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辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます  作者: 蒼月よる


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第20話 半期棚卸し

 数字が、語りかけてくる夜だった。


 半期の棚卸し。前回からちょうど半年。あのときは一人だった。ランプの灯りの下で帳簿を開いて、数字を並べて、「何かが動いている」と漠然と感じた夜。窓の外に灰枝の静かな夜があって、帳簿の数字だけが饒舌だった。

 今夜は、リーネがいる。

 閉店後、カウンターの上に帳簿を並べた。半年分の月次報告書の控え、素材買取台帳、在庫管理表、依頼処理記録。棚から下ろすだけで十五分かかった。半年前は十分で済んだ。帳簿の量自体が増えている。取引が増えれば、記録も増える。当然のことだが、棚が窮屈になってきたのは気になる。


「リーネさん、品目別の集計、終わった?」


「はい。蒼苔、棘鱗、蔓草、紅角獣の角、その他雑素材——全部出ました」


 リーネが集計表を差し出す。数字の並びは正確で、計算にも誤りはない。字の大きさも揃っている。この子は数字が得意だ。校正も集計も速い。最初の頃は私が全部の計算を検算していたが、今はリーネの計算を信頼できる。信頼できるというのは、検算して一度も間違いが出なかった実績があるということだ。


 私はリーネの集計表と、半年前の棚卸しデータを並べた。二枚の紙をカウンターに並べて、ランプを近づける。数字が影の中から浮かび上がる。

 そして——数字を読んだ。


 蒼苔の買取件数。半年前の期は月平均三十二件。今期は月平均四十七件。増加率、百四十七パーセント。

 棘鱗の買取件数。半年前は月平均十五件。今期は二十二件。百四十七パーセント。

 蔓草。半年前、月平均十八件。今期、二十九件。百六十一パーセント。

 紅角獣の角。半年前は月平均二件。今期、六件。三百パーセント。


「全品目で増えてる……」


 リーネが数字を見て呟いた。


「うん。でも増え方が均一じゃない。蒼苔と棘鱗は同じ比率で増えてるのに、紅角獣の角だけが異常に伸びている」


 リーネが集計表を見直した。数字を指で追っている。この子はもう、数字を眺めるだけではなく、数字の間の関係を見ようとしている。


「紅角獣の角は中層以深の素材ですよね」


「そう。縁の素材の増加は新規登録者の増加で説明がつく。新しい冒険者が入ってきて、縁で採れる蒼苔や棘鱗を持ち込む。一人あたりの採取量は変わらないから、人が増えた分だけ買取件数が増える。線形の増加。でも中層以深の素材がこんなに増えているのは——」


 中層に入れる冒険者は限られている。鉄牌以上で、かつ実際に中層の経験がある者。灰枝の登録冒険者の中で、その条件を満たす者の数はそこまで増えていない。にもかかわらず、中層産の素材が三倍。

 以前見た非正規流通のパターン。控え帳に記録してきた「産地不明」の持ち込み。あの流れが、数字にはっきりと表れていた。


 次に、越境通行証の発行件数を見た。

 半年前の期は月平均一件。今期は月平均四件。四百パーセント。


「デルガ方面への人の移動が、四倍になっている」


 リーネが息を呑んだ。


 デルガからの照会件数。半年前は月平均三件。今期は月平均八件。照会の内容も変わっている。以前は単純な素材価格の問い合わせが多かったが、最近は「灰枝経由の輸送路の安全性」「倉庫の使用可否」など、物流インフラに関する照会が増えた。灰枝が単なる素材の産地ではなく、中継地として見られ始めている。

 新規登録者数。半年前は月平均二人。今期は月平均五人。出身地を見ると、以前は近隣の町からが大半だったのが、最近は東の街道沿いの遠方からも来ている。ガルドもその一人だった。

