第2話 堕ちた者と不便過ぎた日常
油迂は、ぬるついた手のひらを見つめていた。
何を握っても滑るその手で、唯一まともにできることがあった。
――それは、食べ物にマヨネーズを付けること。
油迂は、ある日の出来事を考えていた。
それは、ゴードンが初めてマヨネーズを口にしたときのことであった。
――――
――
アレストのパーティに加わり、初めての夜営での出来事。
俺は、何気なくパンにマヨネーズを付けて、食べていた時だった。
ゴードンは、俺の隣に座ると眉をひそませた。そしてパンに視線を向け、指を差した。
「ガハハ! パンに見た事もないクリームを塗りたくっているが、それは何なんだ油迂!」
「……ま、マヨネーズです……」
言っても気味悪がられると思い、あまり大きな声で言えなかった。
だが、ゴードンの反応は、意外にも嫌悪とかそういうのではなく、興味に近かった。
「ま、まよねーず……と言うのか、その食べ物は……」
「そ、そうですが……」
「ふぅむ。この世界じゃ、見たことも聞いたこともない食べ物だな。
お前さんはいつも、そんなものを付けて食うのか?」
見たことがない。それはそうだろう。
俺でさえマヨネーズなんて、店の棚に並んだものしか見たことがなかった。
それに、ここの食事は味気ないのだ。街に出ればそうでもないが、夜営は別物。だからこそ、マヨネーズは必要だった。
「……ゴードンさん。俺はもう、これ無しじゃ生きられないんだ。味気ない食事はもうウンザリなんだよ……」
俺は、ゴードンから目を逸らすと小さく俯き、再びマヨネーズをパンに付けた。
ゴードンが、食事する俺の様子を不思議そうに眺めていると、その口元を上げた。
「ふっ……ふふ……」
「な、なんだ。お前もギルドにいた連中みたいに笑うのか……?」
「ガッハッハ!! なかなかウマそうな感じがするじゃねぇか!
ひとつ俺にも分けてくれよ!!」
「――! ……い、いいんですかゴードンさん。
気味悪がったり、躊躇ったりしないんですか?」
「ハッハッハ! ウマそうに食っていれば、試そうとするのが道理。
ワシはな、油迂……」
そう言ってゴードンは喉を鳴らすと、俺の肩を強く叩いた。
「食べ物の見た目などは、どうでもいい。ウマければいいと思っとるわ!!
だから、ワシもそれを貰おうか!!」
ゴードンは、俺の皿にあったマヨネーズを豪快にパンへ塗りつけ、そのまま大きな口へ放り込んだ。
「――ひゃああぁぁあッ!!」
そのときゴードンは、今まで聞いたことのない、謎の雄叫びを発した。
――
それが始まりだった。
だが、そんなことは、戦闘には関係ない。
特に活躍することもなく、気がつけば敵の姿はなかった。
畑の周りに立てられた木の柵は、黒く焦げていた。
くすぶる炎と黒煙は、畑の外から狼煙のように上がっていた。
農作物は守られた。
油迂が何かをしたから、そうなったのではない。
――結局、何も出来なかった。
アレストが鞄からスクロールを取り出し、封を切る。
何処からともなく雲が集まり、辺りに小規模な雨を降らせると、炎は静まり静けさが戻った。
ゴードンが笑いながら、立ち尽くしている油迂の背中を叩いた。
「ガハハ! 今日の俺様も、なかなかの働きっぷりだったろう!!」
「え……ええ。助けてくれてありがとうございます」
「なんだなんだ、そんな浮かない顔をして。
明日は明日の風が吹くってな。今はダメでも、そのうちなんとかなるだろ。
だから、お前はもっと肩の力を抜いて気楽にいけ。このワシが、お前の分まで動いてやるから」
「い、いや。そうは言っても、折角こうして入れて貰ったんですから、俺も少しは動かないと……」
「そういうのは、ほら。アレだ。適材適所ってやつだ。
ワシは敵を抑える。リュミナがぶちかます。アレストが切り込み、セリナが回復。
そしてお前は、食事の時にアレを出してくれれば万事オーケーと言うわけだ」
「は……はぁ……」
「だからまた、食事の時に頼むぞ。ま……まよ……?」
「マヨネーズです」
「そうそれ、マヨネーズをな!! ガハハ!」
盾に手を乗せ、笑っているゴードン。そんな彼に、アレストが近寄り声をかけた。
「ゴードンはその辺にしておきな。今は結晶の回収時間だ。
あまり地面に触れさせておくと品質が下がるから急げよ。
それにほら、油迂もそんな暗い顔してないで、頑張って集める集める」
油迂は小さく俯き声を漏らした。
「アレスト様……。俺は、役に立ててるのでしょうか……」
「なんだ油迂。お前は十分役に立っている。
今のところは、ゴードンにだけ……だけどな。
戦闘は徐々に慣れていくしかないし、自分で出来ることを徐々に続けていけばいい」
「そ……そうですか……」
「それに、お前は加わって間もない。だから今は、敵と仲間の動きを見て頑張れ。
私から言えるのは、それだけだ」
「ありがとうございます、アレスト様」
油迂の目の色が僅かに戻ると、アレストが言葉を続けた。
「そうだ、それはそれとして、結晶の回収作業は今回が初めてだったな」
「は、はい……」
「まず、この結晶だが、これをギルドに納め、報酬を得るのが目的だ。
