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ところが、拍子抜けするほど呆気なく——結実理は何事もなかったかのように現れた。
「この間はごめんね~、ささらちゃん」
二、三日してやってきた結実理は、今度は小さな子どもの手を引いていた。
「これ、お詫び。おいしいチーズケーキなの。よかったら食べて」
「そんな、気遣わなくていいのに」
「ンママぁ~~!!!!」
何の前触れもなく、突然子どもが大声で泣き出した。
ロビーにいたお客さんたちが、ぎょっと振り返る。
「こらっ、颯太。静かにしなさい」
結実理はしゃがみ込んで言い聞かせるが、颯太と呼ばれた子どもは手足をばたつかせて泣きわめいている。
「颯太君っていうの?いくつ?」
私は番台から出て尋ねてみたが、効果なし。
喉が破れるんじゃないかというようなキンキン声で泣き続ける。
まるで体の内側から何かが噴き出したみたいな、制御不能な泣き方だった。
「颯太!」
結実理の手が颯太君の小さな肩をつかみ、ぐい、と揺さぶった。
しかし、泣き声は収まるどころか、余計に大きくなるばかりだった。
冷たい視線が周囲から突き刺さり、結実理は肩をすぼめてうつむいた。
「ごめんね、この子ったらわがままで」
「ううん。颯太君も急に知らないところに連れてこられて、びっくりしたんだよね?」
私は話しかけたが、颯太君は顔を真っ赤にして「あああああああ」と泣き続けている。
うん、お手上げです。
「もしよかったら、私、家で見てようか?結実理だけでも入ってきなよ」
私はちらっとロビーを掃除しているおばあちゃんに目を向けた。
おばあちゃんは苦虫を五、六百匹ぐらい噛み潰した顔をしたけど、背に腹はかえられない。
「ううん、やっぱり今日は帰るね。また迷惑かけちゃってごめんなさい」
「全然大丈夫だよ。また来てね」
「ありがとう」
気まずそうな笑顔のまま、結実理は颯太君を振り返りもしないで歩き出した。
その背を追って、置いていかれた颯太君の泣き声だけが響く。
二人が暖簾をくぐって出ていったのを見届けると、私は溜息をついた。
同時に、ほっとした安堵感がロビーを流れる。
松の湯には子ども連れのお客さんも頻繁にいらっしゃるけれど、まだ湯船にも入っていない段階であんなに泣く子は珍しい。
颯太君にとって初めて来る場所とはいえ、ちょっと異常な感じがした。
やっぱり、何かあるのだろうか。
「勘弁してくれよ~、頭割れるかと思ったぞ」
番台にやってきた篠っちを指さして、私は声を上げた。
「ちょ、またいたの?どんだけ暇なのよ」
「だから、いつ来ようと俺の勝手だろって」
「お役所仕事はどうしたの」
「公務員にも有給取る権利ってもんがあるんだよ。こちとら真面目に働いてんのに、すぐ税金泥棒とか言われて、マジ意味不だわ」
オレンジのTシャツに黒いスウェット、肩には青いタオルを巻いている。
そのタオルで頭を拭きながら、篠っちはぽつりと言った。
「あんなに泣くってことは、しつけがなってないんだろうな」
「そんな簡単なものじゃないんじゃない?」
やっぱり結実理の肩を持ってしまう。
だって世間は、あまりにも子ども連れの母親に厳しいから。
「子育てって、するだけで本当にすごいことだと思う」
私だったら――途中で投げ出してしまうかもしれない。
「何、やっぱマウンティングされてひがんでんの?大丈夫だって、最後まで望みを捨てるな。諦めたらそこで試合終了ですよ」
絶妙にいらっとする口調を無視して私は言った。
「篠っちも結婚式の準備してるんでしょ。子どもができたら結実理の苦労が分かるよ」
「それを言うな、それを。マリッジブルーになっちゃうだろ」
「彼女さんはマリッジブルーどころの騒ぎじゃないでしょ。本当かわいそう」
両手を合わせて弔う仕草をする私に、「どういう意味だよ!」と篠っちは気炎を吐いた。




