第十七話 修練場
「ありがとうございました。家の昼食には間に合うようにするので二時間ほどで戻ります。それまでは好きにしてもらって構いませんよ」
御者にそう伝えた僕は修練場に入っていく。
「ミランダさんはこの修練場は使った事はあるのですか?」
「私は王都での訓練経験はありませんね。我々兵士は王都に来ても屋敷で待機、もしくは非番となりますので」
「そうですか、それでは訓練をするのにどこに向かえばよいのでしょうか」
「私についてきてください。このような兵士の修練場はどこも同じような造りになっているので」
僕の前を先導するミランダさん。僕は彼女の後についていった。
「こちらは……駄目ですね、空いていません」
最初に僕らが向かったのは修練場で一番大きな部屋であった。土の地面に丸太が等間隔で突き立てられ、その丸太の表面は木剣で切りつけたであろう細い痕の集まりが刻まれていた。
各丸太の前には木剣や穂先のない槍を使い打ち込みの練習をしているものや、丸太のないスペースで模擬戦を行っている兵士らしき人達でいっぱいだった。
「他の部屋に行きましょう。案内お願いします」
「この部屋は……っ! 違う部屋に参りましょうアルノルト様」
ミランダさんが修練場の部屋を覗くやいなやすぐさま扉から離れた。僕も先ほどと同じように部屋の中を覗こうと顔を出した。その瞬間鼻に強烈な臭いが入り込んでくる。
「ぐはっ!」
それは屈強な男たちの汗を凝縮した限りなく濃い雄臭だった。剣道部の防具、ラグビー部の部室、まさに汗臭さの塊だった。
その部屋の中の兵士たちは声を上げながら、腕立て伏せやスクワット、腹筋背筋など各種筋トレを行っていた。腹筋で上体を起こすたびに飛び散る男たちの汗、室内に籠る熱気。それらを避けるように僕らはその部屋を後にした。
「この部屋は……開いています!」
あれから何度か汗爆弾をくらいつつ何部屋か探し続けた結果、ついに開いている部屋を見つけた。
その部屋の中には数人の兵士しかおらず、魔法の練習をするのにもちょうどいい場所であった。
僕らはその部屋へと足を踏みいれ―――
「ちょっと、君たち。ここは立ち入り禁止だよ」
―――ることは出来なかった。
僕らは部屋の中にいた、金髪のロン毛の男に止められた。その男はこちらに向かって歩いてきて、僕らの前に立つと大きなため息を吐いた。
「困るなぁ勝手に部屋に入られちゃ。ここは僕ら以外立ち入り禁止だよ」
男は長い前髪を手で払いのけ、僕らにそう告げた。
「立ち入り禁止とはどういう事ですか。修練場の個人での独占は修練場の規則で禁止されているはずです。貸し切りにする場合も、規定人数以上の事前の申し込みによるのみで、どう見てもあなた方の人数では規定人数を満たしていません」
おお、流石規則に厳しい女ミランダさん。修練場の規則もよくご存じで。
「修練場の規則? はっそんなの知ったこっちゃないね。僕の前では僕がルールだ。誰とも知れない奴の決めたルールなんて僕が守る必要はないね」
なんだこいつ。凄く偉そうな態度を取っているけれど……貴族か?
