61 天才ノエル
魔法陣を描きながら、解説を加える。
「まず基本的な理論としては、魔力と瘴気は鏡像異性体に似た関係にあって――」
「兄弟子、つまり魔力と瘴気は本質的には――」
俺とカトリーヌが専門的な話しをしているのをノエルたちは大人しく聞いていた。
「むずかしいなぁ? ティルは頭がいいのな?」
「難しいよ。でも、ノエルならそのうちわかるよ」
「そっかな? そうかも?」
「そうだよ、俺はそう思うな」
そんな会話をしながら、どんどん魔法陣を描いていく。
「私には兄弟子ほどの魔力操作の腕前がないので、今はまだ同じ魔法陣を描くのは難しいと思います」
「まあ、人には得手不得手があるからね」
「はい。ですが…………魔法陣を転写する魔導具を作ることはできるかもしれません」
「ほう? それができたら、すごく便利になるな」
「難しいですが考えてみます」
カトリーヌの目は輝いている。
今まで全てを捧げてきたノエル探索のための魔導具作りが終わったので、次に熱中できる魔導具を探していたのかもしれない。
きっとカトリーヌも俺と同じ類いの人種だ。
俺は魔法全般だが、カトリーヌは魔導具について考えずには居られないのだ。
「むふう? てぃる、ちょっとためしていい?」
俺の描いた魔法陣を、じっと睨むように無言で見つめていたノエルがぼそっと言う。
「いいよ。何がしたいの?」
「まほうじんかく」
「おお、見ているからやってみなさい。失敗しても良いよ。最初からうまくいくわけがないからね」
「ん、ありがと」
「魔力を通しやすい素材で描くと良いよ。その方が簡単だから……」
「ん、だいじょうぶ。てぃるみたいに、魔力でかくからな?」
「そっか。見てるからやってみて」
そうは言ったものの、ノエルが魔法陣を描けるわけがない。
前提として魔法陣を描くには魔法陣の構造を完全に理解する必要がある。
当然だが、魔法陣を見ただけで理解するのは難しい。
ノエルは専門の教育を受けていないのだから、余計に難しい。
加えて、魔力を使って直接魔法陣を描くには、特別な練習が必要なのだ。
何度か請われて、大貴族のお抱え魔導師に教えたことがあるが、誰もすぐにはできなかった。
「……こうで、こうで、こうだから~」
ゆっくりとノエルは魔法陣を描いていく。
「あ、兄弟子? え? 私の見間違いとかじゃないですよね?」
「……見間違いじゃないと思うよ」
カトリーヌが褒めるのを忘れて驚愕している。
まだ拙い部分もあるが、魔力で線を引けていた。それだけで充分に驚きだ。
そのうえ、魔法陣の構成もほぼ理解しているように見える。
「むふ~。できた。てぃる、どう?」
ノエルはどや顔で俺を見る。
「…………じゃあ、ここから魔力をゆっくりと流してみると良いよ」
俺は驚きを隠して、平静を装って返答した。
「うん!」
「聖樹を育てるときの十分の一ぐらいの量を十分の一ぐらいの早さでね」
「わかった」
ノエルはじっくりと魔力を流していく。すると、じんわりと魔法陣が光り始めた。
「おお? うまくいったな?」
ノエルが嬉しそうにそう言った次の瞬間、
――ボン
という小さな音と共に魔法陣を構成していた魔力がけしとんだ。
「あぶない!」
慌ててフィロがノエルを抱きかかえた。
「ティル! 危ないじゃないか!」
「危なくないよ。ちゃんと確認して音が鳴る程度だとわかったからやらせたんだから」
「そ、そうなのか? そうか。大きな声を出してすまない」
「いや、気にするな。我が子が心配な気持ちはわかるからさ」
フィロは魔導師ではないので、魔法陣について何もわからないのだ。
小さな音だったとはいえ、爆発のようなものが起きたのだから不安になって当たり前である。
「ノエル怪我はないか?」
「ない! でも、しっぱいしちゃったな?」
「初めてなんだから失敗しても当たり前だよ、頑張ったね」
フィロはノエルの頭を撫でて慰めている。
「ノエル。正直驚かされた。ここまでできるとは思わなかったよ」
「そっかな? てぃるはそう思うのな?」
「ああ、まず魔力で線を引く技術が極めて高い。本当に初めてか?」
「はじめて」
「そっか、才能かもな。それに見ただけで魔法陣の構成を理解するなど普通はできないからな」
「そだったか」
「シルヴァに教わったりしたのか?」
「してないな? ママからは猫魔法をおそわったけど」
俺はノエルを抱っこするフィロに言う。
「……ノエルは天才かもしれん」
「そうだろう。ノエルは天才なんだ」
「て、てれる」
「カトリーヌも驚いただろう?」
「ええ、兄弟子の言うとおりです。母もノエルがこれほどやれると思いませんでした。立派ね」
カトリーヌにも頭を撫でられて、ノエルは照れていた。
しばらく照れた後、ノエルは言う。
