下にも。


K


「……嘘だろ」


手が震えた。


「圭一?」


俺はもう一度、一枚目を見る。


見間違いじゃない。


最後に、確かに書かれている。


K。


「……Kって書いてある」


「え?」


「ここ」


母さんに見せる。


母さんもその文字を見る。


「K……」


「ケイだ」


口にした瞬間。


背中がぞくっとした。


母さんが俺を見る。


「ケイって……あの時計?」


「たぶん」


昔。


俺が赤い時計につけた名前。


ケイ。


そして、その後ろに。


俺自身が書いた文字。


K。


母さんが二枚の紙を見る。


さっきまで以上に顔色が悪くなった。


「……やっぱり」


「何?」


「やっぱり、怒ってるのよ」


「え?」


「さっき言ったでしょう?」


母さんの声が震え始める。


「捨てたから、仕返しに戻ってきたんじゃないかって」


「いや、でも――」


「だって、これ」


母さんが紙を指さす。


「ずっと見てるって書いてあるのよ?」


「……」


「私たちを見張ってるんだわ」


母さんが周囲を見る。


リビング。


廊下。


階段。


「今もどこかにいるのよ」


「ちょっと待ってよ」


俺まで怖くなりそうになって、慌てて止めた。


「まだケイが書いたって決まったわけじゃないだろ」


「でもKって」


「それだけじゃ分かんないだろ」


俺はもう一度紙を見る。


確かにKだ。


でも。


だからといって、時計が書いたことになるのか?


「誰かのいたずらじゃない?」


「誰の?」


「……父さんとか」


母さんはすぐに首を振った。


「浩一がこんなことするわけない」


「でも、他に誰がいるんだよ」


「お父さんは、私がこういうの嫌いなの知ってるもの」


母さんは強く言った。


「今日だって電話で、私がどれだけ怖がってるか分かってる。それなのに、わざわざこんなことするわけないでしょう」


「……まあ」


それはそうかもしれない。


父さんが冗談を言うことはある。


でも。


母さんが本気で怖がっている時に、こんなことをするとは思えない。


それに。


父さんはまだ帰ってきていない。


「じゃあ……」


俺は紙を見る。


「誰が書いたんだよ」


母さんは答えなかった。


俺も答えられない。


俺じゃない。


母さんでもない。


父さんでもない。


だったら。


誰が?


「でも」


俺は少し考えてから言った。


「やっぱり、ケイっていうのも変だよ」


「どうして?」


「だって時計だよ」


「……」


「字なんか書けないだろ」


紙を持ち上げる。


線は曲がっている。


文字の大きさもばらばらだ。


かなり不格好だ。


でも。


ちゃんと読める。


「ペンだって持てないじゃん」


「……そうだけど」


「歩くのだってありえないのに、字まで書くって」


自分で言いながら。


少しだけ気持ちが落ち着いてきた。


そうだ。


ありえない。


時計が歩く。


時計が文字を書く。


そんなことがあるわけない。


……ないはずだ。


なのに。


視線が、またKに戻る。


「でも……」


思わず声が漏れた。


「何?」


「本当にKって書いてあるんだよな」


さっきまでより少し、自信がなくなった。


母さんが紙を見る。


「だからケイなのよ」


「いや……でも」


「やっぱり、仕返しに来てるのよ」


母さんの声がまた震える。


「捨てたことを怒ってるのよ」


「母さん……」


「それで、ずっと見てるって知らせてきたんじゃない?」


母さんは二枚の紙を見つめる。


「これ、警告なんじゃない?」


「警告?」


「脅してるのよ」


母さんが小さな声で言った。


「ずっと見てるぞって」


「……」


そう言われると。


そう読めなくもない。


普通に読めば。


かなり気味が悪い。


「……今も見てるのかな」


思わず口にした。


言ってから後悔した。


母さんがすぐに顔を上げる。


俺も周囲を見る。


リビング。


テーブルの下。


廊下。


階段。


何もいない。


何も見つからない。


でも。


見つけられていないだけで、どこかからこっちを見ているんじゃないか。。


そう思った瞬間。


急に、家の中全部が気味悪く感じた。


「……大きい声で話さない方がいいかも」


俺は声を落とした。


「どうして?」


「もし本当に見てるなら」


母さんを見る。


「俺たちがこういう話してるのも、聞かれてるかもしれない」


母さんの顔が固まった。


「……そうね」


母さんも声を小さくする。


「それなら、今もどこかに隠れて見てるのかも」


「やめてよ」


今度は俺が言った。


自分で言い出したのに。


想像すると怖い。


ソファーの下。


棚の隙間。


階段の陰。


どこかから。


あの赤い時計がこっちを見ている。


そんな気がしてくる。


「……もう、この話やめよう」


「うん」


それ以上、話す気にはなれなかった。


俺たちは二枚の紙を持って、ダイニングへ戻った。


できるだけ離れないように、隣同士で座る。


父さんが帰ってくるまで。


なるべく動きたくなかった。


俺は何度も玄関を見る。


「……父さん、まだかな」


「早く帰ってきてほしいわね……」


母さんも同じだった。


時計を見る。


さっき見た時から。


まだ、ほとんど時間が経っていない。


「……まだこれだけ?」


思わず呟く。


今日は。


時間が進むのが、やけに遅く感じた。

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