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6話 ジークと灯火草


 翌日の放課後。第二図書館の空気は、心なしか張り詰めていた。


 アイリスが恐る恐る入室すると、窓辺に佇んでいたジークがアイリスに灰色の目を向ける。その表情はいつも通り、穏やかで愛想が良さそう。

 

 けれどアイリスは、森で見た彼の冷たい眼差しを忘れられないでいた。


「やぁ、アイリス嬢」

 

「……ごきげんよう、ジーク様」


 上手く話せているだろうか。向けられた眼差しに、全てを見透かされているようで、アイリスは思わず目を逸らしてしまった。


「……。昨日はありがとね。助かったよ」

 

 そう言って差し出されたのは、昨日アイリスが森の中で出会った時にジークへ押し付けたハンカチだ。綺麗に洗われたその上には、一枚の枯れ葉――

 

「灯火草も挟まっていたけど、コレもアイリス嬢のものであってる?」

 

「――あ、私のです! 忘れてた……ありがとうございます、ってジーク様は灯火草のことをご存じなんですか?」

 

 先程までジークを警戒していたことを忘れたように、アイリスはハンカチを受け取りながら、意外そうに目を丸くした。


 なぜなら、灯火草は決して有名な植物ではない。価値は低く、下町の貧民が夜の灯り代わりに使う程度の、ありふれた、けれど貴族には見向きもされない植物だ。


「もちろん知ってるよ。俺が暮らしてた場所の近くに、灯火草の群生地があったからね」


 『灯火草の群生地』。その言葉にアイリスは思わず瞳を輝かせた。

 

「栽培の難しい灯火草の群生地があるんですか!? 私、実際に成っているところは、本でしか見たことがなくて」

 

 身を乗り出して興奮するアイリスに、ジークは一瞬だけ呆気に取られた。そして灰色の瞳に、これまでとは少し違う、悪戯っぽくも温かい光を宿して微笑んだ。

 

「君って魔法のことになると急に勢いがすごいよね………ハンカチと消臭液のお礼も兼ねて、良かったら今度の休みに案内してあげようか?」




 

 そうして迎えた休日。

 

 アイリスはジークに指定されたとおり『平民風』の装飾の少ないワンピースを身に纏い、学園の裏門へと向かった。

 

「アイリス嬢〜」

 

 門の前には既にジークが待っていた。彼はこちらに気がつくと笑顔を作り片手を上げる。


 彼もまた、豪奢な貴族の外套ではなく、シンプルな仕立てのシャツを身に馴染ませていた。それでも端正な容姿にスラリと伸びた長身のせいで、色気と気品が隠しきれておらず、周囲の目を惹きつけている。

 

「お待たせして申し訳ありません、ジーク様」

 

「俺も今来たところだから気にしないで。今日は髪を結っているんだね。普段の下ろした髪型も似合っているけど、今日の髪型もよく似合ってる」

 

「はは、どうも……」


 サラリと褒めるなんて、さすが普段から令嬢たちを虜にしているだけはある。言い慣れているお世辞を間に受けないよう、アイリスは苦笑いで流した。


 それから彼が用意していた馬車へ乗り込み、揺られること数時間。二人は王都の最も奥まった、活気というよりは淀んだ空気が漂う下町の境界で馬車から降りた。


「ここからは少し歩くけど、大丈夫?」

 

「はい! 言われていたとおり、歩きやすい靴も履いてきました」

 

「はは、えらいね。ただ、ここからは道が入り組んでいるから、迷わないよう手を繋いで歩いちゃう?」

 

「いえ、結構です」


 恋人でもない男性と、ましてや友人ですらないジークと手を繋いで歩けるわけがない。アイリスが顔を引き攣らせると、ジークはおかしそうに喉を鳴らした。


「ふはっ、あらら残念〜。それなら俺の服の袖を掴んでおいて」

 

「袖なら……」

 

