19話 たったひとつの光
マナ・パンポット……浮気性でマフィアの旦那に愛想を尽かし、家を出る。ナイフさばきが上手い。旧姓マーメルを使うことにした。
メリメオン(ミカ)……ノーリンジ王国の第1王子。橙色の髪に、透き通るような白い肌。王宮内の陰謀により誘拐された。
キンカ……ノーリンジ王国の国王。ミカが誘拐され行方不明になって以来、憔悴している。
カーリー……ノーリンジ王国の王妃。冷えきった目に燃え盛る野望を宿している。ミカ王子誘拐事件の黒幕。
ポンカ……ノーリンジ王国の第2王子。武芸に秀でる。わんぱくで生意気なクソガキ。
レモ……ノーリンジ王国の前王妃。ミカの実母。故人。
カット卿……政財界の黒幕。ナイト爵持ち。カーリー王妃の父親。
ピラドス・パンポット……表向きは建設会社の社長。裏の顔はマフィアのボス。ジェイミーによって殺害された。
ジェイミー・ジュースカジュー……マナの昔の男。銃の達人。メリメオンに足を刺され、バンズに手の腱を切られた。
「襲撃だ!」
すでに日が暮れている時間帯。
公務のため、王宮を出ていたミカ王子。
帰路につく馬車が狙撃された。
まず馬が殺され、次に御者と従者が殺され、そして扉がこじ開けられた。
「走ってください!」
扉を開けた男を蹴倒すと同時に、執事がミカを引っ張り、馬車を降りた。
敵の数は十人にも満たない。
が、彼らはいずれも武器を手にしている。
案の定、執事は背中を撃たれ、あっけなく果てた。
それでもミカは止まることなく走り続けた。
(嫌だ……死にたくない……!)
だから必死で逃げ惑ったのだが、意外にも弾丸は一発も飛んでこず、代わりに大勢の犬が追いかけてきた。
唾液にまみれた牙がミカの衣服をつかんだ。
「……っ!!!」
助けを求めるためにも、精神的な苦痛を発散するためにも、無性に叫びたかったが、ショックのあまり声が出なくなってしまった。
犬はミカを噛み殺しこそしなかったものの、がっちりと押さえこんだ。
追いついた謎の集団がミカを拘束。
敵の首領らしき男がミカの顎をつかみ、
「へー。王子様ってのは、こんなに綺麗な顔をしてんのか。女みてえだな、おい」
「……」
「こいつ、怖くて声も出ねえのか。ますます男らしくねえ。ま、おとなしくしてくれりゃあ、こっちは助かるがな」
自分を雑に扱う男の正体が、マフィア組織のボス、ピラドス・パンポットであるとは知るよしもなかった。
そして……。
小さな檻へ収容され、パンポット邸の物置小屋にしまわれた。
闇の中でミカはただひたすら震えた。
(もう何も信じられない……)
生まれてから一度も愛をあたえられず、挙げ句、知らない連中にさらわれてしまった。
(私は世界中の誰からも愛されていない……)
視界がかすむ。
目を開けていられない。
ぐったりと身を横たえ、冷たい夜を過ごした。
(もう二度と目が覚めないように)
祈ったが、その願いは叶わなかった。
翌朝――
あまりにも大きな絶望に、一筋の光が差した。
「こ……子供!?」
女性が物置小屋の扉を開いた。
彼女はナイフを使って鍵を破壊した。
檻から助け出してくれるようだ。
だが、ミカは誰のことも信じられなくなっていた。
(とうとう殺されるんだ……)
その想像は外れた。
「つらかったね……」
ミカはそっと抱き締められた。
「もう大丈夫だ。誰もあんたを傷つけやしないよ」
「……」
「よし、よし」
その時の彼女の体温を、ミカは生涯にわたって忘れないだろう。
寂しさと寒さは同じだ。
凍てついた世界で、ただこの一人の女性だけがミカを優しくあたためてくれた。
恐怖を、不信を、絶望を、少しずつ溶かしてくれた。
ナイフもくれた。
美味しいご飯もくれた。
海を見せてくれた。
船に乗せてくれた。
島では、たくさんの出会いと経験をくれた。
いつしか……。
ミカにとって彼女は――マナ・マーメルは、
(私の人生における、ただひとつの光)
になった。
* *
(……また目が覚めてしまった……)
ミカ王子は横たわったまま微動だにしない。
地下牢獄には、朝になっても日の光が差しこまず、何の音も聞こえない。
時間の感覚は完全に狂っていた。
闇の中に取り残されてから、どれだけの時間が経過したか、さっぱりわからない。
最初のうちは、馬のいななきか足音くらいは耳に入るだろうと思っていたが、まったくそんなことはなかった。
