8話 ルイスと魔法雑談
放課後、陽光が琥珀色に差し込む第二図書館。
相変わらず人の気配のないこの場所で、アイリスは長机に分厚い魔導書を広げて至福の時間を過ごしていた。
令嬢たちの嫌味など、すっかり魔法の術式の海へ洗い流してしまったかのように、熱心に目で文字を追う。しかし、そんな至高の静寂を破ったのは、規則正しい靴音だった。
「熱心ですね、アイリス嬢」
降ってきたのは、男性にしては少し高めで落ち着いた声。その声にアイリスは心当たりがあった。驚いて顔を上げると、中性的な美貌のルイスが彼女をニッコリと見下ろしている。
「ル、ルイス様……? ごきげんよう。本日は殿下の護衛でしょうか?」
アイリスの護衛として来るのは、ジークやディランの事が多く、ルイスは紹介を受けた日以降、ここへ来たことはなかった。
というのも、ルイスはウィルバートの右腕的存在の為、常に彼と行動を共にすることが多い。加えてルイスは、この学園の生徒会長を務めるだけでなく、宮廷魔法使いの見習いとしての任務までこなしている。
そんな多忙の彼が一人でここに来るはずがないと、ウィルバートの姿を探すが、目を引くはずの鮮やかな金髪が見当たらない。
「いいえ。ウィルは今頃、王宮で公務中ですので私一人です。同席しても?」
「え……!? は、はい、どうぞ」
ルイスは静かに正面の椅子を引き腰を下ろした。そして机に肘をつきながら綺麗な指先を顎に添え、アイリスを観察するように目を細める。
(気まずい……どうしてウィルの側近の方々は、こうして観察してくるの……!?)
「……あの、ルイス様もウィルから私の護衛を頼まれたのですか? 何度か彼にも伝えているのですが、私に護衛は不用ですので……」
だからどうかお帰りください。その美しいご尊顔が目の前にあると気になって仕方がないのです。と心の中でアイリスが訴えるが、ルイス相変わらず上品な笑みを浮かべたまま。
「護衛? あぁ、いえ……お気になさらないでください。アレの我儘を叶えるのも、私たちの役目ですから」
(やっぱりウィルの我儘なんだ……)
アイリスはもう諦めよう……と、呆れつつ開いていた古い本のページへと意識を向けた。それは世界の各地で発掘される『魔法石』や『媒体』についての歴史を記した古い図鑑のような本だ。
そのページの隅に描かれている、奇妙な挿絵に目が留まる。周囲の煌びやかな魔法石とは異なり、光をすべて吸い込むような、不気味なほど深い漆黒の石の絵が描かれていた。
「こんな石、初めて見た……」
アイリスが指先でその絵をなぞりながらポロッと呟くと、対面に座っていたルイスが身を乗り出し、アイリスの手元の本を覗き込んできた。ふわりと彼の上品で冷たい香りが鼻腔をくすぐる。
「へぇ、随分と古い本を読まれていますね。……私も拝見してよろしいですか?」
「はい、どうぞ……!」
ルイスの長い指先が、アイリスの指のすぐ傍らのページを指し示した。彼の青い瞳に少しだけ真剣な色が帯びる。
「ああ、これは……『深淵結晶』です。かつて精神操作魔法の媒体として使われていた魔法石ですよ」
「精神操作、ですか……?」
アイリスが瞳を見開いて聞き返すと、ルイスは静かに説明を続けた。
「ええ。他者を意のままに操る禁忌の魔法。現在では精神操作魔法と、深淵結晶の採掘も国法によって完全に禁じられ、流通しているものはすべて処分されました。そのため、最近の図鑑には、一切載っていないのですよ」
「だから見たことがなかったのですね。過去の負の遺産、というわけですか」
「その通り。ところで、そんな危険な魔法石を調べるなんて……精神操作魔法にご興味が?」
「まさか!? 私はただ、この石の特徴を調べていただけで……」
アイリスはそう言って、赤く光る魔法石を鞄から取り出し、卓上へ置いた。これは先日、ジークと出かけた際に貰った、火属性の魔力を増幅できる魔法石『紅炎石』。
「私は、風属性なので火属性の魔法とは相性が悪いので、魔法石の純度で補おうとしたのですか……術式通りに魔力を流しても、途中で反発して術式回路が焼き切れちゃって……」
「そうですか……。今、試してみてもらえます?」
「え、ここでですか!?」
「はい。図書館内での魔法は禁じられていませんし、何か問題でも? それでは、この蝋燭に火を灯してください」
ルイスは、図書館の通路を照らすために各所へ置かれていたキャンドルホルダーをアイリスの目の前に置くと、灯っていた蝋燭の火へ息を吹きかけ消してしまった。
そして再びいつもの上品な微笑みを浮かべ「さぁ、どうぞ」と言わんばかりに急かしてくる。
