第2話 帰ってきた夜
家に着いた頃には、すっかり夜も更けていた。
どの窓にも明かりはついていない。
「もう寝てるのか」
思っていたより、ずいぶん遅くなってしまったらしい。
きっと俺のことを探し疲れて、眠ってしまったんだろう。
悪いことをしたな。
でも、ようやく帰ってきた。
まずは、俺が帰ってきたことを知らせないと。
人間には、俺が話している言葉は聞こえない。
だから、こういう時はベルを鳴らす。
昔からそうだった。
時間を知らせる時。
誰かに気づいてもらいたい時。
何かあったことを知らせる時。
ベルなら、ちゃんと人間にも聞こえる。
俺は玄関の前まで行った。
「ただいま」
もちろん、この言葉は届かない。
代わりにベルを鳴らした。
――ジリリリリリリリリリッ!!
静まり返った夜に、大きなベルの音が響いた。
……ちょっと鳴らしすぎたか。
久しぶりに帰ってきたせいで、少し力が入ったらしい。
まあいい。
これだけ鳴れば、さすがに気づくだろう。
俺はその場で待った。
けれど。
家の中は静かなままだった。
「……あれ?」
おかしいな。
昔なら、これだけ鳴らせば誰かがすぐに起きてきたはずだ。
よほど疲れているんだろうか。
少し待ってみる。
やっぱり誰も来ない。
仕方ない。
もう一度だけ鳴らそう。
今度は少し短く。
――ジリリリリリリリッ!
しばらくすると。
ガタッ。
家の中から音がした。
続いて、誰かが動く気配。
「おっ」
気づいてくれた。
やっぱりベルなら聞こえる。
少しして、家の中に明かりがついた。
扉の向こうから、声も聞こえてくる。
「……何?」
眠そうな声だった。
別の声もする。
「今の音、何だったの?」
みんな起きてきたらしい。
よかった。
俺が帰ってきたことに気づいたんだろう。
そのうち誰かが玄関まで来るはずだ。
俺は待った。
けれど、なかなか扉は開かない。
中から話し声だけが聞こえてくる。
「外じゃない?」
「何もないけど……」
「でも、二回鳴ったよね?」
「……うん」
何の話をしてるんだ?
俺はここにいるぞ。
もう少し待つ。
誰か来るかもしれない。
けれど。
パチッ。
家の明かりが消えた。
また静かになる。
「……え?」
なんでだ?
俺、帰ってきたんだけど。
気づいてないのか?
少し考える。
もしかすると、久しぶりすぎて分からなかったのかもしれない。
いきなり夜中にベルだけ鳴ったから、俺だと思わなかったんだろう。
「仕方ないな」
だったら、こっちから行けばいい。
自分の家なんだ。
遠慮することもない。
俺は家の中へ戻った。
懐かしい廊下を進んでいく。
前とは少し様子が変わっていた。
知らない物が増えている。
置いてある物も違う。
それでも、どこに何があるのかはだいたい覚えている。
長い間ここにいたんだ。
簡単に忘れるわけがない。
廊下を進む。
やがて、一つの部屋の前まで来た。
「ここだ」
懐かしい。
ようやく本当に帰ってきた気がした。
中へ入る。
机。
ベッド。
棚。
昔とはずいぶん変わっているけど、間違いない。
俺の知っている部屋だ。
そして、部屋の中には一人いた。
中学生くらいの男の子。
もう寝るところだったのかもしれない。
俺はしばらくその姿を見た。
大きくなったな。
ずいぶん変わった。
でも。
たぶん、圭一だ。
昔はもっと小さかった。
俺を持ち上げる時だって、両手で大事そうに持っていた。
今では、もうこんなに大きい。
「圭一」
呼んでみる。
やっぱり反応はない。
俺の言葉は聞こえない。
それでも、久しぶりに会えた。
少し嬉しくなった。
その時、机の上に見覚えのない物があることに気づいた。
薄くて、細長い四角い物。
表面は黒くて、つるりとしている。
「なんだ、これ」
前はこんな物なかった。
何に使うのかも分からない。
それに。
「そこ、前は俺がよくいた場所なんだけどな」
少し気になった。
俺がいなかった間に、新しい物が増えたらしい。
まあいい。
それより、圭一にもちゃんと帰ってきたことを知らせよう。
さっき玄関では、俺だと分からなかったみたいだ。
今度はこんなに近くにいる。
ここでベルを鳴らせば、さすがに気づくだろう。
「帰ってきたぞ」
言葉は聞こえない。
だから、ベルを鳴らした。
――ジリリリリリリリリッ!
「うわっ!?」
圭一が大きな声を上げた。
すぐに立ち上がる。
辺りを見回している。
「な、何!? 今の!」
お。
今度こそ気づいた。
俺は嬉しくなった。
やっと分かってくれたか。
圭一は部屋の中を何度も見回している。
俺の方にも目を向けたように見えた。
ところが。
そのまま部屋を飛び出していった。
「あれ?」
どこ行くんだ?
廊下から圭一の声が聞こえる。
「母さん! 母さん!」
そんなに慌てなくてもいいのに。
「なんか変な音した! また鳴った!」
……変な音?
俺は少し考えた。
ベルのことか?
久しぶりに鳴らしたから、少し音がおかしかったのかもしれない。
ずっと使っていなかったしな。
それに今日は、やっと家まで帰ってこられた。
少し張り切りすぎたか。
「悪かったな」
次はもう少し普通に鳴らそう。
まあ、そのうち慣れるだろう。
俺だって、しばらく働いていなかったんだ。
すぐに昔みたいにはいかない。
圭一も、そのうち俺だと気づくはずだ。
俺は改めて部屋を見回した。
いろいろ変わった。
机も。
部屋の中も。
圭一も。
知らない物も増えている。
机の上には、さっきの薄い四角いやつが置かれていた。
やっぱり気になる。
俺がよくいた場所だ。
「何に使うんだろうな」
でも、それも明日になれば分かるかもしれない。
今日はもう遅い。
俺も帰ってきたばかりだ。
急ぐ必要はない。
ようやく帰ってこられた。
また圭一にも会えた。
これで、前みたいに暮らせる。
朝になれば時間を知らせる。
必要な時にはベルを鳴らす。
またみんなの役に立てる。
そう思うと、嬉しかった。
「明日から、また忙しくなるな」
久しぶりの仕事だ。
今度こそ、ちゃんとやろう。
俺は机の近くで落ち着くことにした。
知らない物が増えていても。
圭一が大きくなっていても。
ここは俺の知っている家だ。
俺が帰ってくる場所だ。
「やっぱり、帰ってきてよかったな」
そう思いながら、
久しぶりの家で迎える夜を過ごした。