 素材品質の平均値。全品目で、半年前より上昇。赤脈草の件を思い出す。フィオナの畑で、灰枝では育たないはずの植物が育っていた。魔素濃度の変化。世界そのものが、少しずつ動いている。


 そして——闇市の推定規模。

 レポートを書いたときは正規取引の二割から三割と推定した。あのとき使った推定式に、今期のデータを入れて再計算する。肉屋の仕入れ増、道具屋の在庫回転率、鍛冶場の稼働時間。灰枝の経済規模を推定して、ギルドの正規取引額を引く。


「正規取引の三割五分」


 リーネが計算結果を読み上げた。声が震えていた。


「三割五分って——ギルドの取引の三分の一以上が、ギルドの外で行われてるってことですか」


「推定だけどね。でも数字の傾向はそう言っている」


 私は全部の数字を一枚の紙に並べた。半年前と今期の比較。増加率。偏り。


 すべてが、同じ方向を向いていた。


 半年前の棚卸しでも同じことを感じた。「何かが動いている」と。でもあのときは方向が見えるだけで、速度がわからなかった。半年分のデータが二つ並ぶと、変化率が計算できる。変化率がわかれば、速度がわかる。

 加速している。灰枝の変化は、減速するどころか、速くなっている。

 半年前は「何かが動いている」だった。今は「何かが加速している」だ。漠然とした不安が、数字に裏打ちされた具体的な危機感に変わっている。


「ナタリアさん」


「うん」


「これ、大丈夫なんですか。灰枝、このままで」


 リーネが言った。半年前、一人で棚卸しをしていたとき、誰にも聞けなかった問いだ。今はリーネが聞いてくれる。

 答えなければいけない。でも——答えがわからなかった。


「大丈夫かどうかは、わからない」


 正直に言った。


「でも、大丈夫じゃないかもしれない、ということは——数字が言っている」


 報告書を書く時間だった。

 私は白紙を取り出し、定例の半期報告書のフォーマットに数字を埋めていった。取引件数、買取総額、素材別内訳、登録者数推移、在庫状況。ペンが紙の上を走る。数字を書くことには迷いがない。事実を記入しているだけだ。三年間やってきたことと同じだ。

 全部、正確な数字だ。

 そして——備考欄を開いた。


 白い欄が、目の前にある。

 報告書の右下。罫線で囲まれた長方形の空白。「所見」と印字された見出しの下に、何も書かれていない空間。三年間、この空間は白いまま提出してきた。

 ヴェルナー査察官の言葉が頭の中で鳴っていた。「数字の意味を解釈するのも、君の仕事になったんです」。「意見が要る」。あの人の眼鏡が、ランプの光に反射していた記憶。


 ペンを持った。

 何を書く。


 灰枝は変化している。数字がそう言っている。取引量は増え、人口は増え、非正規取引は拡大している。正規のギルド機能だけでは灰枝の経済を把握できなくなりつつある。この傾向が続けば——


 続けば、どうなる。

 ギルド支部の存在意義が揺らぐ。灰枝の安全管理が機能しなくなる。冒険者の活動を正確に把握できなくなる。テオのようなケースが——帳簿で追えなくなる。素材の品質管理が及ばない流通が拡大すれば、粗悪な素材で薬を調合する者が出るかもしれない。事故が起きてからでは遅い。


 そこまで考えて、ペンが止まった。


 それは事実か。意見か。

 数字から読み取れる「傾向」は事実だ。だが「このままでは安全管理が機能しなくなる」は——予測だ。私の解釈だ。帳簿に書くべきものか。

 ペンの先がインクを含んだまま、紙の上で止まっている。一滴落ちたら染みになる。染みは消せない。意見も、一度書いたら消せない。


 査察官は書けと言った。リーネも書いてほしいと言った。でも——。


 帳簿の備考欄に、自分の意見を書くことは、三年間の信念を手放すことだ。「帳簿には事実だけを書く」。この原則で、三年間やってきた。この原則が、私の帳簿を正確にしてきた。正確さは、私の唯一の武器だ。それを崩していいのか。

