第3話:よろず屋、始動よぉ!
午前9時。
カチリ、と腕時計の針が営業開始を告げると同時に、アタシは『よろず屋オネェ』の重厚な扉を開け放った。
「はーい、営業時間よ! よろず屋オネェの店、本日も元気にオープンよぉ〜!」
ピンクの髪を高い位置でシュシュで結び、エプロンをビシッと着こなしたアタシは、誰もいない大通りに向かって最高の笑顔を振りまいた。
「ふぇぇ……眠い、信じられない、朝の9時から全開の笑顔とか恐怖映像よぉ……」と、アタシの背後で高級バッグを抱えたルミナちゃんがボソボソ文句を言っているけれどスルーよ。
開店して数日。王女のエリーちゃんが王宮で触れ回ってくれたおかげで知名度は少しずつ上がっているみたいだけど、まだ「オネェの何でも屋」という怪しすぎる看板のせいか、一般のお客さんは遠巻きに店を見つめるばかり。
まぁ、焦る必要はないわ。本物のプロの仕事ってのは、一回でも実績を作れば口コミで爆発的に広がるものだから。
カウンターの奥でハーブティーを淹れていると、トボトボとした足取りで、一人の初老の男性が店に入ってきた。
使い古されたエプロンを身につけ、顔中に小麦粉をつけて白い髭を蓄えた、いかにも「職人」といった風貌の頑固そうなおじさんだ。
「……ここが、噂の何でも屋かい? 王女様を救ったってぇから、どんな大層な冒険者かと思えば、ずいぶんと……妙な格好の姉ちゃんだな」
「あら、失礼ねぇ! 姉ちゃんじゃなくて、レンちゃんよ♡ おじさん、そんなに眉間にシワを寄せてると、せっかくの渋いお顔に深いシワが刻まれちゃうわよ? そっちの背後に浮いてる羽虫(神様)は気にしないで。それで、アタシに何か困りごと?」
「ちょっと、神様を虫扱いすんじゃないわよ!」という抗議も当然無視よ。
アタシがウインクを飛ばすとおじさんは一瞬ギョッとしたものの、深くため息をついてカウンターに両手を突いた。
「俺は下町のパン屋を営んでるトッドってんだ。実はな……昨日から急に、うちの店の手伝いをしてた小僧が風邪で寝込んじまってな。今日から王都の『春の収穫祭』が始まるってのに、パンを焼くのも、店番をするのも、俺一人じゃ絶対に手が回らねぇ。このままじゃ大赤字で店が潰れちまう! 頼む、誰でもいいから今日一日、店の助っ人をしてくれ!」
「パン屋の助っ人ね。面白そうじゃない! お給料は日給で5000ギル(約5000円)、それと美味しいパンをいくつか貰えれば手を打ってあげるわ。時間はもちろん、18時までよ!」
「18時まで? あぁ、それだけ働いてくれりゃ十分だ! 助かる!」
交渉成立ね。アタシは即座にエプロンをひるがえし、トッドさんの後に続いて下町のパン屋へと向かった。
「わーい! パン! 美味しい焼き立てパン! 私も行くー!」と現金に喜ぶルミナちゃんも拉致(同行)決定よ。
◇ ◇ ◇
下町にあるトッドさんの店『麦の穂亭』に到着すると、そこはすでに大混雑の予兆を見せていた。
収穫祭の初日ということもあり、通りには人が溢れ返っている。トッドさんの店の前にも、焼き上がったパンのいい香りに誘われて、すでに数人のお客さんが並び始めていた。
「よし、トッドさん! あんたは奥の厨房で、とにかく美味いパンを焼くことだけに集中しなさい! 接客、レジ、品出し、店内の清掃は、全部このアタシが一人で回してあげるから!」
「一人でだって!? おいおい、いくらなんでも無理だろ、収穫祭のピーク時は戦場なんだぞ!?」
「アタシを誰だと思ってるのよ? 前世の通勤ラッシュ時の駅前コンビニで、ワンオペ夜勤を生き抜いた伝説の店員よ? あんたは黙って最高の発酵具合を見極めなさいッ! ……あ、ルミナ! あんたはそこの角で、神の御光か何かで看板をピカピカに照らして客引きしなさい!」
「えぇー!? 神の威光をネオンサイン代わりに使うなー! ……うぅ、えいっ(ピカァァァ)」
「よし、いい輝きね。トッドさん、厨房へゴー!」
アタシがビシッと厨房へ押し込むと、トッドさんは気圧されたように「お、おう!」とパン生地を捏ね始めた。
さぁ、ここからはアタシの独壇場よ。
「はーい、お待たせいたしましたぁ♡ 焼き立てのクロワッサンはいかがかしら? そこの可愛い僕には、お砂糖たっぷりのメロンパンがおすすめよ!」
アタシは店頭に立ち、カリスマ美容師仕込みの「相手の心を一瞬で掴むトーク」と、元コンビニ店員の「神速のマルチタスク」を発動させた。
左手でお客さんからコインを受け取り、お釣りを正確に渡しながら、右手ではトングを器用に操ってパンを袋に詰めていく。さらに、視線は常に店内の棚へと走らせ、どのパンが減っているかを瞬時に把握する。
「トッドさん! レーズンパンが残り3個よ! 次の焼き上がりまであと何分!?」「あ、あと5分だ!」「オッケー、それまで限定のハニーベアパンを前に出してスペース埋めるわよ!」
無駄な動きが一切ない。まるでダンスを踊っているかのような流麗な手捌きに、並んでいたお客さんたちから「おお……凄まじい手際だ……」「あのピンク髪の店員、ただ者じゃないぞ」と感嘆の声が漏れ始める。
