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明日を迎えるための場所 ~炎上した銭湯と、居場所をなくした人たちの再生物語~  作者: 凪子
【結実理編】

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9/15

葉桜が風にさらわれる頃、世間はゴールデンウィークに入った。


松の湯は、普段どおり。定休日の月曜以外は、変わらず営業している。


感染症対策や物価高で出かける人が少ないせいか、意外に混み合う日が多かった。


「お疲れさま。戸波君、ゴールデンウィーク全然休まなかったけど、よかったの?」


ゴールデンウィーク最終日、午後五時ごろ出勤した戸波君に、私は問いかけた。


「特に予定ないんで、大丈夫です」


「そっか、もったいないけど……このご時世だもんね。私はほんと助かったけど」


「ありがとうございます。俺も二次試験の勉強しないといけないんで、ちょうどよかったです」


「そっかそっか、一次受かったんだもんね。おめでとう」


戸波君は大学四年生で、警察官の採用試験を受験中である。


今はゼミ以外、ほとんど授業に出る必要はないらしい。


そのため週四、五日はシフトに入ってくれる、松の湯にとってめちゃくちゃありがたい存在だ。


「よっ兄ちゃん。来年から警察官かい」


ご近所で常連の三井さんが口をはさんだ。


好々爺という言葉が似合うおじいちゃんで、白いシャツに青いステテコっぽいハーフパンツ、手にはビールを持っている。


「そうなれるように頑張ります」


「今どき珍しいですよね、警察官志望なんて。本当えらいですよ。ぜひ奈良の治安を守ってほしい」


三井さんと戸波君に交互に視線を振りつつ、私は言った。


「見上げた志だよ。他の若い連中も見習ってほしいもんだ。兄ちゃん、頑張れよ」


拳をぐっと突き出した三井さんの後ろから視線を感じて、私は目を上げた。


ロビーのソファーに腰かけてジュースを飲んでいた少年は、目が合った瞬間、すぐに手元のゲーム機に視線を落とした。


小学校高学年か中学生くらい。少し生意気そうだけど、整った顔立ちの少年だった。


「そろそろ行くか、潤」


振り向いた三井さんが声をかけた。


「お孫さん?」


「そうなんだよ。倅の息子でね。ほら挨拶せぇ」


「こんばんは」


思春期ならではの若干むすっとした感じで、潤と呼ばれた少年は頭を下げた。


三井さんは笑うとなくなってしまうような細目なのに対して、潤君はくりっとした目をしている。


きっと彼はお母さん似なのだろう。


「こんばんは。また来てね」


「銭湯はコロナでも閉めなくていいの?」


物怖じなく尋ねてきた潤君の頭を、三井さんが軽くはたく。


「こら、失礼やろ」


「いえいえ。そうなの、公衆浴場は地域住民の衛生を保つため必要な施設っていうので、休業要請されないんだよね。でも消毒と検温と換気はしっかりやってるから安心して」


「ふーん」


興味なさそうに言うと、潤君はロビーの奥の一点を見つめた。


つられて私がそちらを見ると、「じゃあまた」と三井さんの声が聞こえてきた。


「ありがとうございました」


さてと、と呟いて私はロビーの掃除と飲み物の補充に立ち上がった。


ゴールデンウィーク最終日ということもあって、さすがに今日の混み具合は少しましだ。


みんな家でゆっくり過ごしたいのだろう。


本棚から落ちているジャンプを拾って棚に戻し、積んである空き瓶のケースを整頓していたら、ふと結実理のことを思い出した。


そういえば、颯太君が泣きまくったあの日以来、結実理は来ていない。


ちょっと気にはなるけど、ゴールデンウィークは家族水入らずで過ごしているのかもしれない。


まあ、それが一番だよね。


「おばあちゃん、来週の薬湯のことで……」


声をかけたちょうどそのとき、店の電話が鳴った。


「はい、松の湯です」


『もしもし?』


男の人の、聞き慣れない声がした。


「もしもし。松の湯ですが」


『天見さんですか。桂結実理の夫ですが』


「ああ、はい、先日はどうも」


愛想よく返事しながらも、ちょうど結実理のことを考えていたところだったので、内心驚いていた。


『つかぬことを伺いますが、結実理はそちらに伺っていないでしょうか』


「え……?」


思わず言葉を失い、心臓がひときわ強く打った。


とっさに、おばあちゃんが言った『家出』という単語を思い出した。


「もしかして、いなくなったんですか?」


『結実理はお邪魔してないんですね?』


質問に質問で返したせいか、電話口の桂さんの語調がきつくなった。


「こちらにはいらしてないです」


『分かりました。ありがとうございました』


切られそうな気配がしたので、私は「待ってください」と声のトーンを上げた。


「結実理さんを捜しておられるのであれば、私もお手伝いします」

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