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コトノハ猫の空曜日  作者: トロ
23/27

23話 最後のコトノハ

 ほぼ完全な状態となった分身は、ニヤリと嫌な笑いを浮かべる。


 揺れ動くばかりのナオトを見下ろしながら、分身は右手をかざした。

 ありとあらゆるコトノハが、ナオトの脳から剥がれ、分身に吸い取られている。


〈考える為の脳と、たった一文字のコトノハを唱えるための口だ〉


 大量にコトノハが、分身に飲み込まれた時だった。


〈残されたコトノハは、たった一つだ。さぁ、自分に向かって唱えろ〉


 唯一残されている最後のコトノハが何なのか、ナオトにはわかっていた。

 それは『シ』だった。


 分身は、死を意味するコトノハで、自分自身を攻撃しろと言っている。

 ナオトを消滅させ、すべてを取り込んだ自分がナオトに成り代わろうとしているのだ。


〈さぁ、早く! お前が唱えないなら、変わりにオレ様が、このバカ女に向かって使ってやってもいいんだぞ。どっちがいい?〉


 薄黒かった分身は今や、本来のナオトと同じ色で同じ姿をし、抵抗するシオンを無理矢理羽交い締めにし、ましてや死を要求してくる。


 ——こんな状況でも、ボクは何もできない。

 ——いつもそうだ。いつだってボクは役立たずなんだ。


 絶望に飲み込まれそうになっていた時、絞り出すようなシオンの声が脳裏に届いた。


「ナオト……! ワタシの宿題を……思い出せ! その答えを……ヤツにぶつケルのだ」


 驚いたようにナオトは、あるはずのない目を見開いた。 


「思い出せ! 一つの文字には、タクサン、別の意味がアル……わからぬか?」


 ——一つの文字に……たくさんの意味……そうか!


 ナオトは『シ』が意味するいろんな言葉をいくつも頭の中で思い出そうとした。

 いきなり死を意味する『シ』が思い浮かぶが、なんとかそれを振り切るように別のイメージを必死に探す。


 まずは、詩を意味する『シ』を。

 コトノハが、ぼんやりとナオトの額に浮かび上がる。

 それを見た黒い分身が、ニヤニヤと笑っているように、ナオトには感じられた。


 ——これではダメだ。


 ナオトはフル回転する頭でイメージをたぐり寄せる。

 生きようとする志を意味する『シ』を。


〈お前……何を考えている?〉


 コトノハの発する色が変わったことに、黒い分身は少し動揺しているようだ。


〈早く最後のコトノハを唱えろ!〉


 凍り付くような刹那に、ナオトは気がついた。

 本当はすべて分かっていたということに。

 今改めて気づいただけだということに。


 ——そうだ、お前はボクだ。

 ——そしてボクたちは、始まりは一つだった。だから……。


 最後にナオトは、頭の中で力強くイメージした。


 自分が自分でありたいと願う私を意味する『シ』を。

 終わりではなく始まりを意味する『シ』を——。

 二つのイメージを思い浮かべながら、ナオトは最後のコトノハを叫んだ。


「シ!」


 その瞬間、『シ』のコトノハが額から光の束になって放たれ、黒い分身に一直線に突き刺さった。


〈ぎぃゃゃゃゃゃゃぁぁぁぁぁ!〉


 地が割れるほどの悲鳴をあげながら、黒い分身はチリとなって破裂した。


〈なぜ……だ……〉


 空気中に散らばった黒い霧は、地面に転げ落ちたナオトの頭部へと吸い込まれていく。


 黒い霧が吸収されるとともに、ナオトは体の色を取り戻していった。

 手が、腕が、足が、胴体が、顔が、徐々に元通りになっていった。

 ぐったりと倒れたままのナオトに、シオンが駆け寄った。


「ヨカった……ナオト……ホンとうに……ヨカった、無事で……」


 シオンがナオトを強く抱きしめた。

 初めて抱きしめた、あの日よりもずっと強く。


「なぁ、覚えてイルか?」


 二人は見つめ合った。

 お互いに、とても優しい表情をしている。


「初めて出会った時、ナオトが教室の中で一番悲しソウな顔をしてイタ」

「ボク……が?」


「五秒後に世界が終わってしまえばイイのにと願っているかのような、ソンナ全てに絶望した瞳をしてイタ」

「……」


「それはマルで、昔の自分を見るヨウだった。だから、お前と友達にナロウと思った。ワタシは必死に話しかけた。下手な日本語で、どれダケ言い間違いをしてもカナらず伝わるハズだと信じて、お前に話しカケた。少しでもナオトが笑ってくれレバ良い、それダケを信じて」


「そう……だったのか」


「ワタシはコノ世界に来て、大事なコトを教えてもらった。なぜ自分が生きてイルのか。どうしてコンナに苦しい思いをしてまで生きていなければナラないのか。そんなコトばかり考えてイタ時、父上にこう言わレタのだ」


 シオンは目を閉じた。

 脳裏に刻まれた、大切な光を思い出すかのように。


「もし、毎日が辛くて、もう死んでしまいタイと思った時は、最後の一歩を踏み出す前に、どんなチッポケなことでもイイから、なにか楽しカッタり、面白かったコトを思い出せ。モシ、その時、一瞬でも笑顔になれタラ、それはマダ、自分の体が、細胞の一つ一つが『生きたい』と思ってイル証拠なんだと。だカラ、笑顔になれる人間は死んではイケない。たった一つでもイイ。楽しい思い出があれば人は生きていけるモノだ……と」


 再びその目を開いた時、シオンの透き通った赤い瞳は悲しみを微塵も感じさせないくらい、とても美しく輝いていた。


「その時から、ワタシはやっと自分の人生を歩み出すコトができるヨウになった。過去を恨み続け、後ろばカリ振り返るのはヤメて、前に進むことができタンだ。一つでも多くの笑顔にナルための思い出を増やす為に、生きてイキたいと思ったカラだ」


 ナオトの頬には涙が流れ落ちていた。


「……シオン。ボクを見つけてくれて……ありがとう」

 シオンは神々しいほどの笑顔で答えた。


「ナオト……ワタシの為に、生きていてくれて、ありがとう」


 どちらからともなく、求め合うように、唇を重ねた。

 二人が強い光に包まれた後、鏡の中の黒い世界は崩壊した。






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