24話 空曜日の住人
数日がたったある空曜日だった。
空が光った。
それは流れ星のように。
一筋の光の後を追うように、少年と少女は落下していた。
空から二人が降ってくる。
ゆっくりと。
ゆらゆらと。
「ナオト!」
「シオン王女!」
いち早く光を発見し、即座に落下地点を割り出して、待ちかまえていた博士と銀色猫のアヲは、降ってきた空曜日の住人をしっかりと受け止めた。
二人は静かに目を開ける。
「父さん……」
「アヲ……」
博士はナオトを抱きしめた。
アヲはシオンに抱きしめられた。
「ほんとうに……よかった……」
「よくぞ……無事であったな」
その時だった。
「ここにいたのね……やっと……見つけた!」
三人と一匹の足下には、三毛猫のクロ王妃が立っていた。
虚ろな瞳で、三色の毛並みも薄汚く、王妃の品格や威厳というものをどこかに捨て去ってきてしまったかのようなその佇まいは尋常ではなかった。
「グレイはどこなの……?」
狂気じみたクロ王妃の声が木霊する。
その場にいる誰もが答えを知っていた。
だが、誰一人として、答えようとしなかった。
「やっぱりそうなのね。シオン……あなたがグレイを……」
全てを悟った三毛猫のクロ王妃は、体中の牙と爪をむき出しにし、自分の何倍も背丈があるシオンに飛びかかった。
「あなたは……そんな呪われたような赤い瞳をして……空曜日の住人のくせに……私の大事なグレイを……」
研ぎ澄まされた爪が限界まで飛び出した肉球を握りしめ、今にも皮膚という皮膚を八つ裂きにしてしまいそうな時だった。
「そうではない!」
クロ王妃は背後を見た。
そこには血の滲む包帯姿が痛々しいクロ猫のシロ王が警備兵に支えられるようにして立っていた。
「違うんじゃよ」
「何が違うというのです?」
「シオンだけではないんじゃ」
「ですから、何のことをおっしゃっているんです、シロ王?!」
いつものように自分に都合が悪くなると激しさを増してくる頭痛を押さえるかのように、王妃はこめかみに右前足をあてがった。
「この世界のモノは、時期の違いこそあれ、皆……」
シロ王は深く息を吸い込み、静かに目を閉じた。
「すべて空曜日に空から降ってきたんじゃよ」
王妃のまん丸な瞳が大きく見開いた。まるで目前の空気が凍り付いたのを必死に見逃さすまいとするかのように。
「例外はない。たったの一つさえも。つまり、グレイやそなた、王妃も含めて、な」
「そんなこと……信じられ……ません」
「本当のことなんじゃよ」
「嘘です! グレイは私がお腹を痛めて産んだ子供です! あなたはシオンを救う為に、嘘をおっしゃっているのでしょう?」
こめかみを押さえる前足が片方では足りないぐらい、激しい頭痛に襲われ、王妃はその場にしゃがみ込んでしまった。
「違う! そなたはそう思いこんでいるだけなんじゃ。グレイもシオンと同じように、ワシが空曜日に拾ってきた子なんじゃよ」
「そんな……嘘です……嘘といって下さい……シロ王!」
シロ王は、痛みに耐えるようにゆっくりと歩み寄り、優しく包み込むように、発狂寸前に荒れ狂う王妃を抱きしめた。
「ワシは嘘などつかぬ」
王妃の頬には大きな涙の粒がいくつも滑り落ちていった。
「最初に、この世界に空から産み落とされたのは、ワシだった。まだ誰もいない、何もない、本当に寂しい場所だった」
シロ王を王妃をさらに強く、優しく抱きしめる。
「どうしてこんなところに一人なのか、まったくわけがわからないまま、ワシは困惑し、毎日途方にくれていた」
王妃の頭に手をやり、柔らかな毛を何度も何度も、愛おしそうに撫でた。
「ある日、気が付いたら、ワシは泣いていた。寂しかったのか、悲しかったのか、辛かったのか、それともその全てだったのか、それ以来、ずっと泣き続けた」
