08話 隣の芝生
マナ・パンポット……浮気性でマフィアの旦那に愛想を尽かし、家を出る。ナイフさばきが上手い。旧姓マーメルを使うことにした。
メリメオン……仮名。パンポット家の物置小屋に監禁されていた、謎の少年。橙色の髪に、透き通るような白い肌。
ロックオーツ・リブズ……マナの幼馴染み。トース島で漁師をしている。顔はいかついけど、いいやつ。
マッシュ・マーメル……マナの父親。太っているため、シャツの一番上のボタンをとめられない。
ミティー・マーメル……マナの母親。けばい化粧とド派手なドレスが特徴。
ジェイミー・ジュースカジュー……マナの昔の男。出所したてのマフィアで、銃の達人。メリメオンに足を刺され負傷。
ピラドス・パンポット……表向きは建設会社の社長。裏の顔はマフィアのボス。
バンズばあや……パンポット家の有能な使用人。
いくらこじんまりした田舎の島だからと言っても、酒場くらいはある。
〔スペア酒場〕。
港の近くにあるため、主な客層は漁師だ。
マナが店に入った時、すでに日が暮れていたが、多くの漁師が訪れていた。
島生まれのマナはすぐ、
(夜の漁に出るんだな)
ぴんときた。
せまい島。
誰もが顔見知りであり、当然マナもみんなに認知されている。
いつ帰ってきたんだとか、ロックオーツが羨ましいとか、今度は俺ともデートしようなどなど、冷やかしの声がうるさいため、
「ここじゃ話しづらい。個室へ入ろう」
「いいけど……いやらしいことしないでよ?」
「あ、ああ、あ、当たり前だろ!」
ロックオーツは妙にあせりながら、店長に個室の許可をもらった。
かなり通いつめているらしく、注文するのも慣れた様子だった。
酒は白ワイン。
とれたての魚を大豆やトマトと煮こみ、そこにパセリやミカンの皮を削ったものが添えられている。
材料が新鮮だと、安くても美味だった。
二人は料理を堪能しつつ、しばらくは無言だったが、やがて酔いがまわってくると、マナが切り出した。
「で、何があったの?」
「何って……?」
「ごまかさないでね。面倒なのは嫌いだよ。あんた、奥さんと別れたんでしょ」
「ああ、そのこと……」
ワインを舐めるように飲みつつロックオーツが語ったところによると、別れたのは一年以上前。
簡単に言ってしまえば、彼の元妻は夢を捨てられず、夫を捨てたという話。
「どうしても歌手になりたかったんだと」
「あんたの奥さん、歌が上手かったもんねえ」
子供はなかった。
だから二人は決断できた。
マナはしばらく思案顔だったが、ぽつりとつぶやくように、
「私さ、勘違いしてた」
「ん?」
「みんな素敵な人生を歩んでるんだろうなって考えてた。カスみたいな生き方してんのは私だけだって。だから、ずっとここには帰れなかった」
「でっかい幸せ、つかんでんじゃねえか」
「私も別れたんだ」
今度はマナが打ち明ける番だった。
彼女は家を飛び出してきたこと、そしてこれからは島で暮らすつもりであることを手短に語った。
ただし、
(ロックオーツを怖がらせないために)
マフィア絡みのことは一切伏せておいた。
マナとロックオーツは店を出た。
柔らかい砂浜に二人の足跡を残しながら、ものも言わずに歩き続ける。
穏やかで規則的な波の音が心を落ち着けてくれる。
そのうちロックオーツが下を向いたまま、
「一人で子育てすんの、大変だろ」
マナも目をあわせずに、
「まあ、ね……」
「育児の経験がない俺なんかが偉そうかもだけど、無理はするなよ。お前って、昔から根を詰めすぎるタイプだからさ」
「そうかな?」
「そうだよ。ま、今後はいっそのこと開き直って、好きなことして生きればいいと思うぜ」
「ありがと」
マナは顔をあげて、ロックオーツに微笑みかけた。
笑うと、潮の香りが体に入ってきた。
海はどこまでも果てしなく続いている。
(恋もやり直そうかな)
ふと、そんな気になる。
が、どちらも黙りこんでしまい、相手が仕掛けてくるか、自分から仕掛けるか、腹の探り合いをしていたら、港まで来てしまった。
マナの足が止まる。
ここは彼女の生まれ故郷。
思い出はどこにでも転がっている。
「これって……」
マナが砂の上に見つけたのは、いくつかのコルク。
どうしてそんなものが転がっているがというと、
「ガキどもがコルク銃で遊んだんだろ」
「コルク銃……」
「俺らも昔はよく遊んだよなあ」
「……」
おもちゃの銃で使われる弾。
それがマナに、ある男を思い出させた。
(ジェイミー……)
彼との出会いや別れを想うと、今でも心が苦しい。
が、今となっては、それだけでは済まない。
恐怖だ。
(いつか、あいつはここに来るかもしれない。私に復讐するために……)
* *
それから数日後のこと……。
トース島ではなく本土にて。
パンポット邸の門前に、ジェイミーの姿があった。
「さて……」
腰に帯びた銃をなでる。
この男の考えは単純。
真っ昼間から敵陣へ侵入し、ピラドスに勝負を申しこむつもりだった。
理由は当然、
「俺をはめて監獄送りにして、その上、マナを奪ったから」
早速、ジェイミーは塀を乗り越えようと、壁に手をかけた。
ところが……。
「ちっ」
そのタイミングで馬車が来た。
ジェイミーはとっさに身を隠す。
派手ではないものの、四頭立ての高級感ある馬車で、どう考えても庶民の乗り物ではない。
通りがかっただけかと思いきや、御者がパンポット邸に向かって、開門を呼びかけた。
使用人は怪しむこともなく素直に門を開き、これを迎え入れる。
馬車が敷地の中へ入る一瞬……
(ん?)
