第10回 闞沢、張羨の覚悟を知る
一斉に開始された徴兵に、各県では理由があいまいであると、不満が噴出していた。しかし、太守の命令である以上、聞き捨てることもできず、皆、渋々この徴兵令に従った。
次に張羨が出したのは異動命令である。
各県で徴兵した新兵の半数を、郴県に送る様に命じたのである。名目的には、郡治である郴県の治安維持のため、となっているが、これも納得しない者が非常に多かった。
半ば強引に張羨は、最低限必要な準備を整えた。張羨はこう思っていた。
「劉表は動かない、いや、動けないはずだ。北の袁紹と曹操の激突がいよいよ始まろうとしている。袁紹と同盟を結んでいる以上、南方に目を向ける余力はないはずだ。」
そして、ここに張羨は、これを好機として、万全とまでは言えないが、桂陽郡の独立を宣言したのである。
この情報は、瞬く間に各地に広がり、当然、荊州牧の劉表の耳にも入った。劉表は普段は温和な雰囲気を醸し出す儒者の様な男であるが、この時ばかりは盃を叩き割るほどの怒りを見せたのである。
「北の情勢で我が動かぬと思っての行動か!」
劉表は大声で叫んだ。そして、矢継ぎ早に指示を出す。
まず、桂陽郡と隣接している長沙郡と零陵郡に早馬を飛ばし、桂陽郡への侵攻を命じた。そしてなんと、襄陽からは劉表自らが大軍を率いて南下を開始したのである。
張羨は、劉表を完全に侮っていた。
まさか、これほどまでに早く本格的な軍事行動を展開するとは、よんでいなかったのである。
張羨は焦りを感じたが、何とか、長沙と零陵の軍とは互角の戦いを演じることが出来た。しかし、劉表が大軍を率いて日に日に迫ってきており、そちらにどう対応するかの方策は立たなかった。
張羨は主だった者を集めて、軍議を開いた。もちろん、闞沢も出席をしている。張羨が言う。
「劉表軍が刻一刻と近付いている。思いの外の大軍だ。我々としてはどうすればよいか、意見のある者はいないか。」
誰も積極的に意見を言う者はいなかった。
そして、誰もの脳裏に浮かんだのは「降伏」という言葉である。しかし、それをいきなり発言する勇気がある者はいない。沈黙に嫌気がさしたのか、張羨が闞沢に聞く。
「徳潤よ。何か策はないか。」
「私は軍事の専門家ではありませんが、よろしいでしょうか。」
「ああ。専門家も何の発言もないのだ。あるのなら、頼む。」
「残念ながら、例え籠城をしたとしても、外からの応援が無い限りはどうしようもありません。ここは、潔く降伏をするべきだと思います。」
「降伏・・・。降伏して許されるであろうか。」
「張羨様が許されることは無いと考えます。ただし、その部下たち全員死罪、ということにはならないと推察を致します。」
「・・・。それは、私の首を劉表に差し出して、他の者の許しを請う、ということか?」
「はっきりと申し上げれば、そうなるかと。」
他の者たちがざわつき出した。自分たちが生き残れる可能性のある話を闞沢がしたからである。張羨が言う。
「徳潤よ・・・。私に死ね、ということか・・・。」
「勘違いなさらないで頂きたい。無論、私もお供を致します。」
「お前が死ぬことはあるまい。私一人で十分だ。」
ここで黙っていた郡丞が言う。
「私は、張羨様と過ごした年月が一番長い。私は、お供致します。」
都尉が言う。
「私も、この郡全体の軍を統括する立場でありながら、何の策も持ち合わせておりません。せめて、張羨様のお供をさせてください。」
張羨が言う。
「お前たち・・・。この愚かな男に殉ずるというのか。」
「はい。劉表も、太守、郡丞、都尉の首を差し出せば、きっと受け入れるでしょう。」
「・・・わかった。徳潤よ。」
「はい。」
「我ら三人が全ての罪を負う。そして、お前が代表となり、この首を差し出して許しを請え。」
「・・・。見事なお覚悟でございます。この闞徳潤、しかと承りました。」
三人は、見事に自害をして果てた。闞沢は、その首を斬る様に命じ、それぞれ箱に納めた。闞沢は心の中で呟く。
「張羨様。本来であれば、呉景様の命に従い、もっと早い段階で私自らが、あなたのお命を頂戴するはずでした。しかし、あなたの私欲からではない、理想の国造りと言う言葉に惹かれ、その風景を見てみたいと思い、ここまでついて参りました。しかし、結局はこの様な事になってしまいました。せめて、他の者たちの命が救われるように、この闞徳潤、尽力致します。」
こうして闞沢は、張羨、郡丞、都尉三名の首を持ち、急ぎ劉表の軍営へと向かったのである。




