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03話 この子の名前は

マナ・パンポット……浮気性でマフィアの旦那に愛想を尽かし、家を出る。ナイフさばきが上手い。


少年……パンポット家の物置小屋に監禁されていた、謎の少年。橙色の髪に、透き通るような白い肌。


ピラドス・パンポット……表向きは建設会社の社長。裏の顔はマフィアのボス。


バンズばあや……パンポット家の有能な使用人。

 マナは少年の肩に自分のショールをかけてやると、一緒に門を出た。

 バンズばあやはいつまでも二人を見送ってくれた。

 暗い思い出のつまった場所で、ばあやは唯一の光だった。

 だからこそ、マナは一度も振り返らなかった。


(ごめんね、ばあや。あんたの顔を見たら、決意が鈍ってしまいそうなんだ)


 涙をこらえた。

 そして途中で馬車を拾い、新しい生活が始まる予感に包まれながら、二人の旅は始まった。

 と、まあ、ここまではよかった。


「困ったね……」


 マナが真っ先に向かったのはオヴェン大通りの宝石店だった。

 店主を殺された遺族や従業員が、警察の捜査に立ち会っていた。

 マナは彼らに、


「このあたりで子供が行方不明になってない?」


 と尋ねたのだが、


「いや、そんな話は聞かないな」

「そう……」


 周辺を歩いて回ったが、どこにもそれらしき被害はない。

 そんなまわりくどいことなどせず、子供に直接、


「あんた、どこの子なの?」


 質問すればいいわけだが、ここでひとつ問題がある。

 しゃべらないのだ。

 マナが出身を尋ねても、寒くないかと心配しても、


「飴食べる?」


 と甘いもので釣ろうとしても、この少年は一切口をきかない。

 不安げにマナを見つめるだけだった。


(赤ちゃんでもあるまいし、まだしゃべれないなんてことはないだろう……ないよね……?)


 少年は身なりこそ粗末だが、整った顔立ちに傷はひとつもなく、髪はさらさらで、普段から大切にされているだろうことがうかがわれた。

 要するに、金持ちの子なのだろう。

 確かに誘拐の標的になりそうでもあるし、あるいは物好きに高値で売れそうでもある。


(あのクソ野郎……)


 旦那への怒りが再燃するとともに、マナの心に迷いが生じていた。

 警察に事情を打ち明け、親を捜してもらってもいい。

 と言うか、


(それが一番いい)


 だが、ふと思いいたった。

 この少年がかたくなに実家の所在を明らかにしないのは、


(家に帰りたくないから……?)


 もしかしたらマナと似た境遇なのかもしれない。

 つまり、家族の中に最低なやつがいて、二度とそこへは戻りたくないと考えている。

 馬車に揺られ、思案していたマナはついに意を決して、


「行くところがないなら、私についといでよ」


 すると、この時ばかりは少年の瞳に光が差した。

 どうやら喜んでいるらしい。

 相変わらず言葉はないが。

 そうと決まると、俄然、マナは元気があふれた。

 馬車の御者に、


「この辺りに、子供の服を売ってる店はない?」

「あれ? 港へ行くんじゃ……?」

「それは後回し! 頼むよ。ほら。心づけなら弾むからさ」

「えっ。こんなにいただいて構わないんですか?」

「いいの、いいの。どうせ私の金じゃないんだし」

「え?」

「あ。いやいや。何でもないの。で、子供服の店は?」

「ございますよ」

「よーし。じゃあ、飛ばしちゃってよ!」

「へい」


     *     *


 馬車が子供用品店へ到着したのは間もなくのことだ。

 ちょうど店は開いたばかりで、他に客はいない。

 マナにとって好都合だった。

 と言うのも、御者が案内してくれた店はパンポット邸近辺にあったからだ。

 子供を連れて歩いているところを近隣住民に話しかけられたら、


(事情を説明するのも面倒だ)


 ところで、マナがこの店に来るのは初めてだった。

 こんな店が近所にあることすら知らなかった。


(いや、無意識のうちに視界から排除していたのかも……)


