9話 ウィルとのひと時
静寂が支配する放課後の第二図書館。いつも通り、窓際の席で魔導書を読んでいたアイリスの元に、少し息を切らせた声が響いた。
「アイリス……!」
振り返れば、そこには珍しく制服を少し着崩したウィルバートの姿がある。そのエメラルドの瞳がアイリスを捉えた瞬間、彼はパッと花が咲くような笑みを浮かべた。
「ウィル……! お久しぶりです。公務、一段落したんですか?」
アイリスもつられて彼に駆け寄り笑みを向けた。なにせアイリスとウィルバートが会うのは、随分久しぶりだったのだ。
ウィルバートは学生の身でありながら、王宮で公務を務めている。最近は特に忙しく、この第二図書館へ顔を出すこともできなかった。
「ああ。予定より早めに終わったからアイリスに会いに来た。久しぶりだな」
そう言って嬉しそうに微笑む彼を見て、アイリスの胸の奥が暖かくなる。この懐かしい笑顔を見ると、安心してしまうようだ。
だが、穏やかな再会はそこで遮られる。不意にウィルバートの視線が、アイリスの鞄から覗く奇妙な物体――細い棒の先に紐と鳥の羽がついた物に留まった。
「……ん? アイリス、それは何だ?」
「これですか? ディラン様に頼まれて作った、猫と遊ぶおもちゃ『猫じゃらし』というものの改良版です。前回のものは耐久性が足りなくて折れてしまったらしくて。今回は芯材に魔導合金のワイヤーを仕込んでみました」
「ね、猫じゃらし? ディランに……?」
ウィルバートが怪訝そうに眉をひそめると、背後から待っていました、とばかりに大柄な人影が音もなく現れた。ウィルバートの護衛として控えていたディランだ。
「アイリス嬢、その節は世話になった。先日ようやく、黒猫を膝の上に乗せることに成功した。あんなに猫と戯れられたのは人生で初めてだ……感謝する」
普段の鉄面皮からは想像もつかないほど、ディランの赤の双眸は微かに潤み、声には深い感動が滲んでいる。
数週間前、第二図書館へ迷い込んで来た黒猫は時々この近くに現れる。そんな黒猫と更なる親睦を深めるため、試しに猫じゃらしを作ったところ、ディランは大真面目に「これは画期的な道具だな」と瞳を輝かせていた。
そして相変わらずガチガチに緊張しながらも、猫と対峙する彼の背中を思い出しアイリスは内心、フっと笑みを溢す。
しかし、そんなアイリスとは反対に、ウィルバートの顔は引き攣っていた。
「ディラン……僕がいない間にアイリスと何をしているんだ」
「護衛任務の傍ら、黒猫の相手を少々。アイリス嬢お手製の猫じゃらしは画期的で素晴らしいので、ぜひ殿下にも試していただきたい」
「そうか。お前はアイリスと共に、猫と戯れ親睦を深めていたのか」
なぜ我が主はこんなにも怒っているのかと、本当にわかっていない様子のディランは首を傾げた。けれど何かを察したように、彼はすぐに頭を下げる。
「ハッ……失礼いたしました! 護衛という命を受けながら猫と戯れるなど……騎士にあるまじき行い。ですが、アイリス嬢の護衛を怠ったことは、一度もございません。今後はアイリス嬢の護衛にのみ――」
「いや、そういう話ではない。……まぁ良い。アイリスも楽しんでいたようだし、君に他意はないのだろう。猫と戯れる程度なら構わない。責めてすまなかったな。――ところで、ジーク。お前は何か、後ろ暗いことがあるから隠れているのか?」
「…………気づいておられたのですね、殿下」
すると本棚の奥から気まずそうにジークが顔を出す。気配はもちろん、足音すら聞こえなかったアイリスは、隠れていたらしい彼の登場に驚いた。けれど気づいていなかったのはアイリスだけではなく、ディランも「いたのか」と、ポツリと呟いている。
寮の近道である森で遭遇した時もそうだったが、ジークは目立つ見目の割に、気配を消すのが上手いらしい。
「もちろん。さぁジーク、教えてくれるか? 僕のいない間にアイリスとどう過ごしたのか」
「…………………休日に、俺の故郷の近くの町へ出掛けました……」
「ほう、わざわざ休日に『二人で』町へ出掛けたのか」
笑顔を絶やさず、確かめるように繰り返したウィルバートの瞳はなぜか笑っていない。孤を描きながらも、苛立ちを帯びたその眼差しに、ジークは視線を逸らしている。
「…………はい」
二人はまるで、悪戯を叱る飼い主と犬のよう。そんなに学園の外へ出掛けたのが、まずかったのかとアイリスは困惑しながらも二人の間に割って入った。
「ウィル。ジーク様と出掛けたのは灯火草の群生地まで案内していただく為ですよ」
「灯火草?」
「はい。少ない魔力で灯りの代わりになる魔法植物です。ジーク様の故郷の近くに、灯火草のなる場所があるとのことだったので、連れて行っていただいたのです」
そこでアイリスは、鞄の中から灯火草の葉を一枚取り出し微量の魔力を流し込む。するとその葉は青白く淡い光を灯すのだ。
「私は火属性の魔法が苦手ですから、ちょっとした灯りにちょうど良いんですよね」
ウィルバートへ差し出すと、彼は物珍しそうに灯火草へ視線を落とした。先程まで怒っていた彼も、今ではスッカリ童心に返り好奇心を孕んだ眼差しを向けている。
「面白いな、こんな植物があったのか。だがジークの故郷はここから馬車でも数時間は掛かる。疲れなかったか?」
「はい! 移動中は本を読んでいましたし、途中で美味しい串焼きを食べたり、露店を回ったりできたので楽しかったですよ!」
「あ、ちょっ……! アイリス嬢それは……っ」
