第十二話 旅立ち
楽団の音楽と、ざわめきに満ちたパーティー会場。
しかし、喜一の周囲だけは静まり返っていた。
まるで時間が止まったかのように、皆が固まっている。
沈黙を破ったのはルドリックだった。
「なにやら込み入った話のようですので、我々は席を外しましょう」
「そうですな。キーチ殿、また手合わせすることがあれば、よろしくお願い申し上げます」
「また会う日までに、もっと魔法の腕を磨いておくよ」
三人は去っていく。
「あ、おい……」
一瞬の静寂。
「で、どうするんだい?」
ヴァルカが平然と問う。
「どうするって、番いっていうのは夫婦になるってことか?」
「他に何があるんだい?」
喜一はため息をつく。
「それなら断る。俺は世界最強になるために戦に行くんだ。伴侶を探している訳じゃない」
「おや、釣れないねぇ」
「それに、異種族間は子を成せないと聞いたことがあるぞ。獣人族にいい相手はいないのか?」
ヴァルカは肩をすくめる。
「ウチの部族の男共は揃って軟弱者でね。一度でも私に勝てたら考えてやるって言ってるんだけどね」
「それ、難しくないか?」
「そうかい?」
沈黙が流れる。
(なんなんだこれは、どうしろって言うんだ!)
喜一はルドリックの方を見ると、商人らしき男と談笑している。
喜一はため息をつき、口を開いた。
「ヴァルカはグラディオンの闘技場覇者なんだろ? 帰らないのか?」
「ああ、それなら……」
ヴァルカは語り始めた。
部族では、勇猛を示した者が一人前と認められる。
方法は自由、巨大な獲物を一人で仕留めるもよし、戦士と戦い力を示すもよし。
ヴァルカは中央大陸の戦に参加し、手柄を立てようとした。
しかし……中央大陸に着いたはいいが、食料も水も尽き、道端で倒れた。
拾ったのは奴隷商人、そのまま闘技場へ売られた。
三年間、負ければ死ぬ檻の中で戦い続け、賞金を積み、自分自身を買い戻した。
「闘技場で戦っていたら、いつの間にか最強の闘士なんて呼ばれるようになってね」
「自分から闘士になった訳じゃないのか」
「最強の称号を持って故郷に凱旋しようと思ったけど、金がなくてね。帰りの船賃を稼ぐために武術大会に出たって訳さ」
「後先考えない奴だな」
戦いは緻密なのに、人生は破天荒だ。
「そういうあんたはどうなんだい?」
喜一も自分の経緯を話すと、ヴァルカは鼻で笑った。
「あんたも似たようなもんじゃないか」
「うっ……」
否定しきれない。
「それなら、私もキーチと一緒に北部の戦に参加しようかねぇ」
「何でだよ、帰るところだったんだろ?」
「そう思っていたけど、あんたに負けて船賃も稼げなかったからね。急ぎで帰る理由もないし、最初の目的通り、戦に出るのも悪くない」
「そういうことなら、一緒に行くか? 戦場までの馬車は手配してもらっている」
「本当かい?」
ヴァルカの尻尾が左右に揺れる。
「それじゃ決まりだね、出発は?」
「数日中だ」
「わかった、仕度しておくよ」
数歩進み、振り返る。
「子供ができないって言っても、行為自体はできない訳じゃないんだ……どうだい、試してみるってのは?」
喜一は手のひらを下にして追い払う。
ヴァルカはニヤリと笑い、去っていった。
やがてルドリックが戻る。
「キーチ様、ヴァルカ殿との話は?」
「戦に一緒に行くことになった」
「なるほど、番いとはそういう……私はてっきり結婚の申し込みかと」
その通りなのだが、ややこしいので黙っておく。
―――
三日後、レイグラム出発の日。
宿の前に停められた馬車には、旗が立っている。
旗には漢字で「世界最強」と書かれていた。
「キーチ様、馬車はいかがですかな?」
「いい、特にこの旗がいいな!」
ルドリックが満足げに頷く。
「キーチ様、こちら御者を務めさせていただきますレナードです」
茶髪の青年が前に出る。
髪は短く清潔感があり、姿勢が正しく、真面目な印象を受ける。
「レナードです。本日より、キーチ様の移動任務を担当いたします。何卒、よろしくお願いいたします」
声はやや硬く、きっちりしている。
「こちらこそ、よろしく頼む」
握手を交わす。
「彼は馬の扱いだけでなく、私の補佐として書類作成も任せております。信頼できる部下です」
レナードは小さく一礼する。
「道中、文字の読み書きもお手伝いできるかと存じます」
「まだ覚えきれていないから助かる」
そのとき。
「へえ〜、これがキーチの馬車かい」
ヴァルカがやって来て、馬車を見上げる。
「なんだい? この……文字?」
「これは、キーチ様と私の夢でございます」
「ふ~ん」
ヴァルカは軽やかに馬車へ乗り込む。
喜一はルドリックと向き合う。
「それじゃ、世話になったな」
「キーチ様が世界最強になられる日を、心待ちにしております」
固く握手を交わす。
レナードが御者台に上がる。
「出発いたします」
手綱を握る動きも正確だ。
馬車がゆっくりと進み出す。
ルドリックの目から涙が溢れる。
「キーチ様ー! お達者でー!」
馬車は遠ざかる。
世界最強と書かれた旗が、小さくなっていく。
やがて馬車が見えなくなるまで、ルドリックは手を振り続けていた。