 彼女の目には、この店に並ぶ商品のどれもがまぶしくて直視に耐えなかった。


「パンポット夫人……ですな?」


 店に入った直後、店主らしき男が話しかけてきた。


「ご主人はお元気ですか? ご結婚前のことですからご存じないでしょうが、この店も〔パンポット建設〕で建ててもらったんですよ」

「そ、そう……あの。以前どこかでお会いしたこと……」

「以前、ご主人の会社の記念パーティーでお見かけしたことがございます」

「あー……そうだった、そうだった。覚えてますよ」

「あ、いえいえ。奥様とはお話しするのは、これが初めてです。残念ながらパーティーの際、奥様は早々に帰ってしまわれたので」


 パーティーだろうと何だろうと、夫の素行が気に入らなければ、マナは喧嘩をおっ始めてしまう。

 その時はピラドスにグラスを投げつけて帰宅したのだった。

 思い出してマナは赤面する。


「こちらのお子様は……息子様で?」

「え? ええ! そ、そうです!」

「ご子息がいらっしゃるとは存じませんでした。うちへいらっしゃってくだされば、何なりとご用立てさせていただきますものを」

「はは……。これからはここへ来させてもらいますよ」

「お名前は?」

「マナです」

「え? ああ……あの……お子様の……」

「あ。そっち……あー……」


 マナは答えにつまった。

 よく考えれば、まだこの子から名前も聞き出せていない。

 マナも少年も沈黙しているので、店員が眉をあげた。

 明らかに怪しんでいる。

 マナはとっさに、


「め、メリメオン」


 上擦った声で言った。


「メリメオンっていうの、この子」

「ほう。いい名前ですな」


 ぎこちない世間話を終えたところで、服を買いたいという本題へ入った。

 パンポット家の息子にしては粗末な服を着ている点に関しては、


「この子、外で遊び散らかして、すーぐ服を汚しちゃうんですよ」


 という、その場の思いつきで乗りきった。

 店主が商品を見繕っている間、マナは、


「そうだ」


 ブーツの皮革の隙間に忍ばせておいた折りたたみ式のナイフを、メリメオンの手に握らせた。

 刃渡り6cm、持ち手部分は9cmの小さなナイフ。

 マナは身体中のいたるところにナイフを隠している。

 広げ方、折りたたみ方を簡単に教えて、


「別に、この店の人を疑ってるわけじゃないよ。けど一応、護身用に。ね」


 そう告げたマナを、少年は物言いたげに見つめた。

 やがて服を持って現れた店主が、


「試着をしましょうか。さあ、お坊っちゃん。こちらへどうぞ」


 少年を試着室へ案内した。

 マナは一人で立っていたが、やがて息苦しさに耐えられなくなり、店の外へ出た。

 店のすぐ外に馬車の御者を待たせてある。

 目が合い、


「もうちょっと待ってね。ごめんよ」

「いえいえ。いつまでもお待ちしますとも」


 マナが気前よく心づけを払ったため、御者は好意的に対応してくれる。

 マナは少し通りを歩いた。


「ふーっ」


 大きな木にもたれかかり、白い息を吐き出す。


(私、何してんだろ……)


 いや、本当はわかっている。

 あの少年に向けているのは親切なんかではない。

 彼女はひたっているだけだ。

 認めたくない自分の本音から、もう逃げられない。


(メリメオンが今も生きてれば、ちょうどあの子と同じくらいだ)


 およそ6年前。

 マナは出産した。

 夫も待望していた男の子だったが、この子は生まれつき体が弱く、生後数ヵ月で遠くへ旅立ってしまった。

 その我が子につけた名が、


「メリメオン」


 だった。

 つまり、マナは誘拐された少年を、亡くした我が子に重ねていた。


(こんなんじゃダメだ)


 マナは両手で顔をはたく。


(マナ・パンポットだった頃の自分は、もう忘れよう。そうだ。あのクソ野郎とはもう夫婦の関係じゃないんだし、これからは旧姓を使おう。よし。今日から私はマナ・マーメルとして生まれ変わるんだ。パンポット夫人なんて声をかけられたって、知らんぷりしてやるもんね)


 そう決心したところへ、


「マーメルのお嬢さん」


 と呼びかけられたものだから、マナは喜んで、


「はいはい!」


 と笑顔で応じた。

 ところが、相手の顔を見て、笑顔がひきつる。


「あ……あんたは……」

「真の美は永遠だ。十年前から、きみはずっと美しい」

「ジェイミー……!」


 昔の恋人、ジェイミー・ジュースカジューだ。


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