22話 捨てられたモノ
ナオトの心臓はドキドキしていた。
暗闇が消え、元通りの地面に、頭だけで転がっていた。
目の前には分身が地面に寝そべってニヤニヤと笑っている。
〈楽しんでもらえたかな〉
「なんだ今のは……」
背中は嫌な汗をかいている気がした。
だが、その肝心の背中はもう無い。
ナオトはゆっくりと目玉を動かしてシオンのほうを見た。
シオンは泣き崩れていた。
あわてて駆け寄ろうとしたが体はもう無い。
動けなかった。
「大丈夫?」
かろうじてなんとか声をかけると、シオンが顔をあげた。
「これは……ワタシの夢だ」
「夢?」
シオンは頷いた。
「……時々夢の中で思い出すノダ。昔のコトを」
「昔のこと?」
「ソウだ。この世界に来る前のコトを」
「この世界にくる前?」
「ワタシは、最初は、この世界の住人ではなかったのだ。別の世界で幼かった頃の記憶を時々夢で見るのだ」
「別の世界……」
シオンは自称気味に笑った。
いつものシオンではなかった。
「今思えば自分はアルビノという先天的な体質ダッタのだろう。そんな体に生まれてキタのは自分のせいデハないのに、産み落としたハズの母親と義理の父親に気味悪がられ虐げラレテきた。毎日毎日殴られすぎてイツモ頭がボーっとしてイテ、気が付イタ時には、両耳から血が出てイタ」
「……!」
「鼓膜が破けたのダロウ。それ以来、ほとんど聞こえナクなった。耳の周りだけ差し色が入ったように髪が赤いのも、その時染まったモノだろう。しばらくシタラ、体がとても寒くナッテきた。きっと流れる血が大量で意識を失いかけてイタのかも知れナイ。もうスグ死ぬんだと思った時、不思議と涙はデナかった。むしろ、全てが終わレバ、もうコンナ辛い思いをしなくてスム。嬉しいとサエ思った。でも、モシ生まれ変わることがアルなら、今度は猫になりタイなと思っていた時、白い光に包まれた気がシテ再び目を開けたら、コノ世界の空に落ちてきてイタ」
「……じゃぁ……シオン、キミは……」
「ソウだ。ワタシは空曜日の住人だった。死ぬ間際に願った通り、猫の姿になってコノ世界に落ちてキタ。たまタマこの世界の王でアル父上に拾われたオカゲで、こうシテ王女なんて偉ソウな地位ついてイルが、元々はサッキの物乞いをしてきた皇帝ペンギンの貯金箱と同じ空曜日の住人ナンだよ」
「そんな……」
「だから、ワタシは一度、ドコか別の世界で必要ナイとされて、捨てられたモノなんだ」
「モノだなんて……そんな風にいわないでよ!」
「だが、事実ナンだ。捨てラレた。だから、この世界へ来た」
寝そべって見ていた分身が、気が狂ったかのような笑い声をあげた。
〈どうだナオトよ。本当のことを聞いても、それでもまだシオンのことを信じられるのか?〉
面倒くさそうに体を起こし、一匹の猫と頭だけの物体のそばに歩み寄る。
地面に転がるナオトを見下ろし、もしゃもしゃの髪を乱暴につかみ上げた。
「イダダダッ! 離せっ!」
分身はナオトの言葉を無視して、ブランぶらんと揺れる頭に話しかけた。
不規則な揺れに、ナオトはだんだん気持ち悪くなってきた。
〈この女はこれまでずっと真実を隠していたんだ。元々は誰からも必要とされていない、同じ人間からなぶり殺しにされるような、クソみたいな人間だったくせに……。オレと同じ空曜日の住人のくせに……。いけしゃーしゃーと、クソ偉そうに王女のふりをしてこれまで暮らしてきたんだ。これがどれだけ罪深いことかわかるか? なぁ、ナオト〉
ナオトは揺れ動く中で、恐る恐るシオンを見た。
苦痛に満ちた顔をしている。
こんなに暗い表情を見たのは初めてだった。
どうしたらいいのかナオトにはわからなかった。
その時、ほとんどの色を取り戻した分身の背後から、今までずっと様子を見ていただけの茶色い影が現れた。
「本当の過去を……聞いただけで……こんなに動揺して……何も……できないなんて……ナオトは本当に……ひどい人間なんだな。まぁ、実際に……文字通り手も足も……出ないんだろうけど」
笑っているように茶色い影は小刻みに揺れた。
シオンが顔を背けた。
「……グレイ……ソレは違う……悪イのはワタシだ」
グレイと呼ばれた茶色い影は、ナオトの目の前に近づいてきた。
「だって、二人は……むこうの世界で……ずっと一緒にいたんだろう? ボクの邪魔をしてまで……それなのに、ナオトはシオン姉さんのこと……ほんとに何にも……知らないんだね? こんなに姉さんが……苦しんでいるのに……お前は何も知らない」
茶色い影はナオトの頭を通り抜けるようにかすめて、上空へ浮かび上がった。
「それは……」
ナオトは何も言い返せなかった。
「シオン姉さん……ナオトはもう終わりだよ……どうせアイツに全部……取り込まれて死んじゃう運命なんだよ。そんな奴のことは……ほっといて姉さんも……こっちにおいでよ。本当は姉さんも……くるしいんでしょ? こっちの世界にくれば……きっと楽になれるよ」
空からグレイが急降下した。
「シオン! 逃げて!」
シオンは動こうとしない。
やがて上から降りてきた茶色い影は、シオンの周りをぐるぐると旋回し、すべて取り囲むようにして停止した。
