第18話 うま味
――グルタミン酸……、グアニル酸……、イノシン酸……。
――出力……可変……。カロリー増加……。
脳裏に文字が浮かび上がるたび、油迂の表情は次第に曇っていく。そして気がつけば、目を見開いて叫んでいた。
「攻撃スキルじゃ、ないんかい!!!」
油迂の眉間には、シワが寄っていた。
僅かではあるものの、油迂は新しいスキルに期待していた。
もしかしたら、マヨネーズを噴出して自由に空を飛べるのではないかと。
もしかしたら、マヨネーズをレーザーのように出力して敵を一掃できるのではないかと。
だが、油迂の夢は秒で打ち砕かれた。
アレストが不安そうに顔を近づけてきた。
「ど、どうした、何かわかったか?」
「い……いや……。なんと言うか、その……」
「ガッハッハ! 差し詰め『味が美味しく』にでもなったか?」
図星だった。ゴードンから視線をそらすと、油迂は手で額を覆った。
「ま、まだ口にしてませんが、マヨネーズですし、それほど変わらないと思いますが……」
「じゃあ試してやるから、少し出してみろ。油迂」
「……す、少しだけですよ……」
油迂はゴードンの手のひらに、ひと匙程度のマヨネーズを出した。
指先から出したそれは、色に変化はなく、目立った香りなどはなかった。
ゴードンは、出されたマヨネーズを指で掬うと、舌の上へと乗せた。
――!
ゴードンは、マヨネーズを口にした途端、体を震わせた。そして、自分の手のひらを何度も見返し、目を丸くして雄叫びを上げた。
「うおおおッ!! な、なんなんだこれは!!! 味もコクも、以前とは次元が違いすぎる!」
「えっ。えええ……」
「お前も食ってみろ、油迂! 全然違うじゃねぇか!!」
「……そ、そんなに違うんですか。どれどれ……」
油迂は自分の手の甲に落とし、一口食べてみた。
――!
口に含んだ瞬間、油迂の脳に痺れるような、うま味が走った。
声には出さなかったものの、驚きを隠せなかった。
明らかに以前とは違う味だった。塩味にも似ているが、それは似て非なるものであった。
そして、そのうま味が加わったことで、卵黄と酢酸のバランスが整ったように感じられた。
ただ、以前にはあった別種の深みが、僅かに失われたようにも感じられた。
「みんなも食ってみろ!!」
ゴードンは興奮し鼻息を荒くしてアレストたちに勧めた。
だが、リュミナは相変わらず避けるような反応を見せ、その横でセリナは何やら考え込んでいた。
一方で、口元を緩めるアレストが、頬を僅かに赤らめていた。
「……」
「どうしたアレスト。勇者様ともあろうものが、マヨネーズに怖じ気づいたのか? ガハハ!」
「おおお、怖じ気づいてなどいない!
ただ言えることは、皆の代表として、メンバーのあらゆる特性……。つまり、それを知っておくという、必要性を考えていただけだッ!」
「大丈夫かアレスト。少し言葉が変だぞ……」
「も、問題ない! まったく問題ないぞ。だからその……それを寄越せ、油迂!」
「大丈夫ですかアレスト様……嫌なら無理しなくても良いんですよ……」
「大丈夫! きっと大丈夫なんだ!!」
「……じゃあ、アレスト様。手をこちらに……」
油迂は、アレストの手を引き寄せると、その上にゆっくり出していった。
手の甲に滴ってくる黄金色の液体。それに合わせて、誰のものかも分からない唾を呑む音が幾つか聞こえた。
ひたすらにその液体をじっと見つめているアレスト。高鳴る鼓動は、次第に彼女の額に、汗を滲ませていった。
油迂がアレストの手を離すと、それを見ていたアレストの唇が次第に開いていった。
――アレストはゆっくりと舌で掬い取った。手に乗せられた、そのマヨネーズを。
その瞬間、アレストは顔を隠すように後ろを向いた。そして、拳を強く握り、俯いていた。
「んんんん――!」
叫ぶのを抑えようとしているのか、口を閉じたまま身体を震わせていた。
その様子に不安を感じたのか、油迂がアレストの肩に手を添えた。
「ど、どうしました!? アレスト様! やっぱりお口に合いませんでしたか?」
油迂が、背後から声をかける。だが、アレストは振り向かなかった。いや、恥ずかしくて振り向けなかった。
(――なんなんだこれは!!! 私が転移前に食べていたマヨネーズとは、あまりにも違う!
味気ない野菜を食べるために仕方なくかけて、目を瞑って食べていたというのに!)
そのときアレストは、口を押さえたまま、最後に食べた温野菜のマヨネーズ和えを思い出していた。
(……ゴードンが貪るように求めていることから、うすうすその美味さに気付いてはいた。
そして今なら理解できる。だが――)
頭を抱え、時折くねくねと身体を曲げるアレスト。
だが、その理由は、その場にいる一同には理解できるものではなかった。
それは、アレスト自身の葛藤だった。ゴードンのように身を任せ、それに溺れるのもまた一興。だが、それではセリナやリュミナに示しがつかない。
ましてやマヨネーズを嫌悪しているリュミナに至っては、軽蔑の対象となってしまう。
それだけは、なんとしてでも避けなければならない。アレストはそう考えたのだ。
そして無意識に、マヨネーズのあった手の甲へ視線を落とした。
(私は、なんてことを!)
見つめたその手をぎゅっと握りしめ、額へと当てて小さく俯く。
「あ……アレスト様……?」
油迂が再び呼びかけるが、反応はない。それを見かねたのか、リュミナが口を挟む。
「ほらみなさい。そんな得体の知れないモノを口にするから、アレスト様は困ってるのよ!
だいたいそれって、黄色い油でしょ。腐ってるのよそれ!」
「腐ってるとは失礼だぞ、リュミナ! 油迂のそれは、今や至高の領域に足を踏み入れたソースだ! 貴様も食えば分かる!」
そう言ってゴードンは辺りの地面に飛散したマヨネーズを指で掬い、リュミナに食べさせようと迫っていた。
「い……嫌よゴードン。アンタだけ食べて……ぶくぶく太ってればいいのよ!」
リュミナも抵抗していた。魔導書を光らせ、対物バリアを張ると、そのままゴードンを包み込もうとしていた。
「き、貴様も……食えと……言っているだろ……!」
「よ、寄りによって……なんで地面に落ちてる物を……食わせようとしてるのよ……!!」
「じゃあ、油迂が直接出したものなら、食えるっていうのか!」
対物バリアに、ゴードンの指が食い込むと次第にヒビが入っていく。
リュミナが、急いでページをめくり、詠唱を始めようとしていた。
「……そ、それも嫌だって……言ってるでしょうが!!」
そのとき油迂は、リュミナからゴードンを引きはがそうとした。
「まてまてまて、待ってください! 嫌がる人に無理矢理押しつけないでくださいよ、ゴードンさん!」
ゴードンはその声を聞くと、バリアに食い込む指を咄嗟に離した。
「なんだ、油迂。お前はこんなこと言われ続けて、悔しくないのか?」
「いいんですよ、今は。それに、使い道はそれだけじゃないと思うので。というか、そんなことよりですね。
今はまず、セリナさん助けませんか……?」
ゴードンの背後には、マヨネーズに塗れたセリナが、横たわっていた。
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