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葉桜が風にさらわれる頃、世間はゴールデンウィークに入った。
松の湯は、普段どおり。定休日の月曜以外は、変わらず営業している。
感染症対策や物価高で出かける人が少ないせいか、意外に混み合う日が多かった。
「お疲れさま。戸波君、ゴールデンウィーク全然休まなかったけど、よかったの?」
ゴールデンウィーク最終日、午後五時ごろ出勤した戸波君に、私は問いかけた。
「特に予定ないんで、大丈夫です」
「そっか、もったいないけど……このご時世だもんね。私はほんと助かったけど」
「ありがとうございます。俺も二次試験の勉強しないといけないんで、ちょうどよかったです」
「そっかそっか、一次受かったんだもんね。おめでとう」
戸波君は大学四年生で、警察官の採用試験を受験中である。
今はゼミ以外、ほとんど授業に出る必要はないらしい。
そのため週四、五日はシフトに入ってくれる、松の湯にとってめちゃくちゃありがたい存在だ。
「よっ兄ちゃん。来年から警察官かい」
ご近所で常連の三井さんが口をはさんだ。
好々爺という言葉が似合うおじいちゃんで、白いシャツに青いステテコっぽいハーフパンツ、手にはビールを持っている。
「そうなれるように頑張ります」
「今どき珍しいですよね、警察官志望なんて。本当えらいですよ。ぜひ奈良の治安を守ってほしい」
三井さんと戸波君に交互に視線を振りつつ、私は言った。
「見上げた志だよ。他の若い連中も見習ってほしいもんだ。兄ちゃん、頑張れよ」
拳をぐっと突き出した三井さんの後ろから視線を感じて、私は目を上げた。
ロビーのソファーに腰かけてジュースを飲んでいた少年は、目が合った瞬間、すぐに手元のゲーム機に視線を落とした。
小学校高学年か中学生くらい。少し生意気そうだけど、整った顔立ちの少年だった。
「そろそろ行くか、潤」
振り向いた三井さんが声をかけた。
「お孫さん?」
「そうなんだよ。倅の息子でね。ほら挨拶せぇ」
「こんばんは」
思春期ならではの若干むすっとした感じで、潤と呼ばれた少年は頭を下げた。
三井さんは笑うとなくなってしまうような細目なのに対して、潤君はくりっとした目をしている。
きっと彼はお母さん似なのだろう。
「こんばんは。また来てね」
「銭湯はコロナでも閉めなくていいの?」
物怖じなく尋ねてきた潤君の頭を、三井さんが軽くはたく。
「こら、失礼やろ」
「いえいえ。そうなの、公衆浴場は地域住民の衛生を保つため必要な施設っていうので、休業要請されないんだよね。でも消毒と検温と換気はしっかりやってるから安心して」
「ふーん」
興味なさそうに言うと、潤君はロビーの奥の一点を見つめた。
つられて私がそちらを見ると、「じゃあまた」と三井さんの声が聞こえてきた。
「ありがとうございました」
さてと、と呟いて私はロビーの掃除と飲み物の補充に立ち上がった。
ゴールデンウィーク最終日ということもあって、さすがに今日の混み具合は少しましだ。
みんな家でゆっくり過ごしたいのだろう。
本棚から落ちているジャンプを拾って棚に戻し、積んである空き瓶のケースを整頓していたら、ふと結実理のことを思い出した。
そういえば、颯太君が泣きまくったあの日以来、結実理は来ていない。
ちょっと気にはなるけど、ゴールデンウィークは家族水入らずで過ごしているのかもしれない。
まあ、それが一番だよね。
「おばあちゃん、来週の薬湯のことで……」
声をかけたちょうどそのとき、店の電話が鳴った。
「はい、松の湯です」
『もしもし?』
男の人の、聞き慣れない声がした。
「もしもし。松の湯ですが」
『天見さんですか。桂結実理の夫ですが』
「ああ、はい、先日はどうも」
愛想よく返事しながらも、ちょうど結実理のことを考えていたところだったので、内心驚いていた。
『つかぬことを伺いますが、結実理はそちらに伺っていないでしょうか』
「え……?」
思わず言葉を失い、心臓がひときわ強く打った。
とっさに、おばあちゃんが言った『家出』という単語を思い出した。
「もしかして、いなくなったんですか?」
『結実理はお邪魔してないんですね?』
質問に質問で返したせいか、電話口の桂さんの語調がきつくなった。
「こちらにはいらしてないです」
『分かりました。ありがとうございました』
切られそうな気配がしたので、私は「待ってください」と声のトーンを上げた。
「結実理さんを捜しておられるのであれば、私もお手伝いします」




