第五十二話 潜入
月明かりのない夜。
トリリネア城の正門とは反対側、断崖絶壁を一人の男がよじ登っていた。
黒い装束に身を包んだその男の名は、飛影。
エルグラント解放連合北東支部司令部斥候班の隊員である。
今回の任務は、トリリネア城への潜入と内部調査。
闇の中、指先で岩肌のわずかな凹凸を探り当て、手足を掛けて滑るように登っていく。
足場が見つからない時は、懐からクナイを取り出し、岩を削って支点を作った。
ふと見上げると、城はまだ遠く、小さく見える。
監視塔からは淡い光が漏れ、城壁の上では、見回りの持つ松明の炎が揺らめいていた。
(城への潜入は、国を出て以来か)
飛影の出身は、喜一と同じ蒼嶺国。
かつて彼は、忍者だった。
主君に仕え、諜報、破壊工作、侵入、暗殺を生業とする、影として生きる者達。
飛影は真影流忍者の一人として、影の里で技を磨き、当時十五歳の若さで上忍にまで上り詰めた。
上忍は長を除けば最高位。
その証として、名に影の一文字を冠することを許される。
しかし、今から三十年ほど前に、仕えていた武将は天下統一を果たした帝に討たれた。
帝は影の里の長、真影に選択を迫る。
服従するか、忍びの技を捨てて市井に生きるか選べ、さもなくば、里を滅ぼすと。
長は里の解散を決断した。
里の者達は帝に仕えるか、市井に下るか、それぞれの道を選んだ。
だが、飛影は納得できなかった。
敵であった帝に仕えることも、己が積み上げてきた忍びの技を捨てることも。
ゆえに選んだ。
国を出て、忍びの技で生きるという道を。
そして今、その技は戦場で使われている。
やがて城壁へと差し掛かった、その時、見回りの松明の光が、飛影の姿を照らした。
(しまった!)
次の瞬間、見回りの魔人が声を張り上げる。
警鐘が鳴り響き、城内に音が広がった。
魔人が手をかざし、火球を放つ。
飛影は迷わず城壁を蹴り、真っ逆さまに、断崖へと身を投げる。
この高さから地面に叩きつけられれば即死。
飛影は空中で素早く印を結ぶ。
「忍法、風遁・上昇気流の術!」
次の瞬間、下から吹き上げる突風。
飛影は懐から大きな布を取り出し、それを風に受けさせる。
落下の勢いが殺され、ゆっくりと地面へと着地した。
飛影が使用したのは忍術。
忍術とは、体内のエネルギー、チャクラを用いて発動する技。
言葉こそ違えど、本質は魔法と同じ。
ただし、人族の魔法が詠唱を要するのに対し、忍術は印を結ぶことによって発動する。
飛影は城を見上げ、小さく息を吐いた。
「潜入は難しいか」
一瞬、悔しげに眉を寄せる。
「斥候班長に報告せねば」
そう呟くと、その姿は闇の中へと溶けるように消えていった。
───
数日後、陣地内のテントにて、ドレイクはミアとホークを呼び寄せていた。
「再編成が終わった、新しい仲間を紹介する」
新しい仲間……それは、喜一とゴルグの代わり。
ミアとホークは、複雑な面持ちでその言葉を受け止めていた。
あの、他に右に出る者はないのではないかと思える程の、圧倒的な剣の腕を持つ喜一。
そして北東支部一の怪力と言われたゴルグ。
その穴を埋められる者などいるのか……と。
「二人とも、入って来なさい」
テントの幕が開く。
現れたのは二人。
大闘技都市グラディオンの闘技場覇者、最強の闘士、疾風のヴァルカ。
そしてもう一人。
英雄譚にも名を残す、生ける伝説、放浪の自由騎士、鉄壁のアルベルト。
ミアが思わず声を上げる。
「ええっ!? ヴァルカさんは第三遊撃隊でしょ? なんでうちに?」
ホークも続く。
「アルベルト殿に至っては、解放連合の隊員ですらないじゃないですか!」
ドレイクが手を上げて二人を制する。
「落ち着け、部隊再編で遊撃隊は九から六に縮小された。第三遊撃隊長は騎兵隊長に就任したため、ヴァルカは我々の隊に編入されたのだ」
ヴァルカは軽く肩をすくめる。
「よろしく。一応、キーチとはライバルのつもりだからね。足を引っ張ることはないと思うよ」
ドレイクが続ける。
「アルベルト殿は義勇兵として参戦していたが、遊撃隊の戦力不足を補うため、一時的に協力していただけることになった」
アルベルトが穏やかに一礼する。
「皆様とは先日お会いしましたな。ドレイク殿に口説き落とされましてな。キーチ殿とは武術大会で刃を交えた仲、微力ながら力を貸させていただきます」
二つ名を持つ強者が二人。
これ以上ない戦力だった。
ドレイクは一同を見渡す。
「……察しているだろうが、現在の第五遊撃隊は北東支部だけでなく、すべての解放連合遊撃隊の中でも最強の布陣だ」
ミアとホークが静かに頷く。
「この戦力をもって魔将軍、千剣のラグナヴェイルを討つ!」
ホークが口を開く。
「ですが、あの魔法剣はどうするんです? あれじゃ近づくこともできない……矢も魔法も防がれちまう」
ドレイクは一拍置き、答えた。
「他部隊が先行して突撃し、奴に魔力を使わせる。魔力が尽きた瞬間、我々が仕留める」
その言葉の意味を、全員が理解する。
他部隊の突撃、それはラグナヴェイルの魔力が、いつ尽きるのかも分からない中で、多くの命を消耗するということだ。
ミアが息を呑む。
「そんな、そんなこと……」
ホークが小さく呟いた。
「一体、何人死ぬことになるんだ……」
重い空気がテント内を満たす。
ドレイクは視線を落とした。
「言いたいことは分かる。だが、勝つためにはこれが最善だ。奴が魔力切れになるまでは、我々は魔軍団長と一般兵を引き受ける」
そして顔を上げ、言い放つ。
「決戦は一週間後! それまでに連携を仕上げる! 各自、準備を怠るな!」
一瞬、テント内が静まり返る。
やがて、全員がゆっくりと頷いた。




