第十六話 一日の終わり
やばい。全身から汗が流れるのが止まらない。心臓も痛いほどに早く鼓動を打っている。ごくりと自分の生唾を飲む音が聞こえる。
レオンハルト殿下から呼びかけられ、振り返った僕はそのまま殿下を視界にとらえただけで固まってしまった。王者の風格とでもいうのだろうか。先ほどのアルセルムとかいう気に食わない貴族に怒鳴られた時には感じなかったプレッシャーを感じる。
親から叱られるでもない、先生から叱られるでもない。ただ、呼び止められただけなのに何でこんなにプレッシャーを感じるんだ。
しっかりしろ僕! 相手は王族とはいえ七歳だ。総計でいえば二十歳を超える僕がこんな子供にびびってどうする!
僕はカラカラに渇いた喉を必死に震わせ、何とか声を絞り出した。
「バルコニーに居ました。知り合いと会ったもので少々お話をしていました。会場内は殿下達の登場に騒然としていたので」
「つまり、貴様は我らへの挨拶よりも先に知人との談笑を取ったという事か。王族である我らへの挨拶よりも先に」
僕を問い詰めるように喋るレオンハルト殿下。
「その通りです……」
駄目だ、プレッシャーにやられて、まともに思考が働かない。どうして今そんな事を正直に話した!? 何とか誤魔化せばよかったものの!
しかし一度口に出した言葉は取り消すことは出来ない。
「はっ。そうか、ならばテーブルについて知らぬのも無理はない」
「騒がせて悪かったな。先ほどのカラズの言った事等気にするな。此度の騒ぎはカラズが我らを慮り、行き過ぎた行動をしたにすぎん。我は知らぬことを叱責するつもりもない。元より我らにそのテーブルの料理の占有権などありもせん。自由に食えばよい」
そういってレオンハルト殿下はマントを翻し、先ほどまで座っていた椅子へと向かっていった。
「そういえば」
僕に背を向けたまま殿下が呟いた。
「貴様、名はなんという」
「あ、アルノルト・リーベルトです」
「そうか、覚えておこう」
それだけ言うと殿下はまた自分の座っていた席へと戻っていった。
少しばかりの静寂の後に、あたりがざわざわとしだす。周りの目は僕を観察でもしているかのようだ。
僕はその視線を避けるように会場の隅へと移動しようとした、その時突然パン、と手を叩く音がした。
「さぁ、皆さま、楽しいお食事と歓談を再開いたしましょう。会はまだまだ長いのですから」
セレスティーナ殿下がそういって、場を仕切りなおした。セレスティーナ殿下の言葉の後、僕を観察するような目は少しだけ減り、あたりからは談笑の声がする。
殿下に注目が集まった隙を利用し、僕はフィーリネの手を引き、会場の隅っこまで移動した。
「ごめんね、僕が不用意に料理なんか食べようといったばかりに悪目立ちしちゃって」
「別に気にしてないわ。それより、先ほどのレオンハルト殿下は一体何が目的だったのかしら」
「わからないよ、とにかくわかる事は僕がお咎めなしで済んだってことくらいだよ」
僕は呼吸を整え、額に浮かんだ汗をハンカチで拭う。
しかし一体どうして殿下が出張ってきたのだろうか。あんなのはしょせん僕とアルセルムの小競り合いのようなもの。殿下本人も僕のした事についてはさほど怒っているようでもなかった。
単純に暗黙のルールを破った愚か者に興味でもできたのだろうか。
やっぱり考えてもわからないな。
「それにしても、あんなに悪目立ちしちゃうとこれから他の人達に話しかけ辛くなっちゃったね」
「そうね。ジギスムント君と合流するのも、彼も目立たせる事になりかねないし、私たちは端っこで大人しくしてましょうか」
それから僕らはパーティーが終わるまで隅のテーブルで大人しく過ごした。
「アルノルト! あれはなんだ!」
パーティーが終わり、迎えの馬車に乗り込んだところでジギスは僕に怒鳴りつけてきた。まぁ覚悟してたよ。
「何だと言われても、みたままとしか言えないよ」
