第21話 欲する者
そして一夜が明けた。
昨晩の食事は、自分なりに上手くいったと感じていた油迂。皆の反応も悪くはなかった。何より、新しいことが出来たという思いでいっぱいであった。
そんな朝もやのなか、油迂は一人、近くに流れる小川へと来ていた。せせらぐ川のほとりで、両手で水を掬い、顔へと持っていった。
久しぶりに正しく顔を洗っている油迂。以前は水に浸した布を軽く振り回し、水気を飛ばしてから、顔や身体を拭いていた。
「ああ……。こんなにも普通が、普通だったとは……」
嬉しさに声を漏らした油迂の言葉は、極端に語彙力が失われていた。
顔を拭いて立ち上がろうとしたその時、アレストが後ろから声をかけてきた。
「おはよう油迂、その顔はよく寝れたようだな!」
「おはようございます、アレスト様! 出力もある程度は制御できて、ようやく皆様のお役に立てそうです!」
「そ、そうか、それは良かった!」
とは言うものの、油迂に話しかけるアレストは、視線を泳がせていた。
「どうしました、アレスト様?」
「じ、実はな。少し相談があるのだ……」
身体を揺らしながら、指を開いたり握ったりと、何時になく不審な挙動を見せていた。
そのときアレストは、思考を巡らせていた。
実験なのだと自分に何度も言い聞かせ、誰よりも早く起き、人目を忍んで練習していたのだ。その成果を、今この場で実行したい。いや、実行すると誓ってきた。
軽く深呼吸をし、呼吸を整え、油迂の両肩に手を置いた。そして――
「お前が欲しい」
「……は?」
(ハッ!? しまったァ! 緊張のあまり、変な言葉になってるじゃあないか!!)
アレストは頭を抱え、そのままのけ反った。
(バカか! バカなのか私は!! 待て待て待て待て。落ち着くんだ私。こういう時は『人という字を書いた指』を!)
アレストは、真っ直ぐに伸ばした指二本をそのまま自身の口へ突っ込んだ。
「――ゴフォ!!」
「自分の口に指なんか突っ込んで、何してるんですかアレスト様!」
(違うッ、そうじゃないんだあぁぁあぁ!!)
赤面したまま咳き込み続け、しまいには泣き出してしまった。
「うわあぁぁぁん!!」
「だだだ、大丈夫ですか! アレスト様!! 一体何が欲しいんですか!?」
「……わぁぁぁん!?」
アレストは油迂のその言葉を耳にすると、声と涙がピタリと止まった。
そのときであった。アレストの後ろで、ぱさりという何かが落ちた音が聞こえた。
――リュミナだった。
持っていた本を落とし、ローブを揺らして立ち尽くしている。
「……あたしの……」
「はっ……」
見上げた油迂の視線の先には、眉間にシワを寄せて、蔑んだ目をぶつけてくるリュミナ。そしてアレストがゆっくり振り返ったそのとき、リュミナの怒号が走った。
「『あたしのアレスト様』に何してるのよ!!」
「えっえっ!?」
目を丸くして後ずさりをする油迂。そこへさらに言葉を浴びせるリュミナ。
「どうせあれこれ画策して、無理矢理その手から出る物を食べさせたんでしょ!!」
「り、リュミナ……。えっ、いや違……」
「アレスト様、ご無理なさらなくて良いんですよ!
アタシが慰めてあげますから!」
そう言って、半ば強引にアレストの頭を胸元に引き寄せるリュミナ。その髪を愛でるように撫でていると、今度はリュミナの背後から、カランという乾いた音が響いた。
――セリナだった。
彼女は持っていた杖を落とすと、口を両手で塞いでいた。
「せ、せせせ……セリナ!! ち、違うのこれは!!」
セリナは無言のまま一筋の涙を流すと、杖を拾いその場を走り去った。
「あっ、ちょ! まってセリナぁぁぁあ!!」
リュミナはセリナを追い、そのまま奥へと消えていった。
その場には、アレストと油迂が残った。
状況が飲み込めない油迂は、ただ立ち尽くし、アレストに至ってはぼーっと虚空を見つめ続けていた。
辺りは、静けさを取り戻していた。
そんななか、小川のせせらぎと風の音に紛れ、川魚がパシャリと跳ねる。
油迂は我に返ると、革袋にマヨネーズを詰め始めた。そして、それをアレストに差し出した。
「……はい、これ……」
革袋には、なみなみと入ったマヨネーズ。それを見たアレストの目に、次第に色が戻っていった。
「……! こ、これは――!」
「……マヨネーズの入った袋です」
アレストは、その言葉を聞いた瞬間、頬を綻ばせて目を丸くした。
勢いよく油迂の手を取り、何度も上下に振ると「ありがとう油迂、本当にありがとう!!」と言い、手を振りながら走り去っていった。
その姿が見えなくなりかけた頃、遠くでアレストの影が倒れた。
しばらくするとアレストは空になった袋をぶら下げ、再び油迂の元を訪れた。そして、何度も土下座を繰り返していた。
油迂はその様子に両手を振り、アレストをなだめようとしていた。
辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、アレストの持つ革袋にマヨネーズを充填していった。
目の前の藪から、真っ赤な鎧が姿を現した。
――ゴードンだった。
その瞬間、ゴードンの手から、大きな盾が離れていった。
やがて、あたりに高い金属音が響き、いつまでもゴードンを追いかける油迂の姿があった。
――――
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