シオンの姿が見えなくなった。
「姉さん。体を捨てて……そうすれば……これからずっと……一緒にいられるよ」
「やめろっ! グレイ!」
「こっちの世界なら……体がなくなったって……生きていられるんだ。体が痛いとか……心が痛いとか……何にも悩むことなく……ずっと幸せに……暮らせるようになるんだ」
吐きそうな目眩をこらえながら、ナオトはなんとか叫んだ。
「苦しみから逃げれば救われるなんて、そんなの間違ってる! だいたい、シオンが苦しんでいる時に、そこにつけこむような卑怯なことをして、君は本当に満足なのか!」
茶色い影がザワザワと揺れた。
動揺しているのかもしれない。
「あぁ、満足だよ……目的さえ達成できれば……方法はなんだっていい……ボクはシオン姉さんのことが……大好きだ……お前なんかが姉さんに……出会う前から、ずっと……ずっと前から大好きだったんだ……でも、ボクは……もうすぐ死ぬ……そしたら、シオン姉さんも……すぐにボクのことなんか忘れて……お前と一緒に毎日笑って……楽しく暮らすにきまってるんだ……だから、お前なんかに……シオン姉さんを渡すくらいなら……一緒に死んだほうが……マシだ!」
ナオトは悲しい顔をした。
「本気でそんなこと言ってるのか? 例え君が死んだとしても、シオンは絶対に君のことを忘れたりしない。そんなこと、君が一番よく知っているだろう。シオンは誰よりも周りの人間が幸せでいることを願っている、そういう心の優しい子だ。だいたい、手に入らないから一緒に死ぬなんて、そんなことして本当にシオンが喜ぶとでも思っているのか。君は勘違いしているみたいだけど、シオンはずっといつも君のことを心配してたよ。ボクといる時も」
「うそだ!」
「うそじゃない」
「うるさい……お前にボクの気持ちなんか……わかるもんか! ほっといてくれよ!」
その時ナオトは、前にシオンが自分にそうしたように、グレイを抱きしめようとした。
もちろん、体が動くはずはなかった。
けれど、ナオトがしようとしたことはきちんと実行された。
茶色い影の中に埋もれていたはずの白赤猫シオンが、光を放ちながら本来のアルビノである人間の姿へと変貌していった。
「父上に教わったんだ」
抱きしめられていた茶色い影も、貧相な体つきをした人間の男へと姿を変えていった。
「大切な人がほっておいてくれという時は、こうしろって」
貧相な男は、今にも死にそうな青白い病人じみた顔をしている。
その頬には涙がいく粒も流れ落ちていた。
姿を取り戻すのと同時に、元の世界での記憶を取り戻し始めたようだ。
「ごめんなさい……姉さん……ボクは……あなたを……あの世界でずっと……」
アルビノの真っ白な姿をしたシオンは優しく微笑んだ。
「わかってイル。仕方ナカったのだ。カナタよ。あの時はミナ、仕方ナカったのだから」
元々の世界で、シオンに対してグレイが行った様々な残酷な行為が脳裏によみがえる。
本来の名であるカナタと呼ばれた男は、その場に崩れ落ちた。
「ボクは間違ってた。ボクはただ、自分が病気でいずれこの世界から消えて無くなってしまうのがとても怖かった。だから、誰かにいつも怒って攻撃することでその恐怖から目をそらそうとしてたのかもしれない。でも、逃げても何も変わらない。やっとわかったよ……だから」
グレイはヨタヨタと力無く歩き、ナオトの分身にしがみついた。
〈なにをするっ! 離せ!〉
貧相な体つきからは想像もつかないほどの力で拘束され、ナオトの分身は身動きできなくなっていた。
「早く逃げて! 今のうちに、姉さんだけでも、この世界から逃げ出して! 走り続ければ必ず世界の果てがあるはずだから!」
「グレイ……! でも、ナオトが……」
ためらうようにナオトを見た。
「シオン! ボクのことはもういいから!」
ナオトがそう言った時だった。
「『ブンカイ』!」
「うぎゃぁぁぁぁっ!」
分身にしがみついていたはずのグレイの体が、粉のように分解され、飛び散り、消え去っていった。
「グレイーーーーーーっ!」
切り裂くような声でシオンとナオトが叫んだが、その声はもうグレイには届かなかった。
コトノハでグレイを消し去った分身は、素早くシオンに駆け寄りシオンの首を絞め、征服し人質に取った。
「やめろっ!」
ナオトがシオンを助けようと手を出そうとしたが、もちろん何も出来なかった。手も足も胴体も無いのだ。それどころか、髪を分身に捕まれ、文字通り敵の手中に収まっている。
〈自力で人間に戻るなんて、ふざけた真似しやがって……。忘れるな! お前らの相手はオレ様だってことをな!〉
ぶら下がったまま揺れ動くナオトの頭を、分身の右手が通り抜けた瞬間『アタマ』『カオ』『クビ』『メ』『ハナ』『ミミ』のコトノハが吸い取られた。
それと同時にナオトの体は、残されたほとんどの色を失った。
ナオトはその場に存在しているはずだったが、それはあまりにも希薄な存在感だった。
もう何も見えない。
耳も聞こえない。
だが、分身の言葉は脳に響いて直接伝わってくる。
〈お前に残されているモノ、それがなんだかわかるか?〉