アイリスの感想を慌てて静止させようと呼び止めたジークだったが、彼はまたウィルバートから黒い微笑みを向けられてしまうこととなる。
「……それは随分、楽しそうだな。なぁ、ジーク」
ジークが視線を泳がせる姿に、アイリスは小首を傾げる。けれどようやく、なぜウィルバートがこんなにも怒っていたのか、わかったように声を上げた。
「もしかしてウィルも、出掛けたかったのですか?」
なにせウィルバートは公務と学業の両立で多忙の身。時間が取れないのも、もちろんだが、王子として気軽に町へ出掛けることも難しいだろう。
「今度はウィルも一緒に出掛けましょう。昔みたいにローブをかぶって。もちろん護衛も必要ですが、私は防御魔法も使えるので、何かあれば必ず貴方をお守りします」
笑顔でそう言ったアイリスに、ウィルバートだけでなくジークやディランも驚いたように目を見開く。けれど次の瞬間には、三人とも呆れたように笑みを溢した。
「ああ、楽しみだな。けれど守るのは僕の役目だ。君は僕が守るべき国民であり、大切な友人なのだから」
ウィルバートはアイリスの横髪を耳にかけるように髪を指の背で撫で、柔らかく微笑む。その時――
「そんな貴方をお守りするのは、私たちの役目ですけどね」
本棚の奥からニッコリと顔を出したルイスは、物珍しそうに私たちを見渡した後、ウィルバートへ視線を向け目を細める。
「王宮から急ぎの連絡が届いたかと思えば……ウィル、学園へ戻ったのなら、まずは私に声をかけるよう言ってあったでしょう」
「……す、すまなかった」
ルイスは呆れたようにため息を溢し、ウィルバートへ小言を告げる。恐らくウィルバートはルイスの元ではなく真っ先にこの場所へ向かって来たのだろう。
「私もここへ用があったので構いませんが……」
そう言うと、ルイスが手にしていた分厚い本をアイリスへと差し出した。それはアイリスは先日読みたいと零した魔導書だ。
「ありがとうございます、ルイス様! これ、ずっと探していた魔導書なんです!」
「目印を付けてある部分は特に、貴女の好みそうな魔力の消費の少ない魔術式ですよ」
アイリスが目を輝かせて本を受け取ると、ルイスは柔らかく目を細めた。だがその横で、今度はウィルバートが疑うような眼差しをルイスに向けている。
「ルイス、お前まで僕の知らないところでアイリスと仲良くなったのか……!?」
「軽く魔法の話をする程度ですよ。……今日のウィルは随分、ご機嫌ななめなようですね」
「お前……わざとやっているだろう」
「さぁ? なんのことでしょうか」
ルイスは涼しい顔で頭を傾け、楽しげに喉を鳴らす。二人の様子は、他の誰よりも親しみがあるように思えた。
「私はこれから生徒会の用事がありますので、ここで失礼しますよ。アイリス嬢、また後ほど感想を聞かせてくださいね」
ルイスはそう言って、ウィルバートの様子を存分に楽しんだような足取りで優雅に去っていった。
「……ルイスめ、確信犯だな」
ウィルバートはギリと奥歯を噛み締めると、くるりとアイリスの方を向いた。その瞳には、大型犬が拗ねた時のような、凄まじい『寂しさ』が渦巻いている。
「ウィル……?」
「今日、君の隣は僕専用だ。いいか?」
有無を言わせぬ調子で、ウィルバートはアイリスのすぐ隣の椅子を引き、すとんと腰掛けた。そのまま、ディランとジークに向けて『これ以上近づくな』と言わんばかりの鋭い視線を送る。すると二人は苦笑いを浮かべて、少し離れた本棚の影へと下がっていった。
ようやく静かになった隣の席。ウィルバートは机に肘をつき、アイリスの顔をじっと見つめてきた。
「……怒っているのですか、ウィル」
「怒ってはいないよ。ただ、すごく寂しかったんだ。僕が不在の間、君が僕の知らないところで彼らと楽しそうに過ごしていたなんて」
「はぁ……」とわざとらしくため息をつくウィルバートに、アイリスは小首を傾げる。
「楽しそう、というか……皆さん、私が一人でいるからと気遣ってくださっただけですよ。それに私にとってはどれも魔法の研究や、その延長線上のことです」
「ふふ、そうだな。君はそう捉える人だ」
ウィルバートはふっと表情を和らげ、アイリスの手元にあるノートに視線を落とした。そこには、彼女が悩んでいた術式の構成案が書き殴られている。
「この術式……属性の反発を抑えたいのか。それなら、魔法理論の法則を応用すれば、もっとスムーズに魔力が流せるだろう。ほら、ここにこうして魔力導を編み込んで……」
ウィルバートが人差し指の先に小さな光を灯し、アイリスのノートの上で滑らせる。彼の指の動きに合わせて、アイリスの脳内の霧が晴れるように、新しい術式の構築図が組み上がっていく。
「わあ……! すごい、流石ですウィル! この発想は私にはありませんでした!」
「見直してくれたか? ルイスには及ばないが、僕だって君と魔法の話ができる」
嬉しそうに胸を張るウィルバートを見て、アイリスは心の中で小さく息をつく。
ルイスやジーク、ディランと話すことも楽しいが、こうして同じ目線で言葉を交わしてくれるウィルバートとの時間も、アイリスにとっては気楽で、落ち着く――
大切な友人との、ひとときだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
一旦ここまでで自己紹介的なお話は一区切りです。
次回から、それぞれの恋が動き始めます!
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