「っ! そんなのはわかっている! ただ、ああああぁもう!」
ジギスは言葉にならない怒りを叫んで解消した。
リーベルト家という事でジギスにも迷惑をかけてしまったのかな。
「ごめんねジギス」
「……別に謝る必要もない」
叫んだことで怒りが収まったのか、ジギスはそっぽを向きながらもその声は落ち着いたものだった。
「それで……あの女はなんだ」
「えっと、フィーリネの事かな?」
「名前なんか知らん。だが、アルノルトの横にいた女の事だ」
「フィーリネ・エルネスト。ゼルマの娘だって」
「ゼルマの!」
ジギスは驚いたような顔をして、すぐに悲しそうな顔をした。
「俺の所には来なかったな……」
「僕と話をした後すぐにあの騒動があったからね。合流してもジギスの迷惑になると思っていたんだ。それに彼女は君やアンネローゼ様に嫌われていると思っていたみたいだからね」
「……そうか」
ジギス自身は僕と同じで僕の母とアンネローゼの因縁を知らないからきっとその実家への嫌悪感も薄いんだろうな。かすかな嫌悪感はアンネローゼの教育による、すりこみのせいなんだろう。
それから僕とジギスは家に着くまでの間、会場であった他の事について話した。
家に着いた僕はアニにお湯と布を持って来させて、体を拭き、そのままベッドに入った。
今日は疲れたなぁ。初めての貴族としてのイベント、王様への謁見、殿下達の存在、フィーリネとの出会い、殿下との会話。
どれも初めての事尽くしだった。こんなのこっちの世界に生まれてから魔法を初めて見た時以来かもしれない。
「アルノルト様、起きてください。朝食の時間ですよ」
体をゆすられて目を覚ました僕はゆっくりと目を開けた。目の前にはアニがいて、少し焦ったような顔をしている。
「はぁ、よかったです。いつもはすぐにお目覚めになるのに、今日は中々お目覚めにならなくて。私、心配でした」
安堵の息を漏らすアニ。僕はアニの持ってきたお湯と布で顔を拭き、体の汗も拭きとった。
「悪かったね、ちょっと疲れてて」
事実昨日は色々あったからなぁ。精神的に疲れていつもより深く眠っていたのだろう。
「それじゃあ朝食に行こうか」
僕らはこれから一週間ほど王都に滞在する事になっている。父さんが国の会議に出席するからだ。毎年、このパーティーに出る年齢の子供を持つ貴族同士での会議が王城で行われるらしい。どのような内容のものかは頑なに教えてもらえなかったけれど、僕ら子供世代についての会議なのだろう。
パーティーに行く前にめぼしい観光名所は見てしまったし、いつも通り魔術の訓練でもしようかな? ここに魔法を放っても大丈夫な建物はあるかな?
僕は父さんに会いに、仕事部屋に向かった。
「訓練場だね、あいにくだが、うちの建物にはなくてね。王国軍の兵士の使う修練場なら開いているだろうけど、そこでもいいか?」
「はい、構いません。それでは、そこの場所を教えてください」
「わかった。行くのは構わないが、一つ条件がある。ちゃんと護衛の者を連れていく事。いいね?」
正直僕の魔術の訓練を人の目のあるところでするのは恥ずかしいけれど、まぁ、背に腹は代えられないという事で僕は父さんの条件をのんだ。
「それじゃあ、今手が空いている兵士は誰がいたかな?」
「そうですね……」
父さんの問いかけに答えたのは父さんの執事をしているカルステンさんだった。カルステンさんは手帳の様なものを開き、パラパラとページをめくる。
「アルノルト様との面識がある者ですとミランダが空いております」
「それじゃあミランダに頼もう。アルもそれで構わないね?」
「わかりました。それではまた門の前で待っていればよいでしょうか」
「ああ、すぐに手配させる」
僕は自室に戻り修練場に向かう準備をした。
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