第17話 特殊結晶
頭上から迫りくる黒い影、それは巨大な蜘蛛の腹であった。足で押さえられるのか、押しつぶされるのかそれは、油迂には分からなかった。
油迂の頭にあったのは『その結晶を奪う』。ただ、それだけであった。
油迂の手から、大量のマヨネーズが噴き出した。
それは、周囲の地面をマヨネーズの海へ変えていき、油迂は寝そべった状態でその上を滑っていった。
油迂の上から、巨大な影が落ちてきた。蜘蛛の腹は、油迂の顔の僅か数センチ前で止まった。そのすぐ脇には、頭ほどの大きな結晶が見えていた。
油迂は腕を伸ばして、結晶を引き寄せると、シャツの内側に隠すように抱え込み、そのまま巨大蜘蛛の股の下を滑り抜けた。
そして、そのまま蜘蛛の下から抜け去ろうとしたとき、蜘蛛の尻から糸が吐き出されると、油迂の身体に巻き付いた。
糸は岩壁と油迂の間をつなぎ、頭からつま先まで全身を覆った。
「しまっ――!」
油迂は、マヨネーズを出して逃れようとするが、隙間から噴き出してくるだけで、貼り付いた糸を拭うことはできなかった。
その時であった。洞穴内に野太い声が響いた。
盾を構えパンツ一枚で、走ってくる男。
――ゴードンである。
彼は、蜘蛛の横から全力で体当たりをした。
「ガハハ! 大丈夫だったか油迂!!」
「あ、ありがとうございます。ゴー……ドン……?」
油迂は、眉をひそませた。
それは紛れもなくゴードンだった。鎧がなく、何故パンツだけだったのかは分からない。だが、彼は間違いなく、そこにいたのだ。
しかし次の瞬間、ゴードンはマヨネーズに足を滑らせると、自分から糸の束に身体を沈めていった。
「ガハハハ! まあ細かいことは気にするな!!」
その時、アレストの声が、上の方から聞こえた。
その声を辿るように油迂が視線を向けると、その先には、蜘蛛の背に乗ったアレストがいた。
「まったく……貴様はバカか。ゴードン!!」
「ガハハ! 隙ってのはな、こうやって作ってやるんだよアレスト!」
アレストは、蜘蛛の横腹に剣を突き立て、蜘蛛の背から降りるように腹を割いていった。
「……無茶な男だよ、まったく……。でも、ありがとうな。ゴードン。それと油迂もだ」
アレストは剣に付いた粘液を軽く払うと、油迂たちに絡みついた糸を切り裂いた。
身を起こしたゴードンが、アレストに顔を向けた。
「まぁ気にするんじゃねぇよアレスト。それに今回頑張ったのは油迂だぜ。なぁ、油迂よ!」
ゴードンはそう言うと、油迂の頭に手を乗せた。
「い、いや俺は別に……」
「謙遜するなよ油迂。何、顔を赤くしてるんだ。『何もできない』じゃない。お前だって、やればできるじゃねぇか!」
そのときゴードンの側に、リュミナが寄ってきた。そして、つま先でゴードンの足を軽く小突くと、腰に手を当て目を細めた。
「ゴードン。アンタはいい加減、その腹引っ込めたほうが、良いんじゃないかと思うけどね。『腹がつかえて、来れませんでした』なんて言い訳、聞きたくないんだけど!!」
「ガハハ! 痛いところを突いてくるなリュミナは!」
「……ったく。それと油迂!」
「な、なんですかリュミナさん……」
「……い、今まで邪険にして、悪かったわね……」
「り、リュミナさん。そ、そんなに、気にしてないですから」
「……」
リュミナと油迂との間に、沈黙が流れた。
アレストは、皆に聞こえるように大きく手を叩くと、鞄から袋を取り出していた。
「ほらほら、みんな。一にも二にも回収だよ、回収。
結晶を回収しておかないと明日の飯にもありつけないし、何より蜘蛛に復活されても嫌でしょ。
だから大きいものから順に、この袋に……って、油迂。
お前何かしたのか。なんだか腹の辺りが光ってるように見えるぞ!!」
油迂が、結晶を抱えるように服の上から押さえていると、その手の隙間から、光が漏れ出てきた。その光は、まるで鼓動のようにゆっくりと明滅していた。
そのとき油迂は、腕の中に違和感を覚えた。抱えていた結晶の重さが、徐々に消えていく。光の明滅が速まり、腹元の膨らみも小さくなっていった。気がつけば、結晶を抱えていた手は自分の腹に触れていた。
「えっ!? あれ? シャツの下にあった結晶が!!」
――突然、周囲を貫くほどの閃光が、油迂の身体から放たれた。
油迂は、胃の奥に焼け付くような熱を感じると、腹を押さえた。
同時に、針で刺すような痛みが内側から走ったが、それも次第に失せ、気がつけば何ともなかった。
結晶はなかった。
シャツを捲っても、地面を見渡しても、さっきまで抱えていた大きな結晶は見当たらなかった。
ゴードンが心配そうに顔を覗かせた。
「大丈夫か油迂!!」
「え……ええ……。ちょっと身体が熱いような気がしましたが、いまは特には……」
「お前さんの持っていたのは、多分特殊結晶。
本来なら魔術ギルドで術式を経て、身体に取り込むんだが、まさかその工程すら無しで取り込んでしまうとは……」
「えっ。あ、ちょ……えええ!? 何なんですかこれ!」
アレストが、油迂の肩をぽんと叩いた。
「それは、新たな能力の発現だ、油迂!」
「えっ。新たな……能力……ですか……」
「そうだ、以前にも話したとおりだが。
油迂。キミのスキルに、何らかの変化が訪れたかも知れない」
「えっ。マヨネーズにですか……」
「そうだ。まず、深く息を吸って目を閉じるんだ。そして胸に手を当て、念じる。
そうすれば、それが文字となって脳裏に浮かぶハズだ」
「ちょ、ちょっとまってください! なんだか言ってる意味がよく……」
「大丈夫だ、呼吸を整えて目を閉じてみろ」
「わ……わかりました……」
油迂は皆に見守られながら、胸に手を当て深呼吸する。
そして、意識を集中させ、目を瞑った。
辺りは静まり返る。耳に届く滴る水の音。鍾乳石だろうか、それが繰り返し反響し、時を刻んでいく。
暗闇の中に現れた小さな符号が徐々に形を成し、やがて文字列として認識できるようになっていった。
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