7話 魔法への想い
ミスティカ魔法魔術学園へ入学し、二ヶ月がだった頃。学園内の屋外演習場には、瑞々しい若葉の香りが心地よく満ちていた。
本日の魔法実技では、各自が割り当てられた石造りの標的に対して、攻撃魔術を正確に命中させるという極めて基礎的な訓練だった。
(平穏第一、目立たず騒がず。私は背景に溶け込むモブ令嬢なのだから。今日もしっかりと、平凡な成果を出そう)
アイリスは心の中でそう何度も唱えながら、自分の順番を待っていた。
彼女の瞳が見つめる先では、いかにも名門貴族らしい華やかな魔法で歓声を上げているクラスメイトの姿がある。アイリスは自分の平均的な魔力から省エネで効率重視の魔法を好むが、目の前で繰り広げられる見栄えのある魔法にも興味があるし、やっぱり憧れてしまう。
そんなクラスメイトたちの魔法に釘付けだったアイリスの背後から、わざとらしい冷ややかな視線と粘りつくような声が聞こえてきた。
「見てご覧なさいな。あそこにぽつんと立っているの、メルヴィル伯爵家のアイリス様でしょう?」
「ええ、本当だわ。大した身分でもないのに、最近ずいぶんと身の程知らずな動きをなさっているとか。……なんでも、あのジーク・ナイトフォール様の後ろにぴったりと引っ付いて、同じ馬車で外出されたそうですのよ」
声の主は、高位貴族の令嬢たちだった。彼女たちは扇で口元を隠しながら、アイリスに聞こえるようわざと大きな声で嘲笑う。
「まあ、はしたない。きっとアイリス様が押しかけたのよ! ジーク様がお優しくしてくださったからって、勘違いをしてしまわれたのかしら?」
「見目麗しいジーク様と、あのような地味な令嬢とでは、到底釣り合いませんのにね」
容赦なく浴びせられる陰口と嫌味の数々。周囲の生徒たちも巻き込まれるのを恐れるように、アイリスから一歩距離を置く。
(ジーク様とは灯火草を取りに行っただけなのに、もう噂になっているなんて、ジーク様の人気は恐ろしい……。けれど、ここで言い返し騒ぎになる方が平穏な学園生活の危機。ここは無視一択ね)
アイリスはため息を心の奥底に沈め、毅然とした態度を崩さずにただ前方の標的だけを見つめ続けた。
やがて、アイリスの順番が巡ってくる。前に出て片手を構える。胸の奥にあるのは、周囲の悪意への苛立ちではなく純然たる魔法への敬意と、それを扱えることへの歓喜だけ。
平均的な自らの魔力を込めながら、頭の中で術式を正確に編み上げていく。眩い光の刃が形成されかけたその瞬間。斜め後方から、先ほどの令嬢の一人が放った、悪意を孕んだ異質な魔力の波動が割り込んできのだ。
アイリスの術式を外側から無理やり捩じ切り、暴発させて醜態を晒させようという陰湿な妨害魔術。
けれどアイリスは一瞬の動揺すら見せなかった。
普通ならば術が暴発して怪我をしてしまうところだろう。しかし彼女の魔法に対する異常なまでの解析力と集中力は、周囲の予想を遥かに凌駕していた。
アイリスは構えを崩さず、むしろ手にかける魔力の焦点を針の穴ほどにまで絞り込んだ。緻密極まるコントロールによって、相手の妨害魔法の結び目を見抜き、自らの魔力の先を楔のように鋭く打ち込む。
――キィン、と。硝子がひび割れるような音が響き渡った。乱入してきた令嬢の妨害魔術は、アイリスの光刃に触れることすらできずに霧散して消えていったのだ。
そのまま極小に圧縮され、極限まで研ぎ澄まされたアイリスの光刃は、標的である石像の真ん中を寸分の狂いもなく貫いた。パシィンと軽い音を立てて標的に小さな風穴を開け、余韻を残して光が消え去る。
「なっ……、嘘……」
妨害を仕掛けた令嬢が、屈辱で顔を青ざめさせる。周囲の生徒たちも何が起きたのかを完璧には理解できず、ただそのあまりにも見事な魔力制御の美しさに息を呑んでいた。
「まさか岩に穴を開けるなんて……素晴らしいわ! メルヴィル嬢。戻ってよろしい」
「はい、失礼します」
教員に一礼をして、アイリスは後ろへと下がる。普段は隅に向かうところだが、彼女の足先は悪意を放ってきた令嬢の方へと進められた。令嬢を見据えるアイリスの紫色の瞳には、怯えも怒りもなく、ただただ深い失望が宿っている。
「魔法を、嫌がらせの道具にしないでください」
凛とした佇まいから放たれた言葉に、嫌味を言っていた令嬢たちは言葉を失ってしまう。アイリスは愛想良く微笑んだ後、何事もなかったかのように隅へ戻って行ったのだった。