「でも、しっぱいだったものなー」
「初めてで成功するとは誰も思ってないし、成功されたら困るよ」
世界中の魔導師の立つ瀬がない。
「はじめてのとき、てぃるもしっぱいした?」
「どうだったかなー、昔過ぎてあんまり覚えてないかも」
俺は言葉を濁しておいた。
俺は初めてやったときから成功したのだが、同じ魔法陣ではない。
しかも、俺は師匠にもっと細かく教わってから初めてやったのだ。比較は出来ない。
それに俺は初めてでもできたと、五歳児相手にマウント取るのも大人としてどうかと思うのだ。
「そっかー。なな、てぃる。どこがだめだった?」
「この部分が、ほんの少し途切れていた。後はこの部分が細すぎて、逆にこっちは太すぎる」
「ほむほむ?」
「それでこの二重構造の下層部分との連結部が――」
「……なるほどなるほど」
このような指摘は新しい高難度魔法陣を練習中の一人前の魔導師にするものだ。
この指摘をしている時点でノエルの才能がずば抜けていることがわかる。
ノエルの初めての魔法陣がどうして失敗したのか説明した後、アドバイスをすることにした。
「ノエルには才能があるのは間違いないよ」
「えへへへへ」
「だからこそ、基本が大事だ。魔法陣を描く前に、魔力操作の練習からしよう」
「のえる、まりょくそうさは、まだまだだものな」
そんなことはない。
俺の同僚だった宮廷魔導師と比べても、ノエルの方が上だろう。
そして、宮廷魔導師たちはあんなのでも、一応優秀な魔導師とされてはいるのだ。
「確かにまだまだだな。まだまだ、ノエルはうまくなるよ」
「そっかー。えへへ」
具体的な魔力操作の練習方法を教えると、ノエルとカトリーヌは一緒に練習し始めた。
俺はそれをみながら魔法陣を描いていく。
ノエルとカトリーヌに、手本を見せるわけではないので大急ぎで描いていった。
「……ティル」
「どした? フィロ。きになることがあるのか?」
「…………実際のところ、ノエルはどのくらい才能があるんだ?」
フィロがノエルに聞こえないぐらい小声で尋ねてきた。
あとで、カトリーヌに聞けば良いと思ったが、カトリーヌは魔導師である前に母親だ。
客観的に我が子の才能を測るのは難しいとフィロは思ったのだろう。
「そうだなぁ。努力次第で将来的には大魔導師になれるよ。それこそ当代一と呼ばれるような」
「そっか。なら……魔導師の師を付けるべきだよな」
「うん。師の選び方は大切だぞ。カトリーヌとよく相談して決めたらいい」
魔導師でもあるカトリーヌならば、魔導師にとっての師がどういうものか知っている。
「ティルに師になってほしいんだが……」
「俺は無名が過ぎるしな。師が無名だと苦労するぞ? 俺みたいに」
するとフィロはしばらく無言になって、なんとも言えない表情を浮かべる。
「どした?」
「いや、なんでもない。無名かどうかはともかく、ティルは優秀だろう?」
「そう言ってくれるのは嬉しいが……うーん。そうだなぁ」
下手な魔導師、例えば宮廷魔導師長みたいなのを師にするよりは俺の方が良いだろう。
「……俺の師匠に手紙で頼もうか? 師匠ほど優秀な魔導師は俺は知らないし」
無名でいいなら、俺よりも師の方がずっといい。
「なにせ、俺を育てた魔導師だからな。カトリーヌの師でもあるし」
師匠はあまり弟子を取らない。
だが、俺とカトリーヌが、ノエルに才能があると推挙すれば弟子に取る気になるかもしれない。
「……いいのか?」
「もちろん。だけど、いいのか? 俺ほどではないが師匠も無名だし、力がないよ?」
「何の冗談だ?」
「いや、冗談ではなく、師匠には力がないからな」
すると、フィロは形容しがたい微妙な表情を浮かべる。
「どうした? まあ、確かに師匠は宮廷魔導試験の推薦状は書けるらしいんだが――」
師匠には俺を宮廷魔導師の試験の推薦状を書けるぐらいの力はある。だが、それだけだ。
そして、俺には弟子を宮廷魔導師の試験の推薦状を書く力もない。
そんなことを説明すると、フィロは「……そっか、そうだったな」と呟いた。
「それでも良ければ師匠に手紙を書くよ」
「ぜひ頼む」
「うん。推薦状は任せておいてくれ」
「ありがとう。助かるよ」
「カトリーヌも書かないとダメだぞ? 二人ともが推挙するってのが大事だからな」
「うん。わかってる」
ノエルほど才能にあふれた魔導師の卵を、無駄にするのは人族全体の損失に思える。
師匠ならば、きちんと育ててくれるだろう。
俺とフィロが話している間、黙って俺の作業を見つめていたリラが急に口を開いた。
「フィロ。魔法が使える神官ってのもいいと思うわ」
「……ノエルがそれを希望するならね」
「そうね。それでいいわ」
どうやらリラはノエルを神官にすることをまだ諦めていないようだった。




