第5話 迷い?
街の北には、ゲルヘイナ山がそびえている。
山肌の一部が不自然に欠け、その中腹には、一つの神殿が建っていた。
その名をマレスティアル神殿。
そこは、街への魔力供給を行うインフラの要ともいえる場所であった。
一見、普通の施設に見える神殿だが、その裏では、魔王に対抗する力を生み出そうと研究している者たちがいた。
――勇者の召喚。
街の人々は、ときおり流れ着く謎の勇者の存在に、ただ首を傾げていた。
彼らはよく分からないスキルを持ちながら、戦力にもならず、そして街からは忽然と姿を消していく。
だがその中には、この地に留まり続ける者もいる。
アレスト。そして今、油迂もその一人となりつつあった。
マレスティアの街は、北方ゲルヘイナ山のふもとにある、至って平凡な街である。
川が街の中心を縦断するように走り、その影響もあって農耕は盛んであった。
そのため、この地には農地を荒らす魔物が、時折出現する。
その対策として考えられたのが、街の四方にあるギルドである。
ギルドは冒険者たちへ依頼を出し、魔物を追い払ったり駆除したりしていた。
そして今いる場所は、南方ギルド。
戦利品である結晶の換金を終え、その報酬を各人の戦績に応じて、アレストが皆に配分していくところだった。
冒険者は運用資金と遠征資金として、一定のお金を貯めておくのが通例である。
宵越しの金を持たぬ者もなかにはいるが、アレストたちのパーティーでは、一部の金を報酬として配分する。
これはリュミナの提案だった。
「働きに応じて、報酬のバランスを変えるべきだし、そのほうがやる気が出るんですけど」と言うのだ。
だがその一方で、期待通りの報酬を得られない者もいる。それは油迂とセリナだ。
セリナはまだいい。回復魔法も使え、いざとなれば魔力を分け与え間接的に支援できる。
だが、油迂は……。
油迂に視線を向けるアレストに、リュミナが話しかけてきた。
「アタシ、ちょっと中心街のほうに行ってきます。よろしいですねアレスト様」
そういって、リュミナは報酬袋を受け取ると、かるく頭を下げ、その場から姿を消した。
その後、セリナとゴードンも街へと消え、残ったのはアレストと油迂のみであった。
「油迂……。歩きながら少しいいかな」
「なんでしょうか、アレスト様……」
髪をなびかせ、無言のまま歩くアレスト。
銀色の鎧と真っ赤なマントの擦れる音が耳に届いた。
やがて道具屋に差し掛かろうとしたとき、その歩みを止めた。
アレストはゆっくり口を開いた。
「君は、何故そんな『極端なスキル』でこちらに来てしまったんだ?」
『何故』と言われても、それは分からない。
友人と話をしていたら、ここに来てしまった。ただ、それだけなのだ。
「質問に、質問を返すようで申し訳ないのですが、アレスト様。あなたのスキルは一体何なのですか。それに、なぜ俺なんかを……」
「私は、私の能力は……」
アレストは小さく俯くと、ゆっくりと口を開いた。
「……すまない、油迂。今は、言えないんだ」
「すみません。余計な詮索をしてしまって……」
「だが一緒にいれば、いずれ分かることになる。
それに私は、お前を、お前の中にあるものを信じたいから声をかけた。ただそれだけの事だ」
そう言って、アレストと油迂は街道を歩く。
油迂は街のことをよく知らない。アレストの側に居て、ただ付いていくことしかできなかった。
アレストは、俯いたままの油迂に視線を向けると、口元に手を添えた。
「すまん。ちょっとそこで待っててくれ」
そう言って、アレストが一軒の店に入っていった。
――居酒屋マジェスティオ南支店
知らない店だった。古びた佇まいに、いまにも朽ちそうな看板。
アレストの知り合いなのかもしれないが、今の油迂にとってはそんなことどうでも良かった。
やがて中からは、跡取りがいないから店を閉めるだの閉めないだの不穏な言葉が漏れ出ていた。
油迂は、その会話を何気ない会話の一つとして、ただ聞き流していた。やがて会話が止み静かになると、ドアが開きアレストが出てきた。
そして、油迂に言葉を投げた。
「すまんな油迂。待たせてしまって。
そんなことよりお前は、この辺りの串焼きを食べたことがあるか?」
「い、いや……。それほどは……」
「……そうか。実はこの先を抜けると、私の知っている馴染みの露天があるんだ。
そこのヤツは絶品でな。付いてくるソースがクソマズいが、肉の味だけは保証ができる」
「なんだか、極端な串焼き屋ですね……。マズいなら付けなければいいのに……」
「店主の奥さんが、肉に下味を付けているんだ。それがまたウマい。
だが、店主である旦那さんが極端な甘党でな……。何かにつけてソースをねじ込んでくるんだ」
そんな会話を交えつつ、アレストは足を進めていった。
誰も通らなそうな裏路地。
ちょろちょろとネズミのようなものが、辺りを通り過ぎていった。
「……と、とりあえず。早くここから出ましょうよ……」
油迂がアレストの側に身体を寄せた。
だがアレストは無言のまま、その足を止めなかった。
進むごとに闇は深まり、辺りは暗くなっていった。
薄暗い路地の中、黒いローブを纏った何かが座っていた。
幻覚か幻想か、それは分からなかった。
「だ、誰だ!?」
アレストが剣の柄に手をかけ、油迂の前に立ちはだかった。
だがその声は、妙にうわずっていた。
直後、かすれた声で老婆が語りかけてきた。
「こ、……ここは、迷いの路地……主らは迷うとる……」
「わ、私は……迷ってなど!」
アレストは、その言葉を拒否するようにマントを翻した。
油迂は、アレストらしからぬその声の真意を探ろうと、彼女の顔へ視線を向けた。
だが、辺りは暗くその表情は殆ど見えなかった。それが油迂を更なる不安へ追いやった。
老婆は続けて、言葉を重ねた。
「……この路地に踏み入れたこと自体が、そもそもの迷い……」
老婆は顔を上げず、俯いたまま再び語る。
「……娘、そしてそこの小僧。おぬしらは、不遇に流されるままでいいのかえ?
不遇であることを受け入れ、それでも抗って見せるのじゃ……。そうでなければ……」
かすれたような声は、次第に小さくなっていった。
そして瞬きを一つしたとき、老婆の姿は既に無かった。
暗闇に満ちた路地に、陽光が差し込んだ。
「あ、アレスト様……。あれは占い師だったんでしょうか……」
「……いくぞ、油迂……」
アレストは、それだけ言うと、足早に歩き出した。
油迂が、アレストの後を小走りで追う。その背中を前に、彼女には何か思い当たる節があるように思えた。
だが油迂は、その事よりも老婆の言葉が気になっていた。助言なのか警告なのか、それが予言なのかは分からなかった。
油迂は不安を抱えたまま、今はただ、アレストの後に付いていくことしかできなかった。
油迂は、アレストの先に見える一筋の光に向かって、足を進めた。
やがて視界の先には明るい路地が見え、風に乗った人々の声が、二人の耳に届いてきた。
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