第10話 眠れぬ夜の言い訳
一晩が経ち、辺りには明るさが戻っていった。
朝のひんやりとした空気と、僅かな湿り気。それが朝靄となり、辺り一面を覆っていた。
そんななか、油迂はまだ火の番をしていた。
ゴードンと交代する時間を変えてから、油迂は以前より眠れるようになっていた。
それは、ゴードンの臭い足から解放されたという大きな進展もあったためである。
「おはようございます」
油迂は、テントから出てくるアレストを見つけると、声をかけた。
それは以前のようなくぐもった声ではなく、はっきりと声を出せた瞬間であった。
油迂のその一声で、揺らいでいたアレストの視界が、輪郭を取り戻す。
「ああ……油迂か。おはよう……少しは元気になったようだな」
「ど、どうしたんですか、アレスト様。なんだか元気がないですよ……」
声に覇気はなく、金色の髪はボサボサで、半開きの瞼は今にも閉じそうだった。
まるで夜勤明けのような、独特の雰囲気であった。
「……な、なんだか色々と考えていたら、よく眠れなくてな……。」
「アレスト様、俺が火を片付けている間に、お顔を洗ってきてはどうでしょうか……」
「……そうする……」
それは、アレストらしからぬ振る舞いだった。
凜とした姿はなく、憔悴しているようにも見えた。
――
アレストは水袋を握ったまま、虚空を見つめていた。
「はぁ……。食べたい……」
「何が食べたいんですか?」
きょとんとした顔で、セリナが顔を覗かせた。
「ん……。ひゃあああああぁ!! せせせ、セリナ! いつからそこに!?」
顔を真っ赤にして、宙に手を泳がせているアレスト。
セリナはアレストの様子がおかしいことに気づき、しばらく前から見ていたのだ。
「さ、さっきからいましたけど、アレスト様……」
アレストは目を見開いたまま、顔を引きつらせていた。
辺りには、風に吹かれる草葉の音が静かに広がった。
セリナからゆっくり、目をそらしはじめたアレスト。
小さく俯くと、やがて顔を上げ、セリナの両手を軽く握った。
「ね……ねぇ、セリナ……。
これは誰にも言わないで欲しいんだけど……」
「ななな、なんですかアレスト様。急に改まって」
無言のまま、じっとセリナを見つめるアレスト。
彼女のその真剣な表情に、セリナの額に汗が滲んだ。
アレストは、セリナに合わせていた視線を、僅かにそらした。その先にいたのは、焚火の後始末をしている油迂だった。
「あのさ……。油迂のアレって、どうなのかなって思ってさ……」
「アレ? アレってなんですか、アレスト様……」
アレストは、セリナから手を離し、ゆっくり立ち上がった。
そして、セリナから身体を背けたまま、背中で手を組むと、声を震わせた。
「……あっ、ああ……あの黄色い……。ま……まよ……って言うの……かなぁ。
ちょ、ちょっとよく分からないんだけど、どうなのかなぁって……」
その言葉に首を傾げるセリナ。
アレストの視線の先を追っていくと、目を丸くして手のひらを叩いた。
「ああっ。マヨネーズのことですか!」
「ば、ばか。ちょ、ちょっと声が大きいって、セリナ。それにその言い方は直球すぎるし、油迂に聞こえるだろ!!」
アレストは両手を上下に振りながら、慌てふためいていた。
「す、すみませんアレスト様。
ですが、そうならそうと言ってくれればいいじゃないですか」
「す……すまない」
「どうしたっていうんですか、いつものアレスト様らしくないですよ」
セリナはアレストを振り向かせようと肩を掴んだ。
だが、アレストはその手を払いのけると、セリナに背を向けた。
「いいか、セリナ。あのスキルの味……じゃなくて。
あのスキルは、戦闘に使えるのかと言うことを考えていた」
「えっ……味って……」
振り返ったアレストは、声を荒らげた。
「ち、違う! 断じて味などではない!
戦闘に向くのか、向かないのかと言うことをだな!」
セリナは少し視線を落とし、口元に手を添えると、ゆっくりと口を開いた。
「アレスト様。大量に出せれば、敵を転ばすことはできるかもしれません。
ですが、それほど量を出せるようには見えないですし、目くらましといっても、その……。近づく前にやられる気がするのですが」
「そそそ、そうだよセリナ!
やっぱりアレは戦闘向きじゃないよな!」
「でも、なんか……」
セリナが言葉を言いかけ、一度視線を落とした。そして顔を上げると、続けて口を開いた。
「……もしかして、お味が気になるんですか……」
アレストが押し黙った。
「……」
「気になるんですか……?」
セリナはアレストに、頬を重ねそうなほど、顔を近づけた。
「そそそ、そりゃあゴードンが。アレしてアレだし。
なんかいつも求めているっていうか、中毒性があるっていうか。
リーダーとして仲間の状態は把握しておかないと、っていうか?」
「あ、アレスト様……。なんか……大丈夫ですか!?」
「わわわ、私は大丈夫だ! バッチリ寝れて元気いっぱいに違いない!! そうだろ油迂!!」
アレストが振り返ったすぐ横に、無言のままの油迂が立っていた。
「……」
アレストが身を仰け反らせ、油迂から距離を取った。
「うわあああぁぁぁ、油迂ウゥゥ!!! お、おまっ。いつからそこに!!」
灰を持ち、呆然と立ち尽くす油迂。
眉をひそめ、心配そうにアレストを見つめていた。
「灰を捨てに……、今……、来たところですが……」
「い、一体どこまで聞いていたのだ、油迂!」
「……『バッチリ寝れて』のくだりから、でしたが……」
その言葉に安堵したアレストは、額の汗を軽くぬぐうと、親指を立てて油迂に向かって片目を閉じてみせた。
「よし、今日のお前も元気そうで何よりだッ!」
その後ろでは、口をすぼませ表情を曇らせているセリナがいた。
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