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夜。
舞踏会が始まった。
大広間からは音楽が聞こえる。
楽しそうな声。
笑い声。
グラスが触れ合う音。
扉の向こうには、華やかな世界がある。
私は少しだけ覗いた。
王子殿下が令嬢と踊っている。
誰もが笑顔だった。
綺麗だと思った。
これが、人々が憧れる恋物語なのだと思った。
けれど。
足元に白いものが落ちた。
花びら。
私は反射的にしゃがむ。
「リア。」
サーシャが呼ぶ。
「今は待機時間よ。」
「すみません。」
私は慌てて立ち上がる。
でも。
その花びらを踏まないように、そっと端へ寄せた。
サーシャは少しだけ笑った。
「……そういうところ、リアらしいわね。」
⸻
舞踏会が終わった。
扉が閉まる。
音楽が止む。
人の気配が消える。
そして。
私たちの時間が始まる。
「始めるよ。」
マーサの声。
私はほうきを持った。
けれど。
想像していたより大変だった。
花びら。
グラス。
椅子。
装飾。
見落としそうな小さな傷。
どこから手をつければいいのか分からない。
「全部きれいにしなきゃ……」
気づけば、私は一人で焦っていた。
すると。
「リア。」
マーサの声。
「今、何を見ている?」
「え?」
「床?」
私は黙る。
「……全部です。」
マーサは首を振った。
「違うよ。」
「全部を見ようとすると、何も見えなくなる。」
私はもう一度、会場を見る。
床。
壁。
テーブル。
椅子。
そして。
そこに残されたもの。
「……時間を見る。」
小さく呟いた。
マーサは頷いた。
「そう。」
「この場所で何があったのかを見るんだよ。」
私はゆっくり周囲を見渡した。
倒れた椅子。
誰かが慌てて動いた跡。
落ちた花びら。
楽しい時間の名残。
「……分かりました。」
そこからは、不思議と少しだけ見えるようになった。
⸻
その時。
「それは触らない方がいい。」
後ろから声がした。
振り向く。
工具箱を持った青年。
修繕係の制服。
「装飾部分だ。」
青年は壁際の飾りを確認していた。
「直すから。」
「あ……ありがとうございます。」
私は頭を下げる。
その人は、壊れた場所をじっと見ていた。
少しの傷。
少しの歪み。
それだけで、何が起きたのか分かるようだった。
「すごいですね。」
思わず言う。
青年がこちらを見る。
「何が?」
「見ただけで、壊れた理由が分かるんですか?」
少し考えて。
彼は答えた。
「長く見ているから。」
その言葉に、私は少し笑った。
「私も……同じかもしれません。」
「?」
「床を見る仕事なので。」
青年は少しだけ目を細めた。
「そうか。」
短い返事。
でも、嫌な感じはしなかった。
⸻
作業が終わった頃。
私は報告書を持って修繕係へ向かった。
「修繕箇所の確認をお願いします。」
青年は紙を受け取る。
そして名前を書いた。
その文字が目に入った。
エリック・ハーウェル
「エリックさん。」
自然に名前を読んでいた。
彼は顔を上げる。
「はい。」
「失礼しました。」
「いや。」
少しだけ笑う。
「覚えてくれたなら嬉しい。」
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夜明け。
大広間は元の姿に戻った。
私は初めて、大きな仕事を終えた。
そして記録を書く。
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あとしまつ記録 第002号
担当者:リア
業務内容
・春宵舞踏会 あとしまつ
・花びら回収
・会場復旧補助
・修繕係との連携
備考
華やかな夜ほど、静かな仕事が必要になる。
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ペンを置く。
窓の外が明るくなる。
私はまだ知らなかった。
この日知った名前が。
これから先、何度も仕事記録に残る名前になることを。