自分が泣いていた時を思い出したかのように、王妃の瞳からこぼれ落ちる涙を、丁寧に前足で拭った。
「何をしても一緒。何をしなくても一緒。何もない。何も変わらない。これこそが、絶望というモノなのだと、その時初めてわかったのだ」
「シロ……王……」
王妃の涙は止まるどころか、さらに溢れ出し、肩を揺らして泣きじゃくり始めた。
「そして、もう、すべてを終わりにしようと崖から身を投げようとした瞬間だった」
シロ王は穏やかな笑みを浮かべ、王妃を見つめた。
「そなたが空から降ってきた」
「空から……私が……」
「そうだ。だが、落ちてきてしばらくの間はずっと、お前は眠り続けていた。ようやく目覚めた時、なぜだかわからないが、そなたはワシのことを『シロ王』と呼んだ。どうやら自分は、どこかの国の王妃だと思いこんでいるようだった。だからワシは国王となり、そなたの夫のフリをした。そしてそなたは王妃となり、ワシの妻となった」
シロ王は小さく笑った。
「不思議なモノだ。ついさっきまで死のうとしていたのに、たった一人の他人に、自分の存在を証明してもらい、必要とされる——それだけでワシはとても幸せな気持ちになった」
王妃はようやく涙が静まり、しっかりとシロ王の瞳を見つめた。
「そなたのおかげだ。王妃が空から降ってきてくれたおかげで、ワシは死ぬのをやめた。生き続けて、そなたを幸せにしようと思うようになった。ありがとう。ミライ」
本当の名前を呼ばれ、王妃は雪解けのような密かな笑みを浮かべた。
その瞬間、王妃は人間だった頃の、少し神経質そうな女性の姿に変貌した。
それを待っていたかのように、シロ王も人間のふくよかで全身から優しさがにじみ出ている男性へと姿を変えた。
二人は日溜まりの中にいるかのように、暖かく抱きしめあった。
「それは何十年も前のことだ。長い月日が経つごとに、空曜日に降ってくるモノが増えて、住人も増え始め、どんどん国も豊かになっていった。ワシはいつのまにか、寂しいという言葉すら忘れてしまうほど、幸せな日々をおくれるようになっておった。そんな時だった。シオンが空から降ってきたのは……」
温かい眼差しでシロ王は、シオンを見つめた。
「初めて会った時、シオンは何かにおびえているようだった。すべてを拒絶したような、冷たく堅く、重苦しい深紅の瞳をしていた」
過去の記憶を思い出したのか、シオンは少し悲しそうな顔をした。
「ワシは思ったのだ。この子を幸せにしなくてはと。王妃のおかげで、ワシがこの世にとどまれたように、この子にも笑顔を取り戻さなくてはならないと」
シロ王は、力強く王妃の瞳を見つめた。
「だから、ワシは王妃もシオンも、皆幸せであってほしいのだ。そなた達が仲違いをしているのはとても辛い。この世界で、誰か一人でも、悲しい顔をしている者がおるのは、心が痛むのだ。皆が幸せで笑顔で過ごすことを願うのは、何か間違っておるのだろうか?」
王妃はゆっくりと首を横に振った。
「何も間違っておりません」
「では、ずっと、笑顔でいてくれるか?」
王妃は静かに頷き、シオンの方へと歩み寄った。
シオンも王妃をしっかりと見つめた。
「すべてを許してくださいとはいいません。けれど、間違った考えで、一方的にあなたの笑顔を奪い続けてきたことを謝りたいのです。ごめんなさい……シオン」
母親として、王妃は初めてシオンを抱きしめた。
壊さないように、温かく、静かに。
「お母……さん……」
シオンは過去の自分ができなかったことをやり遂げた。
母親の愛情を受け止めるという、人として当たり前のことを、今、ようやくやり遂げることができた。
シオンは声を上げて泣いた。
肩を揺らし。
赤子のように。
背後にはシロ王が父親として、夫として、妻と娘を太陽のように尊大に抱きしめた。
三人はようやく本当の親子となった。