だが、
(どうでもいいや……)
ミカは完全に疲れていた。
彼にとって、この暗闇で過ごす時間は、ある意味で安息と言えるかもしれない。
もう何にもおびえなくて済むのだから。
死を待ち望みつつ、うつらうつらとまどろむ。
だが……。
様々な感覚を遮断する地下空間においても、嗅覚は影響を受けない。
「……!」
ミカは気づいた。
(マーマレードの香り……)
希死念慮は一瞬で吹っ飛んだ。
入れかわるように食欲が湧き上がる。
すっかり忘れていたはずの空腹を自覚しつつ目を開くも、何も見えない。
匂いだけを頼りに手を伸ばす。
「……っ!」
柵の向こうをまさぐっていた指にガラスの破片が刺さった。
痛みが意識をより鮮明にし、ミカは意地になってジャムを探し続ける。
手が傷だらけになった時、ようやくジャムを見つけた。
ほんのわずかな量を指先にのせ、口へ運ぶ。
血の混じったマーマレードだったが、それでもやはり美味しく感じられるのは、その味がマナとの思い出を連想させるからだろう。
(また会いたい……)
まだ声は出ない。
だが、いつか伝えようと思っていた。
感謝を。
心のぬくもりを。
あなたのことが大好きだ、と。
* *
舞踏会の準備は順調に進められた。
この催しは、ただ踊る場所さえあればよいというものではない。
高貴な身分の方々が社交をする場なのだ。
香を染みこませた招待状を送ることに始まり、内装を整えることにたくさんの時間と金銭を費やすことになる。
調度品、料理、酒、楽団、花……。
その種類や配置、組み合わせには、主催者のセンスがものを言う。
うまくいけば大勢の客人を魅了することができ、失敗すれば……
「失敗は許されません」
「ひいっ……」
舞踏会の会場、すなわち王宮内の専用ホールにて、若い侍女が床に手をついて謝罪している。
花瓶を落として割ってしまったのだ。
予備などいくらでもあるし、その交換にかかる時間も大したことはないはずなのだが、王妃は容赦しない。
「命をもって償いなさい」
「お、お許しを……お許しを……!」
「やっておしまいなさい」
王妃の命令により、侍女はその場で撲殺された。
床に散らばる脳みそは、赤く濡れたザクロのよう。
カーリーは絶対的な権力を持っている上、今回の舞踏会を熱心に取り仕切っている。
その気迫に圧倒され、周囲の者は誰一人として口出しできなかった。
今日は舞踏会の当日。
彼女がミカを地下牢獄へ閉じこめてから3日が経過している。
「あら……」
カーリー王妃は窓の外を見やった。
馬車が門を通った。
招かれた貴族が到着し始めたのだ。
「出迎えに参らねばなりませんね」
能面のような表情のまま、
「ただちに床を掃除なさい。もちろん、そのゴミも片しておくように」
* *
貴族が続々と到着し、時刻は夜。
この舞踏会は晩餐会も兼ねている。
大きな食堂のにぎわいが外まで漏れ伝わる。
「いいなあ。今頃、うちのご主人様はたらふく美味いものを食ってるんだろうな」
王宮の外は多くの従者や警備兵で埋め尽くされていた。
空気はなごやかだ。
よその家の従者同士は気をつかう必要がなく、ざっくばらんに語り合えるし、まさか王族や貴族を相手に喧嘩を仕掛けるやつがいるとは思われず、警備にものものしさはない。
馬車が隅から隅まで点検されないのも当然のことだった。
侵入者はこの隙を突いた。
「いよっと」
ここに、暗色の粗末な身なりをした女性が一人いる。
どこから現れたかと言えば、馬車の真下。
要するに、この人物は馬車の下にへばりついて、王宮へ入りこんだのだ。
大胆不敵な計略だが……
「な、何者だ!?」
「あ。やっべ」
警備兵に目撃されてしまった。
馬車の下から出てきた、現行犯。
言いわけは通用しない。
「おい。答えろ」
「ごめんね」
「何を――」
不審な女は袖に忍ばせておいたナイフを取り出し、兵士の首を強打。
「峰打ちだよ」
崩れ落ちた兵士を目立たないところへ隠して、それから彼女は移動しようとしたのだが……
「しつこいのは俺だけじゃなかったみたいだな」
どこからともなく現れた男が、彼女の行く手に塞がった。
その男の左手には銃が握られている。
「いらっしゃると思ってたよ、マーメルのお嬢さん」
「決着をつけようじゃないか、ジェイミー」
王宮の庭で、マナとジェイミーが対峙する。




