第7話 細く長く
マヨネーズが、安定して出せなくなった油迂。
本来ならば、この不便な状況から僅かに脱したことを喜ぶべきなのだろう。だが、そういうことではない。
出力が極端に減ったというだけで、決して手のぬるつきが改善するわけではなかった。
脂汗をにじませ、手のひらを見つめる油迂に、アレストが顔を覗かせた。
「大丈夫か、油迂!」
「い、いや……ちょっと目眩が。それと腹が減ったな、って思いまして……」
「だったら一刻も早く、その肉塊を口に流し込むんだ!」
そこは、街道のど真ん中である。店先とはいえ、行き交う人々が増えるなか、ここで食事というのには気が引けていた。
「ちょ、ちょっと落ち着いて味わいたいので、そこの広場にいってもいいですか」
「もちろんだ油迂。だから一刻も早く肉塊を口に入れて元気になるんだ!」
「そ、そんな急に言われても、肉は逃げたりしませんよ……」
「油迂……。肉は熱いうちに食え。それが原則だ。私が肩を貸してやるから早く向かうぞ」
アレストは、油迂を急かすように、広場へと足を進めた。
昼下がりの広場。見回せば芝生に腰を下ろし、休んでいる冒険者達が、歓談していた。
辺りから、芝生の青臭さと、咲きかけの花の匂いが香ってくる。
だが、それとは違う別の香りがあった。
油迂のすぐ横にはアレストの顔と、風になびく長いブロンドの髪。
髪は頬をかすめ、僅かにくすぐっていく。
その距離の近さに気付くと、油迂は慌てて身体を離した。
「すすす、すいませんアレスト様。も、もう大丈夫ですので!」
「そ、そうか。じゃあここら辺で、食事の続きといこうじゃないかッ!
さっきはゴードンに邪魔されてしまったからな。それと肉が冷めてしまう」
アレストはそう言って腰を下ろすと、油迂はその隣に座った。
だが、アレストは、思い立ったように立ち上がった。
「すまない油迂。先に食べていてくれ!
折角だから、ちょっと行って飲み物を買ってくる」
アレストは、串焼きの入った袋を残し、来た道をもどっていった。
油迂はただ一人、その場に残された。
芝生に手をつき辺りを見回してみた。色々なところから、楽しそうな声が聞こえる。
子どものはしゃぐ声、冒険者たちの声。そして恋人たちの声。
油迂は思った。
ここにいる人々は、俺とは違って、この世界で当たり前に暮らしている。冒険者たちだってそうだ。
――何より、一つ一つの行動で、いちいち困っていない。
こんな変なスキルではなく、もう少しまともなスキルだったらと思った。
「せめて完全に制御できればな……」
出すことはできても、完全に止めることはできなかった。
油迂は、肩を落としため息をついた。
マヨネーズは、確かにおいしい。
既に比較は出来ないが、来る前に食べた市販品のマヨネーズより美味しいと思っている。
食べ物にかければ、間違いなく食欲は湧く。
でも今は、じわりと滲む程度で、沢山は出せなかった。
頭では分かっていても、その現実をすべて受け入れられてはいないのだと思った。
生活にも支障をきたす厄介なスキル。
どうしても周囲と比較してしまい、自ら距離を取ってしまう。
嫌がられるなら、関わらなければいい。それでもいいのかも知れない。
だが、それで良いものかと熟考した。
油迂の膝元にある紙袋は、まだ熱を失ってはいなかった。
そっと紙袋に手を入れ、串焼きを掴んだ。
期待はしていなかった。『どうせまた、変な味なのだろう』と、そう思っていた。
油迂は、恐る恐る口へと運んだ。
――舌に触れた瞬間、僅かな塩味と肉汁が感じられ、香辛料と炭火の焦げた香りが鼻腔を通り過ぎていった。
パリッとした皮は噛みしめるたびに弾け、その中から柔らかな肉が顔を現し、口の中を包んでいった。
「――お、おいしい!」
思わず声が零れた。
それは、こちらに来て初めて、この世界の料理を心から美味しいと感じた瞬間だった。
冒険に出れば、芋と乾燥した獣肉を煮詰めたスープ。
えぐみが酷く、匂いも好きではなかった。だからマヨネーズでごまかしていた。
他の露天でも、食事処でもそう。やたらと雑な料理ばかりに遭遇した。
――いや、遭遇すると決めつけていたのかも知れない。
全ての食べ物を、口へ運ぶ前にマヨネーズで包み、ごまかしていたに過ぎない。
だが、その串焼きは、純粋に肉そのものの味を引き立てていた。
――ウマい。
率直にそう思った。
今までは、マヨネーズで全てを覆っていた。美味しいものも、不味いものも。
全ては0か1だった。
油迂は、手に残ったマヨネーズを付け、それを口へと運ぶ。
一口、二口と熱々の肉汁が口の中へ広がり、僅かなマヨネーズがそれを包んだ。
――んんッ!!
思わず串焼きに視線を向け、その目を丸くした。
僅かに香る酢の酸味、そして卵黄のまろやかで濃厚な口当たりが肉と混ざり、食欲を増進させた。
貪るように口へと運び、気が付けば、一つ二つと食べ進んでいた。
そのときであった。油迂のすぐ横に、じっと見つめるアレストの顔があった。
「う、うわあぁ!! ななな、なんですか急に!」
「ふふっ。美味しそうに食べているなぁと思ってさ」
食べることにただ夢中だった油迂。
空腹は当然だったが、それ以上に食で心を満たそうとした。
「す、すみません。つい夢中になってしまって……」
「いや、それで良いんだと思うよ。美味しいものを食べれば、誰だってそうなる。
もちろん好き嫌いはあるけどね」
「そう……ですね。そうですよね! 俺、ちょっと好きになれそうです、このスキル」
「おっ。少しは元気が出たようだな。さて、私も食べるとするか! それと、ほらっ」
アレストはそういって木の器を寄越してきた。
油迂は手に取ったそれに、視線を落とすと顔を青くした。
「ええと……こ、これは……」
「これは、アレだ。保険だ。
動物性たんぱく質だけじゃ、身体に悪いと思ってな。適当なところで買ってきた」
アレストは自信に満ちた表情で、その緑色の飲料を差し出してきた。
「……て、適当なんですか。なんだか、粘度の高そうな、草色のヘドロみたいに見えますが……」
「それはアレだ、身体に良さそうな様々な薬草が入っているのだろう!
さあ、グイっといこうじゃないか。グイっと」
「えっ、えええ……。あ、アレスト様から飲んでくださいよ……」
「油迂、お前は私達の仲間だろう。仲間とはこういう時も、共に行動するものだぞ」
小さく俯く油迂から、思わず言葉が零れる。
「仲間……」
「そうだ、れっきとした仲間だ。だから共にするのだ。
美味しいものも、不味いものも、苦楽も、皆で分かち合うのだ」
「わ……分かりましたアレスト様。この油迂、改めてお供いたします!」
そういって、互いに持つ器を軽く小突き合うと、一気に喉の奥へと流し込んだ。
――そして、アレストと油迂は同時にえずいた。
「うおおぇぇぇぇええ!!」
それは、あまりにも不味く、あまりにもクセがあり、あまりにも粘着質であった。
糸を引く緑の液体、それは油迂とこれから先の仲間との行く末を示しているのかもしれない。
やがて広場で嘔吐している二人の周りから、人々が消えていった。
その一連の出来事は、ただマヨネーズを出すだけだった油迂が、『初めて味の組み合わせを考えたとき』でもあった。
――――
――