詳しい用途は……私も詳しくは知らんのだが、魔力の塊みたいなもので、街を動かす燃料的な存在らしい。
時折デカいのがあるが、その説明はまた今度だな。とりあえず頑張って集めてくれ」
「え、ええ……。大体は分かりました」
「よしよし、それじゃあ。適当に回収していってくれ」
アレストはそう言って、その場を離れた。
油迂は、辺りを見回した。キラキラと光るガラス玉が、点々と落ちていた。
それこそが結晶であった。
大きさは、親指ほどで丸みを帯び、少しいびつな形をしていた。
油迂は屈んで、結晶へと手を伸ばし、指の腹でつまみ上げようとした。
「くっ……。表面がつるつるしているせいか、指が滑る!」
思わず言葉が零れた。
何度摘まもうとしても、その指は結晶を拒んだ。
――もしかしたら、元々滑りやすいのかもしれない。
だが、そんなことはなかった。視界の先では、皆が何気なく結晶を拾い、次々に籠へ入れていた。
そんななか、油迂だけは違っていた。その拾う・掴むという作業すら、彼にとっては困難だった。
盾は、持ち手の所に布が巻いてあるので、まだ良かった。
だが、結晶はそうはいかない。摘まもうとしても、指に伝うマヨネーズが邪魔をする。
油迂の横を通るリュミナは、吐き捨てるように言った。
「その結晶。落として割れたりしたら値が付かなくなるんだから、慎重に扱いなさいよ」
「俺だって、好きでこんなことしているわけじゃ……」
油迂が聞こえないように不満を吐露した。
指三本で摘まもうが、四本で摘まもうが、結晶は摘まめなかった。
そんな彼の異様な行動を目にしたセリナは、油迂の側に座った。
彼女は顔を覗かせ、髪をかき上げると、マヨネーズに塗れた結晶を難なく手で拾ってみせた。
「ほら、こうやって手のひらで掬えばいいんですよ」
「あ、ありがとうございます……セリナさん……」
「ふふっ、どういたしまして」
セリナは、そう言い残すと立ち上がり、その場所を離れた。
のどかな風景に流れる雲、結晶に翻弄される油迂と、回収に勤しむアレスト達。
回収作業から三十分ほど経ち、陽光が斜めに差し込む頃、その作業はようやく終了した。
ゴードンが結晶の入った籠を、慎重に荷車へと載せた。
少し離れた所にアレストが、薪をならべていた。
リュミナが魔法で火を起こし、セリナが肉を串に刺して、火を囲むように並べていく。
皆で炎を中心に囲むように座った。
木の水分の弾ける音が、油迂の耳を撫でていった。
パチパチと小気味よい音が、その日の嫌な気持ちを洗い流してくれる。
そして、僅かではあるが、油迂の心に活力を与えた。
滴る肉汁は炎と混ざり、薪の火をより大きくしていく。
アレストたちは酒を酌み交わし談笑していた。
しかし油迂は違った。彼は燃え続けるその炎を、ただただ眺めていた。
すると、ゴードンが隣に座り、酒臭い息を浴びせてきた。
「ガハハ! 油迂、お前も飲めよ。それとほら、例のあれ。頼むよ」
馴れ馴れしく肩を組んでくるゴードン。
油迂は彼の差し出してきた皿に、マヨネーズを出していった。
なみなみと注がれるマヨネーズ。それを満足そうに見つめるゴードン。
礼を言い、皿を手元にたぐり寄せた。
「サンキュー。油迂!」
リュミナが言った。
「まったく、よくそんな得体の知れないモノを口に入れられるわね!」
彼女は食事のたびに言うのだ。
繰り返されるその行為を見るたびに、目をそむけるようにして、必ず『同じ言葉』を口にする。
油迂はその言葉から逃げるように、視線を落とし、手のひらから滴るマヨネーズをただ見つめていた。
その白い雫が落ちるたび、油迂の頭に思いと考えが巡った。
――この世界でそれを口にする者はいない。
今はただ、盲目的にマヨネーズを要求してくるゴードン。
だが、ここではそれだけだ。他の者は口にしようとも思わない。
それは、そうだろう。『他人が、汗を乾燥させた塩を渡してきた』。
俺はそれを口にすることができないだろう。それと同じ感情をリュミナは持っているのだ。
油迂は、リュミナへと視線を向けていた。
そしてすぐに足元に滴ったマヨネーズへと視線を移す。
再び思った。
この世界で求められているのは、魔物と対峙する戦闘のスキル。
いかに被害を出さず効率よく倒すか、あるいは仲間を回復し、補助ができるか。
だが俺のスキルであるマヨネーズは『どう見ても戦闘向きではない』。
そう考えると、何度となくため息がこぼれた。
顔を上げ、夜空を見上げた油迂は、首を振り考えることを止めた。
そして、串に刺してある肉を取ると、おもむろにマヨネーズを付け、乱暴に口へと運んだ。
――召喚した連中に、一泡吹かせてやる!
こんな理不尽なスキルを押しつけやがって。
戦いどころではないし、生活するだけでも不便過ぎる。そう思った。
「とは言っても、どうしたもんだか……」
独り言が零れていた。
この世界で、このスキルは日の目を見ることはできないのかもしれない。
食事中だというのに、気がつけば足元ばかりを見つめている。
今日に限っては、その食事がいつもよりしょっぱく感じた。
――――
――