ルイスからの圧を感じつつ、アイリスは紅炎石を手のひらに乗せ、頭の中に術式を思い浮かべる。微かに紅炎石が赤く光り始めるが、途中でアイリスの風属性の魔力と反発し、すぐに消えてしまった。
「はぁ、やっぱりダメだった……」
肩を落とすアイリスを他所に、ルイスはしばらく考えるように顎へしなやかな指を置くと、青い瞳でアイリスを見据えた。
「紅炎石の中に魔力を流し込むのではなく、石の表面に風の渦を形成し、紅炎石の火の魔力粒子を中央の一点に圧縮させてみてください」
「……圧力が極限に達すれば、反発する余地を失うということですね!」
「はい。貴女ならできるでしょう?」
試すような言葉に、アイリスは頭の中で本来思い描いていた術式を組み替える。そして先程と同様に、紅炎石を手にして魔力を流し込めば――
ボッと、音を鳴らして蝋燭に小さな火が灯った。
「できた……できました! ルイス様!」
アイリスは紫色の瞳を輝かせ、心からの笑顔を浮かべた。その純粋な姿に、ルイスは一瞬だけ呆気に取られたように彼女を見つめ青い瞳を細める。
「よくできましたね、アイリス嬢。魔法の調子はいかがですか?」
「絶好調です! 成功したのは、ルイス様のおかげです。ありがとうございました!」
「貴女の理解が早いからですよ。……あぁ、そういえば」
蝋燭を元の位置へ戻したルイスが、本題はこれから、とでも言うようにアイリスの正面の席へと座り直した。
「偶然通りかかったのですが、今日の午前、屋外演習場で随分と華麗な立ち回りをなさっていましたね」
魔法が成功したことで高揚感に満たされていたアイリスだったが、一瞬で背筋に冷たいものが走った。
「な、何のことでしょうか……」
必死に平然を装い、何でもないことのように視線を逸らそうとする。けれどルイスは動揺をみせるアイリスの姿に、唇の端を愉しげに上げた。
「妨害魔術を緻密なコントロールで受け流していたでしょう。それどころが妨害の阻止と術式の構築を同時にやってのけた。気づく者は少なかったでしょうが、新入生の魔法使いにできることではありませんよ」
「……見ていらしたのなら、助けてくださっても良かったのでは?」
「おや、私が手を出すまでもありませんでしたよ。それと嫌がらせを行った生徒に関しては、処罰を与えましたので」
「処罰ですか!? 実害はなかったのですから、そこまでしなくても……」
「あの妨害魔術は対処を誤れば、暴発してしまう恐れのある魔術です。生徒会長として、見過ごすわけにはいきませんから」
さらりと上品な微笑みでキッパリと言い切ったルイスに、アイリスはそれ以上言い返すこともできなかった。
「……それに『魔法を嫌がらせの道具』にされるのは、私も不快でしたので」
揶揄いまじりに、どこらかで聞いたことのあるセリフを口にしたルイスはアイリスを眺めながら悪戯に微笑んでいる。アイリスはそんな事まで聞こえていたのかと、自身の顔がカッと赤くなるのを感じた。
「き、聞いていたんですか!?」
ルイスはなんて事のないように「はい」と頷いた。この人、地獄耳なのでは……? なんて疑うような視線をアイリスが向けていると、珍しく第二図書館の扉の方から二つ目の足音が聞こえてきた。
「アイリス嬢〜〜って、うわ! ルイスだ。ここに来るなんて珍しいね」
本棚の横から顔を覗かせたのは、最近頻繁に護衛を担当してくれているジークだ。けれど今日はルイスが護衛なので、彼は来ないものとアイリスは思っていたのだが――
「用があったので、少し寄っただけですよ。ではアイリス嬢、私はこれで」
「え? ルイス様が護衛ではなかったのですか?」
「私はそんなこと、一言も言っていませんよ」
そんなはずはない、とアイリスは記憶を遡ると、確かに彼自身がアイリスの護衛だとは一言も言っていなかった。それならば、なぜルイスはここに来たのか。まさか揶揄うためだけに?
「今、私が貴女を揶揄うためだけに、ここへ来たのかと思っていますね?」
「…………いえ、そんなことは」
ルイスは地獄耳だけではなく、考えている事まで見えてしまうのだろうか。図星だったアイリスは、気まずげに視線を逸らすと、ルイスは呆れたため息を吐く。
「心外ですね……。妨害魔法の影響を貴女が受けていないか、確認しに来ただけですよ。魔法を試してもらったところ問題はなさそうでしたね」
「え……?」
「では、私はこれで失礼します。ジーク、あまり彼女に付き纏って困らせないように」
ルイスは椅子を引いて立ち上がると、咎めるようにジークへ目を向ける。そして最後にアイリスを見やった後――
「また、来ます」
と、言い残して美しい姿勢のまま立ち去ったのだった。




