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鑑定チートの面倒くさがり、港街の贋作事件に巻き込まれる  作者: 蒼月よる


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格子越しの先輩

 ギルドの拘留施設は、支部の地下にある。

 受付で面会手続きを済ませ、石段を下りた。湿った空気。壁に染みた塩の匂い。港街の地下だから、海水が壁の石材に染みているのだろう。魔石灯が等間隔に揺れている。

 看守に案内されて、奥の面会室に通された。石壁に囲まれた小さな部屋。中央に鉄格子が縦に並び、部屋を二つに仕切っている。


 格子の向こう側に、男が座っていた。

 痩せていた。前に会ったときよりさらに痩せた。顎の無精髭も伸びている。くたびれた外套はなく、拘留施設の麻の衣を着ている。

 だが——目は変わっていなかった。鋭い、鑑定士の目だ。


「久しぶりだな、ノル。まさかお前から来るとは」


 ヴィクトが格子の向こうで脚を組んだ。皮肉っぽい笑みは相変わらずだ。捕まって半月以上経っているが、目に光がある。拘留されて腐る男ではないことくらい、おれは知っていた。


「用があって来た」

「律儀だな。先輩に差し入れの一つも持ってこないのか」

「犯罪者に差し入れする義理はない」

「先輩は先輩で犯罪者は犯罪者、か。相変わらず面倒な線の引き方をする」


 おれは懐から偽造鑑定書を取り出し、格子の隙間から差し出した。ヴィクトが手を伸ばし、受け取った。

 鑑定書を手に取った瞬間、ヴィクトの目が変わった。皮肉の色が消え、あの鑑定士の目になった。指先が紙の表面を滑った。おれと同じ順序だ。紙質を確かめ、繊維のざらつきを測り、光にかざす。次に印章——おれならここで角度のズレを見る。ヴィクトもそうした。最後に署名。鑑定焼けの残る指先が、筆跡の上をなぞるように動いた。

 三秒もかからなかった。


「……これはおれの仕事じゃない」


 静かな声だった。否定ではなく、分析の結論としての断定。


「おれならもっとうまくやる」

「知ってる。だから聞きに来た」


 ヴィクトが鑑定書を持ち直した。魔石灯の光に紙を傾け、角度を変えながら見ている。格子の向こう側でも、あの男は鑑定士だった。


「紙質の選び方は悪くない。ギルド公用紙の繊維配合に近づけようとしている。海藻由来の繊維を混ぜてはいないが、似た手触りの代替素材を使っている。この調合を知っている人間は、紙の流通にも詳しい」


 ヴィクトが署名の部分に目を移した。


「筆跡の模倣も上手い。だがお前が言った通り、なぞっている。筆圧のリズムが死んでいる。これは素人の仕事ではないが——お前の仕事を長年見てきた人間の仕事でもない」

「どういう意味だ」

「おれなら筆圧のリズムまで再現する。この偽造者は、お前の鑑定書を資料として研究したが、お前の手の動きそのものは見ていない。距離がある」


 距離がある。つまり、おれの身近にいる人間ではない。ギルドの内部の人間でもない可能性が高い。


「もう一つ」


 ヴィクトが鑑定書を裏返し、印章を光に透かした。


「この印章の押し方。見ろ」


 ヴィクトが格子の隙間から鑑定書を返してきた。おれは受け取り、印章の部分を見た。


「圧力分布だ。印を押すとき、力の入り方に癖が出る。右利きの人間は——」

「左から右に力が抜ける。この印影は逆だ」


 ヴィクトが口を閉じた。おれは続けた。


「右から左に力が抜けている。この印章を押した人間は、左利きだ」


 格子の向こうで、ヴィクトが口の端を上げた。


「まだ腕は鈍っていないようだな、ノル」

「あんたもだ」


 左利き。おれは頭の中で、知っている鑑定関係者の利き手を思い浮かべた。ギルドの鑑定士は全員右利きだ。裏通りのゴルツも右。遺物商のフランも右。

 マリカは——どちらだったか。工房で巻き袋から道具を出したとき、左手で布を開いていた気がする。だが鑑定書に記入するときは右手を使っていた。


「おれが知っている限り、デルガで左利きの鑑定関係者は多くない」


 ヴィクトが腕を組んだ。


「だがギルドの外に目を向けるなら——まあ、お前なら自分で辿り着くだろう」


 含みのある言い方だった。ヴィクトは知っている顔をしているが、全ては言わない。格子の中にいても、情報の出し方を計算している。面倒な男だ。


「ヴィクト。あんた、ここに入ってから何か聞いてるか。偽造鑑定書の噂とか」

「看守は口が堅い。だが——壁は薄い。隣の房に入ってきた遺物商が、港沿いの商売の話をしていた。新しい店が出て、相場が崩れているとな」


 港沿いの新しい店。ゴルツの情報と一致する。


「もう一つだけ聞く。あんたの組織の残党、まだ動いてる奴はいるか」

「おれが知る限りでは——何人かは消えた。逃げたか、別の仕事に移ったか。だが技術を持った連中がすぐに足を洗うとは思わん。腕のいい贋作師は、需要がある限り仕事を選ばない」


 面会時間の終わりを看守が告げた。おれは立ち上がった。


「ヴィクト」

「何だ」

「あんたの鑑定書を偽造する奴は、今のところいない。安心しろ」

「安心なんかしていない。おれの鑑定書に価値がなくなっただけだ」


 ヴィクトの声に、初めて苦い色が混じった。おれは立ち上がりかけた足を、一瞬止めた。何か言うべきだった。だが、言葉が出てこなかった。

 何も言わずに面会室を出た。


 地上に出ると、潮風が頬を叩いた。地下の湿った空気から解放されて、少し息が楽になった。

 食堂で遅い昼食を取った。煮込みを啜りながら、ヴィクトとの対話を反芻する。

 あの男は今でも鑑定士だ。格子の中にいても、偽造鑑定書を手に取った瞬間に目が変わった。紙質、筆跡、印章の圧力分布——おれが見つけた三つの偽造ポイントを、あの男は三秒で把握した。その上で、おれが見落としていた四つ目——利き手——を引き出した。

 格子の中にいても、目は死んでいない。あの男は犯罪者で、おれの先輩で、今でもおれが認める数少ない鑑定士の一人だ。

 面倒な感情だった。いつもの「面倒だ」とは違う、処理の仕方がわからない面倒さだ。


 食堂を出ると、坂の途中でリタが走ってきた。


「ノルさん! ギルドの方に行ったって受付の人に聞いて——ヴィクトさん、どうでしたか?」

「相変わらず面倒な男だった」


 坂道を並んで歩く。リタが横目でこちらを見ている。何か聞きたそうな顔だ。


「……だが、役には立った」

「何かわかったんですか?」

「偽造鑑定書を作った人間は、左利きだ」


 リタが足を止めた。


「左利き……。ノルさんの知り合いに——」


 おれは答えなかった。マリカの顔が頭を掠めた。だが断定はできない。左利きの人間は、デルガの外にはいくらでもいる。

 ヴィクトが言った。「ギルドの外に目を向けるなら」。あの男は何かを知っているのか、それともおれに考えさせるために含みを持たせただけなのか。


 坂の上から港が見えた。サクヴァラ商団の大型商船が、まだ停泊していた。


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