 事実だけを書く帳簿は、誰にも批判されない。数字が正しければ、誰にも文句は言えない。でも意見を書いた帳簿は——批判される可能性がある。「それはお前の主観だ」と言われる可能性がある。

 怖いのは、間違うことではない。間違った意見を書いて、帳簿の信用を傷つけることだ。


 リーネが隣で待っていた。何も言わず、ただ待っていた。


 書いた。


「灰枝の取引量は増加傾向にあるが、正規取引比率は——」


 そこまで書いて、止まった。

 自分の字を見た。帳簿の数字と同じペンで、同じインクで、備考欄に文字が並んでいる。でも——これは数字ではない。私の言葉だ。私の判断だ。

 判断が間違っていたら。

 この備考欄を読んだ本部の人間が、「辺境の事務員の思い込み」だと判断したら。帳簿の正確さに対する信用が揺らいだら。三年間かけて積み上げてきた「ナタリアの帳簿は正確だ」という評価が、たった一行の備考欄で崩れたら。

 手が震えた。


 ——消した。


 ペンの柄で、まだ乾ききっていないインクを慎重に拭い取った。紙の表面が少し毛羽立った。完全には消えない。うっすらとした跡が残っている。でも読めない程度にはなった。

 白紙に書き直した。備考欄は空白のまま。数字だけの、正確な報告書。


「ナタリアさん」


 リーネの声がした。


「私が書きましょうか」


 振り向いた。リーネが真剣な顔をしていた。


「ナタリアさんが言ったことを、私が書きます。ナタリアさんの名前ではなく、私の所見として。それなら——」


「駄目」


 即答した。声が思ったより硬くなった。


「……駄目よ。リーネが書くことじゃない。これは副支部長の帳簿で、書くなら私の名前で書かなければ意味がない」


「でも——」


「ありがとう。でも、駄目」


 リーネが口を閉じた。少し傷ついた顔をしていた。それを見て、胸が痛んだ。この子は助けようとしてくれたのだ。私が書けないなら自分が代わりに、と。

 でも——代わりに書いてもらった備考欄は、私の声ではない。借りものの声だ。


「……ごめん。まだ書けない。でも、いつか自分で書く。自分の名前で」


「はい」


 リーネが静かに頷いた。それから、ペンをカウンターの上に置いた。私のペン。三年間使ってきた、インク染みのついたペン。


「書きたくなったとき、ここにペンがありますから」


「ありがとう」


 リーネが帰った後、一人で報告書を書き直した白紙を見た。備考欄。白い。でも——さっきまで、ここに私の字があった。消したけれど、書いた。一度は、書いた。

 棚に並ぶ帳簿の背表紙を見た。三年分。最初の頃の帳簿は表紙の角が少し丸くなっている。何度も開いたからだ。最近の帳簿は角がまだ立っている。リーネがいるから、確認にかける時間が短くなった。

 報告書の封筒を明日の便に入れる箱に入れた。備考欄が白い報告書。でも——一度は書いた報告書。消した跡が、私の中には残っている。


 カウンターを拭いた。秤に布をかけた。ランプの芯を絞って、灯りを落とした。

 窓の外に、灰枝の夜が広がっていた。半年前の夜より、少しだけ明るい。通りの向こうに、以前はなかった灯りがいくつか増えていた。新しい住人の灯りだ。あの灯りの一つ一つに、人がいる。帳簿に載っている人も、載っていない人も。


 数字は語っている。

 でも私は、まだそれを言葉にできていない。


 鍵を閉めた。

 石畳を歩きながら、ペンのインク染みが指先に残っているのを感じていた。書こうとしたのだ。書こうとして、書けなかった。でも——書こうとした。前回の棚卸しのときは、書こうとすらしなかった。

 半歩。それだけ、前に出た。


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