第十三話 リューネ村
あの時までは、森は僕達の庭だった。
夜、僕は暗い部屋の中で、震えながら息を殺していた。
ドアの前には椅子や棚を積み上げ、背中で必死に押さえる。
ドアの向こうから聞こえてきたのは、母さんの悲鳴、父さんの怒鳴り声。
何かが割れる音、重いものが倒れる音。
そして……静寂。
心臓の音だけが、やけに大きい。
やがて廊下から、ギシッ、ギシッ……と、床板が軋む音が聞こえる。
近づいてくる。
あいつだ。
(神様、エルドア様……どうかお守り下さい)
僕は両手を組み、必死に祈る。
部屋の前で足音が止まる。
扉越しに、荒い息づかいが聞こえる。
獣のようで、それでいてどこか人間に似た、湿った呼吸。
次の瞬間……轟音とともに、ドアごと僕は吹き飛ばされた。
身体中を衝撃が走る。
床を転がり、壁に叩きつけられる。
「かはっ!」
息が詰まり、咳き込む。
涙で滲む視界の先に、あいつが立っていた。
四本の足で。
異様に長い前足、鋭い爪、口から唾液をポタリ、ポタリと垂らし、真っ赤な瞳で僕を見下ろしている。
怖い。
心臓が爆発しそうだ。
息が、できない。
あいつが一歩、近づく。
涙が溢れた。
(勇者様、助けて下さい……)
―――
新世歴八年、リューネ村。
僕達は教会で神父様の話を聞いていた。
この世界、エルグラントは、神エルドア様がお作りになられた。
何もない虚無に、海と五つの大陸を。
中央大陸に人族を。
東大陸に獣人族を。
西大陸に妖精族を。
北大陸に巨人族を。
南大陸には、人の住めぬ永久凍土を。
四種族は均衡を保ち、繁栄してきました。
しかし九年前、その均衡は崩れました。
魔界より魔人の軍勢が侵攻。
北大陸は陥落し、いまや中央大陸にも魔の手が迫っています。
けれど、案ずることはありません。
いつの日か必ず。
奇跡の力を持つ聖女と、世界を救う勇者が現れ、魔王を討ち、この世に平穏をもたらすでしょう。
神父様はそう言って、僕達の頭を撫でた。
そのあと僕達は、いつものように森へ冒険に出た。
森には木の実、花、昆虫、石、キラキラと輝く宝物がたくさんある。
小川には、小さい魚もいる。
森の奥には大きな洞窟もあった。
森は季節ごとに色々な顔を見せてくれる。
友達のダリオは、捕まえた蛇をエマに見せびらかして泣かせてしまい、あとで父親にゲンコツをもらったらしい。
だけど、ダリオとエマはもういない。
二人共、あいつにやられた。
―――
新世歴十年
目の前にいるそいつが、森に現れるようになってから、森に入ることはできなくなった。
そいつは村に現れては人を攫って行く。
きっと僕の両親ももう……。
そして、今度は僕の番。
そいつは後ろ足で立ち上がり、鋭い爪を振り上げた。
僕は目を閉じる。
暗闇。
ドン、と何かが倒れ込む音。
温かい液体が頬に飛んだ。
恐る恐る目を開ける。
目の前で、そいつが倒れていた。
背中から血が噴き出している。
その向こうに、男の人が立っていた。
黒い髪、静かな瞳。
手には、少し曲がった、不思議な形の剣。
男の人は、剣の血を払い、僕を見る。
「おい、大丈夫か?」
低く、落ち着いた声。
僕は震えながら、その人を見上げていた。
神父様の話が、頭の中で鳴り響く。
『奇跡の力を持つ聖女と、世界を救う勇者が』
目の前にいるのは……。
「勇者、様……」