横で必死に発光させられていたルミナちゃんも、「な、なにあれ……計算が早すぎてお釣りを渡す手が残像になってるわ……人間の限界超えてるじゃない……」と引いているわ。
お昼時のピークタイム。店の前には30人以上の大行列ができていたが、アタシの超高速客捌きにより、待ち時間は実質ゼロ。全員が笑顔で焼き立てのパンを手にしていく。
おかげで、用意していたパンは飛ぶように売れ、厨房のトッドさんは「うれしい悲鳴だが、生地が追いつかねぇ!」と、嬉しい悲鳴をあげていた。
そんな忙しい最中――アタシの『万引きGメン』としての鋭いレーダーが、ピピッと奇妙な反応を示した。
焼き上がったばかりの高級デニッシュが並ぶ棚の影。
人混みに紛れて、音もなく、影のように滑り込む小さな気配があった。
ボロボロのフードを深く被った、小柄な少女だ。彼女の細い指先が、トッドさんの自慢のパンへと音もなく伸びる。その動きは、素人目には絶対に見えないほど迅速で、鮮やかだった。
「あっ! ちょっとレン! あそこの子、神の目(透視)で見たらパンを懐に隠し――」
ルミナちゃんが慌てて報告してくるより、アタシの体が動く方が早かったわ。
少女がパンを懐に隠し、そのまま人混みに紛れて店を出ようとした、その瞬間。
アタシはレジ打ちの手を一切止めることなく、カウンターを軽やかに飛び越え、少女の進行方向に先回りした。
トッ、と音もなく少女の前に立ち塞がり、その細い手首を優しく、だけど絶対に逃げられない力加減でパシッと掴み取る。
「んまぁ、可愛い泥棒猫ちゃん。お買い物はお会計を済ませてから、ってママに習わなかったかしら?」
「っ……!? な、いつの間に……!?」
フードの隙間から覗いたのは、短いネイビーブルーの髪と、驚愕に大きく見開かれた琥珀色の瞳。少女は自分の「神業」が一瞬で見破られたことが信じられないようで、果敢に手首を引き抜こうとするが、アタシの元SPの握力の前にはビクともしなかった。
少し遅れてルミナちゃんが「ちょっと! 神の報告より先に動かないでよ! 私の立つ瀬がないじゃない!」とトボトボやってきた。
「離せッ! 離さないと刺すぞ!」
少女が懐から小さなナイフを取り出しようとするが、アタシは空いた方の手でそのナイフの柄をパッと叩き落とした。
「メッ! 女の子がそんな危ないもの持ち歩いちゃダメ。……それに、あんた、そんなに可愛いお顔をしてるのに、ずいぶんと栄養が偏ってるじゃない。お肌がカサカサよ?」
「は……? 何言って……」
「これだけ忙しいんだから、つまみ食いするくらいなら、うちで働きなさい。美味しいパン、お腹いっぱい食べさせてあげるから。……ほら、トッドさん! この子の分のパン代は、アタシの給料から引いといて!」
アタシがそう言って、少女の懐から回収したパンを棚に戻すと、少女は呆然としたまま、赤面して俯いてしまった。
「ちぇっ、運が悪かった……。今回は見逃してやるよ!」
手首の力を緩めてあげると、ネイビーブルーの髪の少女は、バツが悪そうに足早に雑踏の中へと消えていった。
(ふふ、面白い子。あの身のこなし、よろず屋の『隠密枠』にぴったりじゃないの)
アタシは彼女の後ろ姿を見送りながら、再びレジへと戻った。
◇ ◇ ◇
気がつけば、怒涛の1日が過ぎ去ろうとしていた。
店のパンはすべて完売。売上箱は、見たこともないほどの金貨と銀貨で溢れ返っていた。トッドさんは厨房の床にへたり込み、涙を流してアタシの手を握った。
「レンちゃん……! あんたは命の恩人だ! 過去最高の売上だ、これなら店を畳まずに済む、本当に、本当にありがとう!」
「いいのよ〜、プロとして当然の仕事をしたまでよ。じゃ、アタシの取り分と、この美味しそうなバゲットをいくつか貰っていくわね」
パッと時計を見る。
【17:59】。
ピピッ、ピピッ。
午後6時。
「……あ、お疲れっした。じゃ、帰るんで」
その瞬間、アタシはシュシュを外した。
一瞬でいつものオネェのオーラが消え失せ、前髪がハラリと落ちる。声は一気に低くなり、冷徹で気怠げな男のトーンへと切り替わった。
「え……? れ、レンちゃん……?」
トッドさんが、あまりの激変ぶりに言葉を失って固まる。
光る役目を終えてぐったりしていたルミナちゃんが、「ひぃっ、また定時男になったぁ!」とガタガタ震え出す。
「桃瀬です。時間過ぎたんで、これで失礼します。あ、そのバゲットは今日の晩飯にするんで。トッドさんも、無理してまた腰痛めないように。お疲れ様でした。……行くぞ、ルミナ」
「ひゃいっ! あ、パン、私のパンも忘れないでぇー!」
俺はバゲットを小脇に抱え、驚いているトッドさんを置いて、気だるげな足取りで下町の夕暮れ時を歩き始めた。後ろからは、自分の顔より大きな丸パンを両手で大事そうに抱えたポンコツ女神が、トトトッと小走りでついてくる。
「(ふぅ……今日もいい仕事したな。さて、帰ってエリーが貢いでくれた高級ベッドで寝るとしますか)」
よろず屋オネェの最初の仕事は大成功。こうしてアタシ――いや、俺の異世界での『ビジネス』は、着実に口コミとなって王都の街へと広がっていくのだった。




