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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第七章 学園祭
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182 歩む道④


「盗んだ相手に、心当たりはありますか?」


晴の静かな問いに、梨緒はぐっと拳を握りしめる。

そして、首を横に振った。

晴は心の中で小さくため息をつき、部長の来栖を見る。


「来栖さんは、どうですか?」

「空いたコンサートマスターの席に座りたいのなら、バイオリン担当の2年か3年でしょうけど…ただの嫉妬であれば…」


その先は、言葉を濁す。

それだけ、梨緒の才能に嫉妬する人間は多いということだろう。


『さて…どうしようかな』


犯人はオーケストラ部の部員とみて間違いない。

多少強引に進めても良いのであれば、犯人を見つけることはできるだろう。

しかしそれと同時に、10億円のストラディバリウスが盗まれたことが世間に広まってしまう。

翔平からの指示は、『穏便に問題を解決すること』である。

そしてもう1つは、『可能な限り予定通りにすること』。


ふむと少し考えてから、晴は梨緒を見る。


「千歳さんに確認したいのですが…」

「はい。何でしょう」

「あなたは、バイオリンを盗んだ犯人を見つけたいですか?」

「私は…」


梨緒は視線を下げると、両手をぐっと握りしめる。


「…おじい様のバイオリンが見つかりさえすれば…それでいいです」

「本当に、それでいいんですか?」


思っていたよりも強い晴の言葉に、梨緒の瞳が揺れる。


「私は…」

「今回は盗まれただけでしょう。でも次は、大切な楽器を壊されるかもしれません」


はっとして顔を上げた梨緒と、晴の視線が交わる。


「良い賞をとれば、大切なものを盗まれて壊される。誰かが望んでいた席に座れば、悪口を言われ家族を罵倒される。才能を褒められれば、殴られて蹴られる。そんな演奏者になりたいですか?」


晴は、そんな演奏者だった。

コンクールで金賞をとるたびに、罵倒され殴られた。

晴を妬んでいたのは、アレックスだけではなかった。

前回のコンクール優勝者や、金賞確実と言われていた実力者、その家族や友人。

その全員から妬まれ、恨まれた。


晴はただ、大好きな楽器を弾いているだけだったのに。

晴は両親に心配をかけまいと、どれだけ酷い目にあっても何もなかったふりをした。

両親に褒められるだけで、辛いことを忘れられた。

それでもアレックスから楽器を壊され続けて、晴の心も壊れた。


「…周防くんが急にコンクールから消えたのは、それが理由ですか?」


来栖に尋ねられ、晴は頷く。

来栖は、悔しさに拳を握りしめる。


当時の晴は有名なコンクールに出場しては部門を問わずに優勝していたので、有名人だった。

3年ほど前からピタリとコンクールに出場しなくなり、不思議に思いつつもほっとしたうちの1人だった。

世界でも有数の演奏者が、才能への嫉妬によって潰されてしまったという事実が悔しかった。


「その人たちのせいで…楽器を演奏するのが、嫌になったんですか?」

「嫌になったというよりは、演奏することが怖くなりました。自分が触れたものが、壊されていくようで」


それでも、楽器から離れることはできなかった。


「仲間のおかげで、もう一度楽器に触れられるようになりました。その時に、もう諦めるのはやめようと思ったんです。やられるだけの自分に諦めるのは、やめようと」


晴は、梨緒を見る。


「もう一度聞きます。千歳さんは、盗まれたバイオリンを見つけるだけで本当にいいんですか?」

「……私、は…」


梨緒は拳を握りしめながら、瞳を揺らしている。

しかし、その口から言葉が出てこない。


『あと少しだけど…』


あと少し押せば、梨緒は覚悟を決めてくれるだろう。

しかし、あと一歩が足りない。


どうしようかと考えた時、晴は耳に届いた音に表情が一瞬固まる。

来栖と梨緒がそれに気づく間もなく、いつもの穏やかな笑みに戻る。


「少し、席を外します」


来栖と梨緒がどうしたのかと思っていると、数分も経たないうちに晴は人を連れて戻ってきた。

その人物を見て、梨緒は少しだけ緊張の糸を和らげる。


「菜久流ちゃん」


晴が連れて来たのは、梨緒の友人である橘菜久流だった。


「梨緒?どうしてこんなところにいるの?そろそろリハーサルが始ま…」


梨緒の目が潤んでいることに気付いた菜久流は、かっと目を怒らせる。


「梨緒。誰に泣かされたの?もしかしてあなたたちが…」


晴と来栖を睨んだ菜久流は、そこまで言ってから自分の口を手で塞ぐ。

そして深呼吸をして落ち着くと、口から手を離した。


「…どうして、梨緒が泣いて…涙目になっているんですか?」

『変わったなぁ』


感情だけで全てを決めつけてしまわないところが、成長している。


「実は、オーケストラ部で問題が起こっているんです」


晴はそう言って、菜久流に楽器が盗まれた一部始終を伝えた。

もちろん、盗まれたのが10億円のバイオリンということは伏せて。


「梨緒の楽器が盗まれた…?盗んだのは、どうせ2年の生意気な女子か梨緒をライバル視している3年の誰かでしょう。学園祭でコンサートマスターの席をとられたことを妬んでいるのよ」


