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「せがれの嫁は、生まれつき心臓が弱くてね。もともと、子どもは持てないと言われてたらしいんよ。それでもせがれは結婚したいって、許してくれないなら駆け落ちするとまで言ったんやわ。物静かで綺麗で、何より優しくってね。私も妻も、そこまで覚悟してるならってことで結婚したんやけども」
そこまで言って、唇を湿す。
目元にかすかに影が差した。
「ところが、春菜さん……せがれの嫁は妊娠してね。どうしても産みたいと。命に関わっても構わないと。大分ともめたけども、結局、春菜さんの強い希望で産むことになってね。我々も、もう生きた心地がせんかったわ。大変な難産やったけど、奇跡的に潤が産まれて、春菜さんも無事で。これ以上幸せなことはないって、みんなで泣いたわ」
「そうだったんですか……」
潤君の誕生に、こんなにも多くの祈りと覚悟が込められていたなんて――胸が詰まった。
「春菜さんはな、潤を産んだからって寿命が縮んだとは思っとらん。むしろ、あの子の存在が力になったって、よう言うとったわ。現に、潤が十三歳になるまで生きてたわけやからね。潤が自分を責める必要はない」
拳を体の横で握りしめ、言い聞かせるように、三井さんは潤君の名前を繰り返した。
「春菜さんは何度か心臓の手術をして、よくなったり悪くなったりを繰り返したんやけど、今年の初めに大きな発作を起こして、そのまま亡くなった。それ以降、潤は一度も母親のことを口にせえへん。それは、あの子が心のどっかで負い目を感じてるからと違うかなと思って、気になりましてね。
それで松の湯に誘って、何度か来させてもうたんですわ」
私は以前、潤君が三井さんに連れられてやってきたことを思い出した。
でも、どうして松の湯だったのだろう。
疑問を抱いたのを見透かしたかのように、三井のおじいちゃんは続けた。
「春菜さんは入退院が多くて、家族で旅行に行ったりはなかなか難しかった。せやけど、たまに調子がええときは、潤を連れて私も一緒に松の湯に行ってね。熱いお湯は体にこたえるらしくて、春菜さんはいつも早めに上がってたけど、それでも月に一度は通ってたよ。
そんであるとき聞いたら、銭湯がえらい大好きなんやって言うててね。潤は三歳とか四歳とか、それぐらいのころやから、あんまり覚えてないみたいやったけどね。潤が男湯に入るようになってからは、春菜さんと一緒に行くこともなかったし」
十年ほど前となると、私はまだ高校生だった。
お母さんが女将として、ばりばり松の湯を切り回しており、私はほとんど運営に関わっていなかった。
だから、当時の潤君や春菜さんと顔を合わせた記憶がないのだろう。
「春菜さんが松の湯を気に入ってくださっていたと聞いて、嬉しかったです。できればお話したかった……残念です」
お悔み申し上げますと私が言うと、三井のおじいちゃんは目を細めた。
「潤が何で松の湯で悪さしたんか、私にも本当のところはよう分からんのです。せやけど、母親を亡くしたからといって、やっていいことと悪いことがある。その分別はしっかりつけなあかん」
「はい。でも、潤君はちゃんと分かっておられるのではないかと思います。松の湯に来て、お母様との思い出を思い出されて、それでつい写真が撮りたくなったのかもしれません。
今どきって、何かあるとすぐスマホで写真撮るじゃないですか。ああいう軽い感じで」
「ああ、インスタ映えとか言うやつか。わしには、あれの何がええんかさっぱりやけどな。
まあ、それは別として、潤は潤でいろいろ思い出したり、心の整理をしてるんやと思いますわ。
ほんまに申し訳ないけれども、今回だけは見逃してやってください。二度とこんなことはさせへんので」
「いえいえ、いいんです。それより、潤君のこと、あまり強く叱らないであげてください。
もしよかったら、また松の湯に遊びに来てねとお伝えいただけますか。潤君がうちで、お母様との思い出を探しておられるのなら、そっと見守りたいと思います。何かお力になれることがあれば、いつでもご相談ください」
「……ありがとうな。ほんま、感謝してもしきれへん」
三井のおじいちゃんの目の端に、涙がきらりと光っていた。




