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立ち話は十分ほどだったが、戻ると店内にお客さんが増えていた。
「戸波君、ありがと」
「大丈夫です。俺、男湯回ってきます」
「うん、お願い」
戸波君の背中を頼もしく見送っていると、お客さんが立て続けに入ってきたので、会計にてんてこ舞いになる。
ごみを片づけて、女湯を見回り、ジュースやアイスの在庫を確認して、初めてのお客さんに駐車場の案内をしていると、あっという間に時間が過ぎた。
「よっす」
声をかけられたときも、私はお金の計算に夢中で気づかなかった。
「おーい、無視かーい」
もう一度話しかけられて、ぱっと顔を上げた。
「いらっしゃいませ!って、篠っちか」
「だから、何で毎回がっかりしてるんだよ。失礼な奴だな」
「久しぶりだね。元気だった?」
入湯料をもらい、おつりを返しながら尋ねると、篠っちは浮かない表情で言った。
「まあな……。あっLINEごめん、返してなかった」
「ん?何?」
「何か言ってたじゃん、男湯に中学生が来たらどうとかって」
「ああー!あれね」
私は思い出して、ぽんと手を打った。
数日前、篠っちに三井君のことをLINEで頼んだんだった。
「あれ、もう大丈夫。ありがとう」
「何だよ、気になるな」
「ほんと、気にしないで。どうせ忙しいでしょ?」
わざと嫌味っぽく言って笑うと、篠っちは力のない笑みを浮かべた。
あれっと違和感を覚えた。いつもよりずっと、元気がない。
「……何かあった?」
そこに「大人一人」と常連のお客さんがやってきたので、会計をすませる。
その間も、篠っちは冴えない表情で黙っていた。
「いやー……式の準備が忙しくってさ」
ようやく出た言葉に、肩すかしを食らう。
「なーんだ、ただのノロケじゃん。はいはい、お幸せに~」
「違うんだって。今週末、両家顔合わせなんだよ。もう緊張で今から胃が痛くて」
「どこでやるの?」
「帝国ホテル大阪。挙式も披露宴もそこでやるからって。だったら式の当日でよくね?って言ったんだけど、彼女が普通、先に顔合わせするもんだって。
うちの母ちゃん知ってるだろ? ずけずけ物言うし、声でかいし……百パーで相手ドン引きだぞ」
「はは、それもう開戦じゃん。嫁姑バトル第一ラウンド、開幕~!」
「笑いごとじゃねえよ。顔合わせがすんでも、まだ決めなきゃいけないこと死ぬほどあるしさ。
天見、お前手伝ってくんねえ? 祝儀なしで結婚式呼ぶから」
「謹んで辞退します。手塚君とか呼ぶんでしょ?そっちに手伝ってもらえば?」
私は中学三年のとき同じクラスだった男子生徒の名前を挙げた。
「あいつら仕事で忙しいんだもんよ~。東京行ってる奴もいるし」
「私も仕事で忙しいんですけど」
と言うと、「だよなー」と篠っちはうなだれる。
横顔には疲労の色が濃く映っている。
幸せなこととはいえ、なかなか結婚前の準備は大変そうだ。
「とりあえず、ゆっくりお風呂入ってきたら?リラックスしたら、いい考えも浮かぶかもよ」
「そうだなー」
篠っちは一度、男湯のほうに向かい、それから番台に戻ってきた。
「どうしたの?」
「天見……俺、大丈夫かな」
うつむいた顔は、いつもの能天気さが嘘みたいに曇っていた。
「大丈夫って?」
問いかけてみても、うつむいたまま黙っている。
おっと。これが噂の、マリッジブルーってやつだろうか。
幸せなはずなのに、新しい生活が始まることへの不安が胸を覆う。
そんな気持ちは、分からなくもない。
「篠っち」
私は番台から飛び出すと、全力で背中をひっぱたいた。
ぱあん、と乾いた音がロビーに響き渡る。
「痛って!!」
篠っちが悲鳴を上げ、ロビーにいたお客さんたちがこちらを振り返る。
「目、覚めた?」
「お前なあ……」
「大丈夫だよ」
私は篠っちの目を見て、繰り返した。
「篠っちなら大丈夫」
お世辞ではなく、本心からの言葉だった。
「……おしっ。そうだな。いっちょ気合入れるか!」
篠っちの瞳に元気がみなぎる。
ちょっぴり単純だけど、そこが彼のいいところだ。
「ありがとな、天見」
私は微笑んで、番台の上から手を振った。
「どういたしまして」




