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この前も来たけれど、奈良教育大学付属中学校は山の上にある。
卒業した学校だって、地元にあるからって、そうそう行くもんじゃない。
母校って、そんなもんだ。
心の片隅にはあるけれど、普段はすっかり忘れている。
人生の節目に、時折振り返る機会が来る。
そのはずだったんだけど――何でこうなったのか。
「うわあ……」
ミツイデンキまで歩きで来たものだから、今日は自力で坂を上らなければならない。
六月の、空に蓋をして蒸したみたいな、むわっとした空気の中、私はうんざりしながら一歩ずつ進む。
額が汗ばみ、髪が湿ってくる。
正門の横っちょに、警備員の入った小さなボックスがあった。
中では、仏頂面のおじさんが腕を組んでいる。
「こんにちは」
声をかけると、おじさんはじろりと私を見た。
ボックスの中はさぞかし暑いのだろう、シャツに汗の染みができている。
「卒業生の天見ささらといいます。お世話になった大橋先生に挨拶に参りました」
「ここに名前書いて」
ぶっきらぼうに窓から渡されたノートに、私は名前と卒業年度を書いた。
警備員さんは、電話で事務室に確認を取った後、通用門を開けてくれた。
私は一番手前の職員棟に向かい、スリッパに履きかえてから昇降口まで歩いていった。
一年生から三年生で、三クラスずつある。
一年一組から見ていくと、二年一組に『三井潤』の名前があった。
多分これだなと当たりをつけた後は、職員室に向かう。
入ったところで、つるぴか頭の先生の顔が目に飛び込んできた。
「こんにちは、大橋先生」
「おお。えーっと……?」
「天見ささらです。三年二組のときにお世話になりました」
「おお、天見か!!久しぶりだなあ」
大橋先生は国語教師で、三年生のときの担任だった。
温厚で授業も面白いので、そこそこ生徒たちから人気もあったように思う。
ただし、当時四十代だったと思うけど、その時点でハゲが進んでいて、陰ではハゲハゲ言われていた。
容姿が気になるお年頃、中学生は残酷なものだ。
「お久しぶりです、先生」
「今日はどうしたんだ?」
「先生が教頭先生になられたって聞いて、お祝いを申し上げに来ました」
口から出まかせもいいところだったけど、大橋先生は驚いたように言った。
「え!?誰から聞いたんだ?」
当たりだった。私は心の中でガッツポーズを決めた。
当てずっぽうだが、この時間帯に職員室にいる先生は、担任を持っていない可能性が非常に高い。
外れたときは、「あれ、そう聞いたように思ったんですけど、勘違いでした」と言えばいい。
「えーっと……篠原君です。同じクラスだった」
「おお、そうだったか!いや~ありがとう、ありがとう。俺は授業するのが好きだから、いつまでも現場で働きたいんだけどな」
「いえいえ。おめでとうございます」
私がにっこりお辞儀すると、大橋先生も顔をほころばせた。
「いやあ、教え子が立派になって帰ってきてくれて嬉しいよ。天見は今、どこで働いてるんだ?」
「実家の銭湯を継いでいます。三条通りのちょっと南に外れたところにある、『松の湯』っていう銭湯です」
大橋先生は、スズメみたいに目をぱちくりさせた。あのころと変わらない癖だ。
「へえー、そうなのか。意外だな。天見は学者とか医者とか、そういうのになると思ってたよ。もちろん経営も向いてると思うけどな」
私は黙って微笑んだ。
「まあ座りなさい。お茶でも淹れるから」
「いえ、仕事があるので戻らないと。ゆっくりお話したいのは山々なんですが」
「そうかそうか、銭湯は午後から営業だもんな」
「はい」
今日は定休日だけどね、と心の中で付け足す。
「お祝いに来ておいて、何の手土産もなくすみません」
「いいよ、そんなの。顔を見せてくれただけで嬉しいよ。銭湯経営も大変だと思うけど、頑張ってな。もし何か困ったことがあったら、いつでも言いなさい。力になるから」
つるりと光る頭と満面の笑顔が、まるでご利益のある仏様みたいだった。
見ているこっちまで幸せになる。
「ありがとうございます。それじゃあ、私はこれで。懐かしいので、ちょっとクラス棟のほうだけ見て帰ってもいいですか?」
「ああ、いいよ。そろそろ授業も終わるところだから」
大らかな大橋先生に、ますます拝みたい気持ちが高まる。
先生、本当にありがとう。嘘ついてごめんなさい。
中学のときから、いい子のふりしてあんまりいい子じゃなかった私を許してください。
職員室を出る際、私は全神経を集中させて壁の黒板やホワイトボードを盗み見た。
二年一組の担任の名前を探す。
『健康診断、二年』という走り書きの横に、少しこすれて読みづらい『北條』『片岡』『原田』の文字。
これが担任名だろうか。
私は、とりあえずこの三人に目星をつけてクラス棟へ向かった。
大橋先生の言葉どおり、そろそろ一日の授業が終わり、ホームルームが始まっている時間帯だろう。