菜久流も犯人には何人か心当たりがあるらしく、肩を揺らして怒っている。


「犯人を見つけるためには、千歳さんの協力が必要なのですが…」


晴が少し困ったように微笑むと、菜久流は梨緒の肩をがしりと掴む。


「梨緒。つぼみに協力しましょう。犯人を見つけて、一言くらい言ってやらなきゃ。…やられっぱなしで、このまま卒業するの?そいつらも、演奏者になるかもしれないのよ」


言われて初めて気付いたのか、梨緒の顔が少し青ざめる。


「おじい様に負けないくらいの演奏者になるのが、夢なんでしょう?」



「梨緒は、演奏者になるのかい?」


祖父に尋ねられた時、梨緒はすぐには答えられなかった。

何十年も世界各地で演奏してきた祖父の静かな瞳が、曖昧な答えを許さない気がした。


「…私は……」


うつむく梨緒に、祖父は優しい眼差しを向ける。


「何か、気がかりなことがあるのかい?」


おいでおいでと招かれるまま近くに座ると、節くれだった手で頭を撫でてくれる。

世界有数のバイオリン奏者と言われる祖父の手は、とてもあたたかい。

あたたかい手で撫でられていると、ぽつりぽつりと言葉がもれる。


「…私は、一人娘だから…」


梨緒の父はホテル業を営んでおり、ホテル王と呼ばれるほど広く名を知られている。

男子であれば、親の仕事を継ぐ。

女子であれば、婿をとる。

それが、梨緒の生きる世界では当たり前のことだ。


「お前の親は、なんと言っている?」

「…気にしなくていいいって」

「では、気にしなくていいのだろう」


祖父は、ゆったりと微笑む。


「あの子らは、お前に嘘をつく親ではないだろう」


梨緒も、それは分かっている。

それでも、夢に向かって歩む覚悟ができないでいた。


「………」


梨緒が押し黙っていると、祖父はおもむろにバイオリンを手にとる。

軽く音を合わせると、流れるように音が紡ぎだされる。


『G線上のアリア…』


楽器の音は、時に口よりも雄弁である。

多くのファンに向けて演奏する祖父の音色は、この時だけは梨緒だけに向けられている。


演奏が終わると、梨緒は自然と口が開いた。


「…怖いんです」


祖父は、ゆっくりとバイオリンを下ろす。


「何が、怖いんだい?」

「人の目が、怖いんです」


憎悪。嫉妬。恨み。

ひたむきに楽器に向き合えば向き合うほど、人に見られる。

その瞳に、仄暗い感情を乗せて。

まるでみんな、後ろ手にナイフを隠しているようで。

それが、恐ろしい。

人の心が恐ろしい。


『…あの人も、そうだったのかな』


祖父以外で唯一、憧れた演奏者。

多くの称賛の一方、それ以上に暗い感情を向けられていた。

それでも濁らない唯一の音だったのに、いなくなってしまった。

輝く稲穂のような、黄金の音色。


「梨緒は、良い演奏者になるだろうね」


祖父の言葉に、梨緒は首を傾げる。


「どうして?」

「人の心を知っているからだよ。我々の音は、人の心に届けるもの。人の心を知らねば、美しい音は届かない」


祖父は、昔を懐かしむように窓の外を眺める。


「過去の偉人たちも、人だった。どれだけの天才と呼ばれようとも、国も時代は違えども、心は人。人の心を持っているから、我々は音楽をたしなむことができる」


祖父は優しく微笑む。


「恐れてよいのだよ。その代わり、少しだけ勇気を持ちなさい。それはきっと、梨緒を前に進めてくれる」



そう。

そうだった。


『恐れてもいい…その代わり…』


少しだけの勇気を。

梨緒は晴を真っすぐに見つめた。


『良い賞をとれば、大切なものを盗まれて壊される。誰かが望んでいた席に座れば、悪口を言われ家族を罵倒される。才能を褒められれば、殴られて蹴られる』


そんなに酷いめにあっているとは、知らなかった。

梨緒よりもずっと人を恐れているはずなのに、美しい碧い瞳はどこまでも真っすぐで。


『もう諦めるのはやめようと思ったんです。やられるだけの自分に諦めるのは、やめようと』


そう言う晴の声は、3年前と変わらない黄金の音色だった。


「…お願いします。バイオリンを盗んだ犯人を見つけるために、協力してください」

「もちろんです」


晴は今日一番の笑みを浮かべた。


「時間もないので、これから話すことを頭に入れてください」


そうして菜久流も加わった3人は、犯人を見つけるための計画を晴から聞いたのだった。



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