ジェイミーの鋭い目は、車内の人物の横顔をはっきりと捉えた。
布で顔を覆っていたが、
(どこかで見たような……)
馬車が視界から消えた後も、ジェイミーは立ち尽くしていた。
思案にふけったのは数秒ほど。
彼は意を決して塀を飛び越えた。
「く……」
着地の際、ジェイミーの顔が歪んだ。
(あのガキめ……)
治療の甲斐あって、傷口を塞ぐことはできたものの、メリメオンに刺された箇所は今でも痛む。
そのため足の運びがぎこちない。
敷地内のあちこちで、使用人たちが仕事をしている。
物置小屋や木に隠れるなどして、彼らの目をやりすごし、ジェイミーは本邸に到達。
窓をこっそり覗いて、
(あの男は……!)
驚いた。
ピラドスを怒鳴りつけているのは、
(カット卿じゃないか!)
造船から貿易、果ては高利貸しまで幅広く事業を手がける豪商であり、数年前には実の娘を国王の後妻として嫁がせることに成功。
長年の功績を称えられ、王室よりナイト爵をたまわった。
政財界を牛耳る、ノーリンジ王国最大の有力者だ。
ジェイミーのような半端者でも、その顔と名前を知っている。
そんな人物が、一体どうしてマフィアの自宅に来訪したのか?
(いや、ピラドスの野郎がマフィアとは知らず、ただの建設会社の社長と思って会いに来たのか?)
だとしても、
(わざわざカット卿みずから訪れるとは何事だ?)
おまけに、カット卿はピラドスと何やら揉めている様子。
俄然、気になって、ジェイミーは壁に耳を当てた。
「何かご用でございますか?」
「……っ!」
あやうく甲高い声を出しそうになった。
振り返ると、いつの間にかジェイミーの後ろに、一人の老婆が立っている。
その服装と、手に持っている枝切りばさみからして、この家の使用人のようだ。
おぼろげながら、ジェイミーにも見覚えのある顔だった。
それにしても、
(俺が背後をとられるとは……足音も気配もしなかった。こいつ、何者だ……?)
しかし、ジェイミーはあせりを顔には出さず、窓から離れてお辞儀をする。
「あら。お懐かしい。ジェイミー様でございますね」
「いかにも、その通りです」
「旦那様にご用で? つなぎましょうか?」
「いえ、お嬢さん。それには及びません」
「まあ……」
バンズばあやは顔を赤らめる。
「お嬢さんだなんて……」
「急いではいないのです。ここで待たせていただきますから」
「そうですか。では、お好きなようになさいませ」
「どうも」
「使用人一同、しばらくこのあたりには近寄りませんので、どうぞ、お気兼ねなく」
その言葉のふくみにジェイミーは気がつかなかったわけではない。
が、あえて触れず、彼女が立ち去るのを見送った。
再び聞き耳を立てる。
カット卿は怒っている。
「あなたもプロであるならば、それはきちんと事の経緯を説明して、理解を得なければならんのではないですか」
「いや、だから……計画通りに進んでたんです……」
ピラドスの声は弱々しい。
「計画通り? ほう! では、宝石を盗んだり人を殺したりも、あなたの計画の中にあった、と?」
「い、いや、それはついでの別件で……」
「こんな大きな仕事に、ついでの用事を持ちこむとは! いやはや、驚きましたな」
「う……」
口調こそ丁寧だが、カット卿は声を張り上げ、ねちねちと責める。
それに対して、マフィア組織のボスたるピラドスは、平身低頭。
よほどの力関係、そして、よほどの失態が想像できる。
カット卿が続けて、
「たかが子供一人を誘拐するだけの仕事でしょう。捕まえたのに逃げられただなんて、通用しますか?」
と言った時、ジェイミーの頭の中で点と点がつながり始めた。




