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04話 昔の男

マナ・パンポット……浮気性でマフィアの旦那に愛想を尽かし、家を出る。ナイフさばきが上手い。旧姓マーメルを使うことにした。


メリメオン……仮名。パンポット家の物置小屋に監禁されていた、謎の少年。橙色の髪に、透き通るような白い肌。


ジェイミー・ジュースカジュー……マナの昔の男。


ピラドス・パンポット……表向きは建設会社の社長。裏の顔はマフィアのボス。


バンズばあや……パンポット家の有能な使用人。

「すっかり忘れられたと思っていたが」


 ジェイミーはいたずらっぽく笑う。

 マナが彼と別れたのは、もう十年ほど前のこと。

 以来、一度も会っていなかったが、


(この人、何も変わってない……)


 無論、経過した年月の分だけ、容姿には変化がある。

 昔は短かった髪の毛は今や肩につくほど長くなり、顔は少しやつれ、


(偉そうに顎髭なんかたくわえちゃって)


 しかし、耳をくすぐる低い声や、全身のほとんどを白で固めるファッションセンス、吸えないくせして、ただかっこつけるためだけに煙草をふかす点などは、かつてとなんら変わりがない。


(そんなことしなくても充分いい男なのに……少なくとも顔だけは……)


 じろじろ相手の顔を眺めていたマナだが、時の流れは誰に対しても平等であるという事実を、ふと思い出した。

 ジェイミーが年を重ねたのと同じだけ、自分も老けているはず。

 不意に恥ずかしさに襲われ、顔をそむけた。

 目線を地面に向けた状態で、マナは話を続ける。


「あんた、どうしてここに……」

「出所した」

「脱獄じゃないだろうね」

「一生追われる身になるわけにはいかない。きみを追いかけなきゃいけないからね」


 言い終わるや、ジェイミーが一気にマナとの距離を縮めた。

 互いの瞳の模様が見える近さで、


「ただいま」


 一瞬、マナはたじろいだ。


(よその男と……それも昔の男と一緒にいるところを誰かに見られたらまずい……!)


 人妻としての立場を考慮したわけだ。

 が、すぐに、


(いや、もう〝奥様〟は辞めたんだった)


