20
梅雨の晴れ間の、珍しく忙しい日だった。
番台で会計と事務に追われていて、私はしばらく彼の存在に気づかなかった。
ようやくお客さんの波が途切れかけたとき、ふと顔を上げて、その姿が目に入った。
一人の少年がロビーに立っていた。
どこかで見たことがある顔だった。
髪が濡れているから、入浴はすませたのだろうが、いつ来店したのかは全く覚えていなかった。
周りに人はおらず、水泳用のビニールバッグを小脇に抱え、スマホを持ったままぼうっとソファーのあたりに立っている。
一緒に来た誰かを待っているのかもしれないが、空いているのにソファーに座ろうとしないのが不思議だった。
飲み物やアイスを選んでいるわけでもなく、本棚を物色しているわけでもない。
視線の先を追うと、赤い暖簾に『女』と書かれた女湯の入口がある。
松の湯は番台を中心として、奥側が女湯、手前に男湯というふうに入口が分かれている。
彼が立っているのは番台よりやや奥の壁際、女湯の手前の自販機あたりだった。
何をしているんだろうと思っていると、男湯の巡回から戸波君が戻ってきたので、一瞬そちらに視線を向ける。
そして再び少年に視線を戻して、思わず「あっ」と声を上げた。
少年は、ごく自然な動きでスマホを持ち直し、暖簾のほうへふらりと歩き出した。
女湯の赤い布の揺れに手がかかろうとした瞬間――。
盗撮。犯罪。
単語が頭に浮かんだのと、戸波君が動いたのは同時だった。
「何してるの」
少年の腕をつかみ、静かな声で戸波君は言った。
少年は驚きも怖がりもせず、わりと堂々とした態度で戸波君を見つめている。
騒ぎになってはいけないと思い、私は急いで二人に近づくと、小声で言った。
「ここじゃあれだから、とりあえずうちのほうに来てもらって」
戸波君は「えっ」と驚いた顔をしたが、私は「大丈夫」と請け合った。
この少年に見覚えがあったからだ。恐らく、誰かお客さんの血縁だろう。
天見の家の階段を上がって、いつものちゃぶ台にコーラの瓶を置く。
「ちょっとだけ待っててね、すぐ戻るから」
と言うと、少年はおとなしく頷いた。
私は松の湯へ取って返し、掃除をしていたおばあちゃんに声をかけた。
「ごめん、ちょっと番台頼める?」
おばあちゃんは頷くと、唇をほとんど動かさずに何か言った。
「え、何?」
「さっきの子、三井さんところの孫やな」
「三井さん?」
私は常連さんの顔を思い浮かべた。
三井さんは近所に住んでいる、元電器屋さんのおじいさんだ。
「あ、思い出した。あの子か~、どっかで見た顔だと思った」
以前、三井のおじいちゃんに連れられて、目のくりっとした少年が来たことがあった。
多分、あのときの子だ。
「どんな相手でも、お客さんはお客さんやからな」
おばあちゃんは平坦なトーンで言った。
でも、覗きはよくないでしょ、さすがに。犯罪だよ?
言葉が喉まで出かかったが、私は急いで天見家に戻った。
三井少年はコーラを飲みながら、ゲームに没頭していた。
「お待たせ。何のゲームやってるの?」
「フォートナイト」
「何か聞いたことある」
返事はなかった。私はゲームに詳しくない。
三井少年はこちらを見向きもせず、物すごい速さで指を動かしている。
仕方ないので、私は会話の糸口をつかもうと問いかけた。
「何年生?」
「中二」
端的な返答だった。
中学生にしては小柄だなと思っていると、
「お姉さんも付中なんでしょ」
今度は三井少年のほうから投げかけてきた。
付中というのは、奈良教育大学付属中学校の略称で、私の出身校だ。
「うん。何で知ってるの?」
「おじいちゃんが言ってた」
「そうなんだ。『も』ってことは、三井君も付中なんだね」
これには返答がない。
音を消しているようだが、ゲーム画面では激しい銃撃戦が繰り広げられている。
家の中に入ったり、建物の影に隠れたりしながら、巧みに銃を使って撃ち合っているようだ。




