第23回 闞沢、呉郡太守として時代の流れを見る
闞沢は、呉郡に赴くと、まずは呉景の墓に行き、祈りを捧げた。そして、これからの呉郡は私にお任せください、と誓ったのである。
呉郡では、今後の孫呉の事を考えて、内政に重点をおいた。
これから戦いの場所になるのは荊州方面であり、そちらに物資や兵を供給するのが呉郡の役目であると見定めたからである。
北方は、曹操と境界を接するので、決して油断はできないが、曹操の目は、荊州か西方の「関中」に向かうであろうというよみが闞沢にはあった。
そしてこの頃、状況が複雑化をしていた。
まず、劉備であるが、赤壁の戦いの際には息をひそめるようにしていたにもかかわらず、曹操と孫権が争っている隙を見事について、荊州南部四郡、すなわち武陵、長沙、零陵、そして闞沢には思い出深い桂陽を我が物にしたのである。
これに孫権は激怒したが、定まった領地をもたない劉備に、孫権が四郡を「貸している」ということにし、他の領土を手に入れたら、四郡を返還する約定をしていた。
そして、劉備は益州を支配する「劉璋」から、同族として、漢中の「張魯」討伐に手を貸してほしい、とお願いをされ、益州に兵を連れて中に入り、そこから約三年で益州を手に入れたのである。
益州を手に入れたのであるから、荊州南部四郡の返還を孫権は要求したが、劉備はのらりくらりと躱すような返答しかせず、明らかに返還する意思を持っていない有様であった。
そして紆余曲折を経て、最終的に孫権は曹操と同盟を結び、荊州を実際に支配していた「関羽」を討ち取り、孫権はようやくにして、荊州南部四郡を手中におさめたのである。
そして、孫権は「驃騎将軍」に任命された。これがまた、闞沢の転機となるのである。