 失笑した。

 この笑みがジェイミーに誤解をあたえた。

 要するに、


「OK」


 だと解釈したわけだ。

 ジェイミーはマナに唇を重ねた。


「……バカ!」


 数秒の沈黙の後。

 マナはジェイミーを突き飛ばして歩き出した。

 眉間にしわを寄せ、肩をいからせているところからすると、いかにも怒っているように見えるが、唇はぬぐっていない。

 ジェイミーはうしろからついてくる。


「おい。待ってくれ。再会して最初のキスで舌を入れようとしたのはまずかったか?」

「……」

「どうして無視する? 一体どこへ……もしかしてどこかいいところへ案内してくれているのか?」

「消えて」

「ずっとそばにいようと決めたのに」

「あんたとはずっと昔に終わったよ」

「愛に終わりはないだろう」

「百年の恋もとっくに冷めたよ。だって、あんたマフィアじゃないか!」


 マナが恋に落ちたのは、〔パンポット建設〕に勤める、堅気の美男子であって、裏稼業に身をやつす犯罪者ではない。


「ジェイミーがマフィアの一員だった……」


 と知った時、マナの恋は終わった。

 今さら現れて、


「面会に来てくれなくて寂しかったぞ?」


 などとすねられても、


「彼氏が逮捕されて私は情けなかった」


 としか言いようがない。

 そんな感じでマナがつれない態度を続けていると、とうとうジェイミーがマナの手をつかんで、無理矢理引きとめた。

 勝手に罪を犯して、勝手に収監されて、勝手によりを戻そうとして、今度は冷たくされたことに関して勝手に怒っているわけだ。


「そろそろ機嫌をなおせよ……」


 言いかけて、ジェイミーは気づいた。

 マナの薬指に、


「指輪……」


 挙げ句、ちょうどそのタイミングで子供用品店の店主が店から顔を出して、


「奥様。お子様、とってもお似合いですよ」


 などと微笑んでいるので、ジェイミーは気が狂いそうになった。

 わなわなと震える声で、


「結婚……したのか……?」

「……したよ……」


 沈黙。

 ただならぬ空気に気圧され、店主も御者も口をきけない。

 誰もが動けず立ち尽くす中、最初に動いたのはマナだった。


「お互い、自分自身の人生を生きてこうよ」


 ジェイミーの手を振り払って、歩き出した。

 一歩、二歩……。

 彼女の歩みを止めたのは、背後で聞こえた、撃鉄を起こす音。


「俺の人生は嘘と糞にまみれてる」


 振り返らずとも、ジェイミーが自分に銃を向けていることくらい、マナにはわかっていた。


「建設会社の社員なんて嘘っぱちで、本当はマフィアだ。学もないし、金もない。何人殺したかなんて覚えちゃいない。けど、こんなくだらない人生で、愛だけは本物だった」


 言い終わると同時。

 ジェイミーが引き金を引いた。

 が、これは外れた。

 発射のタイミングとマナが走り出したタイミングが同じだったからだ。

 マナは一目散に店の中へ入る。

 続いてジェイミーが慌てず、ゆっくりと入店。


「ひ……ひいぃ……」


 店主が恐怖のあまり、膝から崩れ落ちる。

 その横をすっと通り抜けたジェイミー。


「おわっ」


 店内へ一歩足を踏みこんだ瞬間。

 ナイフが彼の顔めがけ一直線に飛んできた。

 ぎりぎりでかわすことができたものの、危うく目に直撃し、


(失明するところだった……)


 息をつく暇もなく、次から次へとナイフが投げられる。

 当然、これはマナによる攻撃だ。

 せまい店内を商品の陰に隠れて移動しながら、身体中に潜ませてあるナイフを取り出し、投げる。

 ジェイミーは横に跳んだり銃弾で弾いたりして回避していたが、ついにそのうちの一本が頬をかすめた。

 わずかに血が流れる。

 だが、痛むのは体ではなく心だった。


「なるほど……」


 何かに納得しつつ、ジェイミーはマネキンに向かって発砲。

 マネキンが洋服掛けを押し倒し、洋服掛けが別の洋服掛けを倒し、それが商品棚を転倒させ……

 まるでドミノのように、店内の物があらかた倒れた。

 これでもうマナが身を隠せる場所はない。


「マナ。ナイフの扱いが見事だ」

「どうも」

「あの頃は戦いなんて知らない少女だったのに……」

「特訓したんでね」

「しこんだのは社長……ピラドスか?」

「……そうだよ」


 ここにいたって、ジェイミーは悟った。

 マナの旦那がピラドスであることを。


「クソッ。俺ははめられたんだな」


 この時……。

 ジェイミーは銃口をマナに向け続け、まったく油断はしなかったが、すぐそばにある試着室には一切の注意を払っていなかった。


「最後にひとつだけ教えてくれ」


 ジェイミーが撃鉄に指をかけた。


「マフィアが嫌いじゃないのか? ピラドスもマフィアの一員……どころか組織のボスなんだが」

「あんたと同じだよ」

「……?」

「私はそんなこと知らなかった。あいつに騙されたんだ。自分を堅気だと思わせて、私を抱いたんだ。マフィアの手口はみんな同じだね」

「……マナ……愛してた……」


 ジェイミーが引き金を引くのと同時……いや、それより、ほんの少し早かった。

 何かが起こった。


「……!?」


 突如として自分の足を襲ったものが、痛みだとさえわからなかった。

 なすすべもなく、ジェイミーは膝をついた。

 床に広がる血を見て、ようやく状況を把握。

 誰かが自分をナイフで刺したのだ、と。


(誰だ……店のおやじか!?)


 振り向いたジェイミーが目にしたのは、一人の子供。

 橙色の髪の毛の美少年――メリメオンだ。

 その手に握られているナイフは血にまみれていた。

 彼は外の騒ぎを聞きつけるや、今までずっと試着室の中へ隠れて、息をひそめていた。


「このガキ……」


 ジェイミーは銃口をメリメオンへ向けた。

 すると、マナが子供に覆いかぶさった。


(あのクソ野郎とこさえたガキか……? ちょうどいい。一緒にあの世へ送ってやる!)


 ところが……


「あ……」


 弾切れ。


「畜生……!」

「詰めの甘い男だね!」

「マナ……」

「寝てな!」


 マナはジェイミーを一蹴り。

 彼が気絶したことを確認すると、メリメオンを抱え、


「さ、行こう」


 店を出る際、店主に、


「服と修理の請求書は〔パンポット建設〕へ回しておいて!」


 言い放ってから、まだ待ってくれていた馬車に乗りこんだ。

 勇気ある御者は後にたっぷりと謝礼を受け取ることができた。

 マナ自身、命懸けの戦いに恐怖していたが、今はそれよりも心配が勝った。

 メリメオンが震えていたからだ。



「大丈夫……もう大丈夫だよ」

「……」

「ありがとう」


 メリメオンがマナを見上げた。


「私を守ってくれたんだね。あんたは強い子だ」


 マナが優しく抱き締め、頭を撫でさすってやると、次第にメリメオンの体から震えが消えた。

 眠ってしまったようだ。

 この時、マナは出会って初めて、メリメオンが自分に、


(心を許してくれた……)


 ように感じた。


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