181 歩む道③
雫石と別れると、端末に電話がかかってきた。
電話の相手は、翔平だった。
「もしもし。どうしたの?」
つぼみの6人は常に無線を繋げているので、電話が来るのは珍しいことだった。
「今大丈夫か?」
「うん」
翔平は警備本部にいるのだろう。
電話の背後から、警備の人間の声や機械音が聞こえる。
「オーケストラ部の問題で、少し伝えておきたいことがあってな」
晴は周りに人気がないことを確認すると、翔平の言葉に耳を澄ます。
「オーケストラ部から連絡が来たんだが、実は警備員を通してじゃなく俺に直接連絡が来たんだ」
「翔平に直接?それって、もしかして…」
嫌な予感がして、晴は眉をひそめる。
「あぁ。あれが盗まれたらしい」
「あれが…」
晴は、思わず額に手を当てる。
「すぐにカメラを確認したが、行方は分かってない」
「盗んだ犯人は映ってなかったの?」
「ちょうど人影が重なっていてな…」
翔平はカメラの映像を睨んでいるのか、渋い声色になっている。
「部長と楽器の持ち主から話を聞けるようにしてある。晴には、問題の解決を頼みたい。できるだけ穏便に。可能な限り、予定通りに」
「…分かった」
翔平の言外の意味を汲み取った晴は、慎重に頷く。
「何かあれば連絡してくれ」
「うん」
翔平との通話を切り、晴は少しだけ立ちすくむ。
一つ呼吸を置くと、オーケストラ部の演奏が行われる大ホールへ向かった。
「失礼します」
翔平から聞いた部屋に入ると、そこには男子生徒と女子生徒がいた。
2人とも顔色が悪く、女子生徒の方は倒れそうな顔色である。
「つぼみの周防晴です」
「オーケストラ部部長の来栖です」
「…千歳、梨緒です」
顔色が悪いボブカットの女子生徒は、以前橘菜久流が問題を起こした際につぼみに手を貸してくれた菜久流の友人である。
「盗難が発生したと聞きましたが…」
「…あの」
「はい、何でしょう」
梨緒よりは顔色がマシな部長の来栖は、晴を見て眉を寄せている。
「その恰好は…」
あぁ、と晴は自分の恰好を見る。
今の晴はいつもの深紅の制服姿ではなく、執事姿である。
「さっきまでクラス企画に出ていたので…気にしないでください」
「はぁ…」
『どうしてつぼみがクラス企画に?』
『何で執事姿のまま来たんだ?』
という疑問が顔に出ている。
「盗難について詳しくお話を聞きたいのですが…盗まれたのは、千歳さんの楽器ということで間違いないですか?」
「…はい」
「ということは…10億円のバイオリンが盗まれたということですね」
青ざめて少しふらついた梨緒を、来栖がそっと手を貸す。
「…おじい様に貸していただいた、ストラディバリウスが……」
梨緒の祖父は、世界的に有名なバイオリニストである。
今回はこの学園祭のために、自身が持つ楽器を孫である梨緒に貸していたのだ。
それもストラディバリウスという高価なバイオリンの中でもさらに希少価値の高い、10億円の価値があるバイオリンである。
そしてその事実は、警備上の理由から限られた人物しか知らされていない。
「千歳のバイオリンが10億円のストラディバリウスであることは、オーケストラ部では僕と千歳しか知りません」
つぼみは警備担当者であるので、前もって知らされていた。
万が一がないように、バイオリンの周りは警備を固めていたはずだった。
「千歳にバイオリンが消えたことを相談されてから、すぐにつぼみに連絡しました。事を大きくしない方が良いと思ったので」
「ありがとうございます。助かります」
もし警備員に連絡されていたら、そこからつぼみに連絡がいくまでに何人か経由することになる。
警備員の質を疑うわけではないが、人の口に戸を立てられない以上は事実を知る人間は少ない方がよい。
「バイオリンが無くなった時のことを教えてもらえますか?」
「控え室にいた時に…リハーサルのために楽器を取り出そうとしたら…ロッカーから、鍵付きのバッグごと無くなっていました」
「バイオリンがあることを最後に確認したのはいつですか?」
「その数分前までは、確かにありました。他の部員の方に譜面の確認を頼まれて…少し目を離していた隙に…」
ふむ、と晴は少し考える。
「その時の控え室には、部員はたくさんいましたか?」
「ほぼ全員いました」
ということは、1つの部屋に数十人が集まっていたのだ。
翔平が言っていた「ちょうど人影が重なっていて」というのは、控え室が部員で溢れかえっていて犯人が映らなかったのだろう。
「確認なのですが、千歳さんはコンサートマスターですよね」
「はい、そうですが…」
梨緒は来栖と少し目を合わせてから、首を傾げる。
「言いましたっけ…?」
「僕も言ってないけど…」
2人から怪訝そうに見つめられ、晴も首を傾げる。
「見れば分かりますよね」
梨緒と来栖の首がさらに傾いているのを見て、晴は補足説明をする。
「演奏者の手とか、振る舞いを見れば分かります。コンサートマスターは特に、オーケストラの中で一番の実力者ですから」
晴は幼い頃からいろんな演奏会を見に行っていた。
オーケストラや楽団などの複数人がいる演奏会では、一番の実力者の音をよく注目して聴いていた。
音を聴けば一発で分かるのだが、いつの間にか人を見るだけで誰が一番の実力者なのか分かるようになっていたのである。
梨緒は『なるほど』という顔をしており、来栖は少し顔が引きつっている。
「これはもしもの話なんですが…ストラディバリウスが見つからなかった時、演奏会はどうなりますか?」
「千歳は…どうする?」
部長である来栖に尋ねられ、梨緒は唇をぎゅっと結ぶ。
今までどこか頼りなさげだった雰囲気から、意思の強い瞳が見える。
「おじい様の楽器を守れなかった私が、演奏会に出演する資格はありません」
予想通りの答えだったのか、来栖は頭を抱えている。
「千歳さんが出演しなかった場合は、どうしますか?」
「…コンサートマスターに代わりの部員を置いて、演奏会を開催します」
そうだろうなと、晴は思う。
静華学園のオーケストラ部の演奏会は、ファンが多い。
そのファンというのも、世界的に著名な演奏者たちばかりなのだ。
10億円のストラディバリウスが盗まれたのは大事件だが、1つの楽器と演奏会の開催を天秤にかけた時、どちらに傾くかは分かりきっている。
「千歳さんに1つお聞きしたいのですが、部員の人たちとは仲が良いですか?」
晴の問いに来栖は視線を逸らし、梨緒はうつむく。
「……いいえ」
「千歳は悪くありません。千歳の才能を妬む連中が多いだけです」
静華学園の学園祭でコンサートマスターを任されるほどなのだ。
梨緒の実力は晴も理解している。
そして過ぎた才能というものは、嫉妬されるものであることも理解している。
「盗まれた場所が部員の集まる控え室であることを考えれば、盗んだのは同じオーケストラ部の部員でしょう。そして演奏会前に盗んでいることから、目的は千歳さんを演奏会に出席させないことだと思います」
梨緒は、床を見ながら唇をかみしめている。
自分でも、同じ部の部員に盗まれたことは分かっていたのだろう。
「盗んだ相手に、心当たりはありますか?」
晴の静かな問いに、梨緒はぐっと拳を握りしめた。




