13
――あの日、お父さんは玄関口で「行ってきます」と言って出ていった。
声は聞こえた。
でも私は中間テストの勉強中で、眠くて、不機嫌で、見送るどころか顔すら上げなかった。
別に喧嘩していたとか、反抗期だったわけじゃない。ただ、いつもどおりの朝だった。
なのに、お父さんは二度と帰ってこなかった。
睡眠不足と過労で、駅のホームから転落して、入ってきた電車にはねられたのだ。
信じられないぐらいあっけなく、目の前から永遠にいなくなってしまった。
お母さんもそうだ。
その年のお正月には普通におせち料理を作って食べていたのに、結局、翌年を迎えることはできなかった。
病気が見つかったときには手の施しようのない状態で、あっという間に病状が進行して亡くなってしまった。
――人は、突然いなくなってしまうことがある。
私はそれを、身に染みて知っている。
だから、もしかすると無意識に『人がいなくなる』前兆に気づこうとアンテナを張っているのかもしれない。
お父さんのときもお母さんのときも全く気づけなかった、せめてもの罪滅ぼしに。
「聞いてる?」
篠っちの声に、思考がふっと現実に引き戻される。
タクシーの車内はクーラーがきつくて、肌に冷たさが刺さるほどだった。
「ごめん何?」
「麻生が付中にいるって、何で思うわけ?」
向かっているのは奈良教育大学付属中学校、通称『付中』だ。
私たちの母校である。
「いや、別に分かんないよ。とりあえず勘」
「勘ってなあ……」
篠っちは首を捻った。
「ご主人は学生時代の結実理のことは知らないんだから、私たちがこっち捜したほうが効率的でしょ」
「そりゃそうだけど。でも知ってると思うけど、あの辺、店とか何もないぞ?」
「確かにね」
付属中学の学舎は山の上にあって、割と急こう配の坂道が続いている。
周囲はのどかな住宅街で、あるのは電器屋、コンビニ、バス停ぐらいだ。
「どっちにしろ、飲食店も八時で閉まるけどなあ。最終的にはホテルか?麻生は金持ってるし、ふふ奈良とかマリオットとか」
「だったらお手上げだね。ホテルに問い合わせても、宿泊者の情報は教えてもらえないし」
と応えながらも、私は結実理がホテルにいる想像がつかなかった。
車の運転と同じく、一人でレストランに入ったりホテルに泊まるといった行動が苦手そうに思えたのだ。
行くあてもなく、帰ることもできず、たださまよっているような気がしてならない。
『家出』というには、あまりに頼りなくて痛々しい。
むしろ今の結実理は、『迷子』なのかもしれない。
「篠っちは何で手伝ってくれるの?明日から仕事でしょ」
「さすがに寝覚め悪いだろ~。引き立て役とか言っといて、これで麻生に何かあったら」
「一応、気にしてたんだ」
「俺だって人並みに良心はあるんだよ」
小心者の篠っちらしいなと思っていると、
「天見の言ったとおりだったな」
「何が?」
「お前、言ってたじゃん。そんなに簡単なもんじゃないって」
ワイパーがせわしく動いて、強くなってきた雨粒を拭う。
篠っちは抑えたトーンで言った。
「俺からしたら、金持ちと結婚して働かなくてよくて、子どももいて、美人で若くて、これ以上何の幸せがあるんだって感じに見えたけどな。麻生は麻生で、人には分からない苦労とかしんどさがあったのかな。
そうじゃなきゃ、子どもを置いて家出なんかしないよな」
自分に言い聞かせるように、うんうんと頷いている。
「分かんない。分かんないけど……」
そこまで言って、私は言葉を止めた。
あの日――結実理が『松の湯』に初めて訪れたとき、私には結実理が幸福にあぐらをかいて勝ち誇っているようには見えなかった。
むしろ、はしゃいだ笑顔から――声にならない悲鳴が聞こえるようだった。