「大体さぁ、何であんたみたいな女とそこのガキが修練場に来てるわけ? ここは修練場だよ? 戦う者が自らを磨き上げる為に来る場所なの。女は黙ってベッドの上で股でも開いてりゃいーの」
「貴様! 私を愚弄する気か!」
ミランダさんが腰の剣に手をかけた。
「おい、女。僕に剣を向けるのがどういうことかわかっているのか。僕はドナテロ大臣の息子ベネディクトゥス・ヘルツォーゲンベルクだぞ!」
ドナテロ大臣。現在の王様の補佐を長年務めてきた家臣団ののうちの一人だ。現在は王様と共に各領地の管理を行っている。そんな国の中枢を担う人物の息子がこれか。典型的な馬鹿貴族じゃないか。それも男女差別主義者の。まぁ、前世の世界だって女性の権利問題は各国で問題になっていたし、万全ではなかったけれど、こちらの世界はそれ以上だ。
「くっ!」
ミランダさんはベネディクトゥスの言葉を聞き、抜きかけていた剣を収める。確かにここで事を起こすのは得策ではない。相手は大臣の息子だ。ドナテロ大臣は領地を持たぬが侯爵の地位を持つ。さらに様々な権力や富の集中する王都に居を構える貴族だ。こちらとは人脈も富も別格だろう。加えてドナテロ大臣は王様の直属の臣下である。下手すれば王様の不興をかうかもしれない。昨日レオンハルト殿下と一悶着あったばかりである、また王族に悪印象を持たれるのは僕自身、さらに父さんや領地への迷惑にもなる。
「おや?」
ベネディクトゥスはミランダさんの顔をジロジロと見ながら口元を見にくく歪めた。
「へぇ、よく見ればこの女中々綺麗な顔してるじゃあないか。おい、近場の宿の部屋を取りに行ってこい」
ベネディクトゥスは背後で僕らの会話を聞いていた者にそう命じた。後ろにいた人のうち一人は大きい声で返事をすると走りだし、僕らの横を駆け抜けていった。
「女。喜べ、この僕が君を抱いてあげるよ。おい、そこの子供。感謝しろこの場所を使わせてやる」
ベネディクトゥスはミランダさんに近づき、腰に手をまわそうとした。それをミランダさんは強い力ではねのけた。
「僕が抱いてやるって言ってんだよ! おい!」
手をはねのけられたベネディクトゥスはあからさまに怒りの声を上げ、ミランダさんの腕を掴む。
「くっ!」
ミランダさんはそのまま地面に叩きつけられ、足で背中を踏まれる。ベネディクトゥスはそのまま腰をミランダさんのお尻の上に落とし、座り込む。そしてミランダさんの髪を掴み自分の顔の前に持ってきて怒鳴りつける。
「この女が!」
僕はそのベネディクトゥスの行動にたいして身動きをとる事が出来なくなっていた。目の前で行われる暴力に足がすくんでしまったのだ。
ミランダさんは女性だ。しかし、僕なんかより、いや、貴族の子供の護衛を単独で任せられるくらいだ、相当な実力なのだろう。その彼女が目の前でなすすべもなく押さえつけられている。
前世の記憶がよみがえる。僕はこんな場面で相手の凶刃倒れたのだ。
「宿に着く前に少しぐらい味見してもいいよな」
ベネディクトゥスはミランダさんの鎧をはぎ取り胸元に手をやる。
前世の記憶がよみがえる。そうだ、僕は目の前で乱暴されそうになった幼馴染を守る為に。
…………。
「がはっ!」
気が付けば僕はベネディクトゥスの顔面を殴っていた。体内の魔力を最大限活性化させ、全身に身体強化の魔術をかけて。
ベネディクトゥスはミランダさんの上から吹き飛び、地面にバウンドする。僕の殴った部分が大きくはれている。
「このガキぃ!」
ベネディクトゥスが血を地面に吐き出し、立ち上がる。そして腰に付けていた剣を引き抜いた。
ベネディクトゥスがこちらにじりじりと近づいてくる。
こいよ! やってやる。大きく深呼吸をして僕は再び魔力を全身に張り巡らせた。
「何をしているのですか」
突如僕の背後から女性の声――いや幼い女の子の声が聞こえた。
「ベネディクトゥス・ヘルツォーゲンベルク。何をしているのですか、子供相手に剣を抜くなど、それでも王国の兵士ですか」
「っ姫様!」
僕の横を女の子が通りすぎる。
その女の子は昨日パーティー会場で見た、女の子だった。真っ黒な腰まで伸びた長髪をなびかせ僕の前に立った。
「さぁ、この状況を説明なさいベネディクトゥス・ヘルツォーゲンベルク。事と次第によってはあなたを処分しなくてはなりません」
僕の目の前に立つセレスティーナ殿下は会場で場を治めた温和な雰囲気など微塵も感じさせない凛とした態度でベネディクトゥスと相対する。
それは昨日感じたレオンハルト殿下と同じ種類のプレッシャーと同等の圧力を放っていた。
お読みいただきありがとうございます。
ご指摘ご感想などいただけたら幸いです。




