第34回 闞沢、太子孫登の死を見届ける
太子である孫登は、丞相である顧雍、中書令と待中を兼ねている闞沢の薫陶を受け、孫権の後継者にふさわしい人物へと成長していた。
ただ、孫登にも一つ心配な点があった。
それは、体の性質がそれほど強くなく、今日元気だったのに、明日寝込む、といった様な事を子供時代から今に至るまで繰り返しているのである。
孫登は太子という地位をひけらかして下々に強く当たったりせず、謙虚で勤勉で誰もがその将来を楽しみにしていた。
ある日、孫登が闞沢を訪ねてきた。孫登が言う。
「先生はよく、父から諮問を受けると思いますが、その時に何を一番大事と思い、お答えするのでしょうか。」
「一番大事なもの・・・。まずは、国の事を考えます。」
「国、でございますか。」
「はい。国とは、民とそれを率いる君主、それを支える者たちで構成されています。どれか一つ欠けても国とは言えません。それ故、国が一番大切なものだと思います。」
「先生、今のお話ですと、先生は国を民、君主、家臣の三者に分解されましたが、その中で最も大切なものはなんでしょうか。」
「この三者が組み合わさって国と考えているので、本来その三者に対して順位をつける必要性を私は感じませんが、敢えて言うのであれば、民、が最も重要でございます。」
「そうですね・・・。民がいなければ君主も家臣も成り立たなくなりますね。」
「そうです。もし何かお悩みになった時は、まず国の事を考えて、その答えが国のためになるのかどうか、検討されるのがよろしいかと思います。」
「わかりました。先生のお言葉、胸に刻みます。」
孫登は闞沢に拝礼した。
そしてその日は、突然やってきた。
太子孫登が亡くなったのである。
軽い風邪をひいただけと思いきや、異常なほど呼吸が苦しい状態に陥り、そのまま息を引き取った。
孫登はまだ三三歳の若さであった。
この死に最も衝撃を受けたのは、言うまでもなく、皇帝であり、父である孫権であった。
この日から孫権は、突然孫登の事を思い出しては、落ち込んだり涙したりと、かなり不安定な状態となっていた。
孫登は自分の死に際に、太子としてふさわしいのは弟である「孫和」であるという言葉を残した。孫権は、最愛なる孫登の遺言であるからと、その通りにした。
そして、闞沢に太子太傅も兼ねるように命じた。
闞沢は孫権に言う。
「孫権様。孫和様の太傅には丞相こそが相応しいのではないのでしょうか?」
「徳潤。正直言えば、それも考えた。しかし、丞相もかなりの高齢で、これ以上、負担をかけるわけにはいかない。そこで、丞相と同等の才知、そして信頼できる者としてお前を選んだのだ。忙しいだろうが、是非、受けてくれ。」
「かしこまりました。そういう事でしたら。」
こうして、闞沢は、中書令、待中に加えて太子太傅の任も兼ねるようになったのである。
孫和は孫登が自分の代わりに推しただけあり、聡明で慎み深いという謙虚さを持っていた。
しかし、孫権は何故か孫和の異母弟である「孫覇」を「魯王」にたて、待遇も孫和と変わらぬものとしたのである。
これは、孫権なりの考えがあった。
孫和は孫登同様、誰からも好感を持たれる人物であったが、少し消極的な部分があった。
一方で、孫覇は、孫登や孫和には無い「野心的」なところがあり、その言動は力強いものがあった。孫権は、自分の体の衰えも自覚してきており、控えめな孫和と、率先して前に出ていく孫覇で皇位を争わせようと考えたのである。
闞沢は太子太傅として、孫権に意見を言った。
「孫権様。孫覇様への特別な計らいは、無用なお家の中の争いを生むだけ。太子たる孫和様と明確な区別をつけなければ、家臣にも示しが尽きません。」
「・・・。孫和は孫登と似て、いささかひ弱なところがある。その一方で、孫覇には力強さを感じる。これからも乱世は続くであろう。その時、果たしてどちらが私の後継者にふさわしいのか、と思うことがあるのだ。」
「そうでありましても、太子を立てた以上、その太子に余程の非行が無い限り、廃嫡などするものではありません。身近にいくらでも、長幼の順を踏みにじり、滅んでいった者の例はあるではございませんか。」
「・・・。そう目くじらを立てるな。徳潤、お前のことを太傅に任じた時点で、私の心は決まっておる。」
「お気持ちはわかりました。それでもなお、一日でも早く、太子とそうでない者の区別は明確にするべき、と改めて進言させて頂きます。」
「・・・わかった。下がってよいぞ。」
闞沢は拝礼して、立ち去った。
こうして、孫呉では後継者の座を巡り、周囲が騒がしくなっていくのである。そして、孫呉に新たな不幸が降りかかるのである。