「そんなに身構えなくても、取って食べたりしないよ。ほら行くよ。離さないでね」


 そう言ってジークは複雑に入り組んだ路地裏の道を、一切の迷いなく進んでいく。その足取りはまるで家の庭を歩くようだった。


「ジーク様は、この辺りの土地に詳しいのですね」

 

「うん。俺は元々、この辺りの平民で孤児だったからさ」

 

「え……!?」

 

 斜め前を歩く彼を見上げながらアイリスが驚いた声を零すと、ジークは振り返り灰色の瞳を細めてサラリと言ってのけた。

 

「あれ? 知らなかったんだ。てっきり殿下から聞いているものだと思ってた。殿下に拾われる前までは、平民でここのすぐ近くにあるスラム街の孤児だったんだよ」

 

 アイリスは驚きに小さく息を呑んだ。乙女ゲームでは、ナイトフォール家の次男である彼に『平民で孤児だった』という設定は一切なかったはずだ。


(ゲームと設定が違う……?)


 しかしジークは戸惑うアイリスをよそに、楽しげに言葉を続ける。

 

「あ、もうお昼時だね。灯火草の群生地に向かう前に、何か食べよっか。――ちょっと君には刺激が強すぎるかもしれないけど、ここの名物があるんだ〜」

 

 ジークがアイリスを連れて行ったのは、周囲にまともな貴族がいれば、嫌悪感で卒倒しかねないほどに治安の悪い下町の露店だった。香ばしい香りと煙が立ち込める中、肉の串焼きが鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てている。

 

 ジークは串焼きを二本買い求めると、一本をアイリスへと差し出した。

 

「はい、どうぞ。お嬢様は、こういう汚い場所の食べ物は口に合わないかな?」

 

 ジークの灰色の瞳の奥に、観察するような冷ややかな光が灯る。

 

 アイリスが『貴族としての嫌悪感』を露わにし、自分の生まれ育った世界を蔑むような本性を暴こうとしていた。しかしジークの計算は、アイリスという規格外の魔法オタクの前には全く意味をなさなかった。


 アイリスの実家であるメルヴィル領はドのつく田舎であり、アイリス自身、領民が食べる庶民食には慣れ親しんでいる。

 

「良い香り……いただきます!」

 

 彼女は躊躇することなく串焼きを受け取ると、小さな口で思い切りかぶりついた。

 

「美味しいです! 香辛料が効いていて、お肉の旨味を引き立てていますね」

 

 紫の瞳をキラキラと輝かせ、美味しそうに串焼きを食すアイリスを見て、ジークは完全に虚を突かれたような目を向ける。

 

「…………うわ〜アイリス嬢、本当に平気なの? お腹壊しても知らないよ?」

 

「これくらいで壊すほど、私の胃腸は軟弱ではありません」

 

 ジークは呆れたように肩の力を抜くと、ふっと柔らかな笑みを浮かべながらアイリスの隣に立つ。そして自身も肉の塊へとかぶりついたのだった。




 

 食事も終え、さらに路地裏を進んでいると、魔法石を雑多に並べた怪しげな露店が目に留まった。アイリスは吸い寄せられるようにその店へ向かうと、埃を被った赤色の石を手に取り声を弾ませる。

 

「少し不純物が混ざっていますが、火属性の魔力を効率よく増幅できる魔力石ですね! 店主さん、これ、おいくらですか?」

 

「へへ、お嬢ちゃん、お目が高いね。それは大層な一級品さ。金貨三枚でどうだい?」

 

「き、金貨三枚!? なかなかしますね……。けどこんなに貴重なものを逃すわけには…………買います!」

 

「こら。ちょっと待った」

 

 嬉々として財布を取り出そうとするアイリスの腕を、ジークが慌てて後ろから掴んで制止する。

 

「珍しい品ではあるけど、このサイズなら金貨三枚もしないよ。店主、無垢な()()相手に、ふざけたを商売をするなんて、見かけによらず、随分器が小さいんだね。悪質な商売をしていると衛兵に知らしてしまおうか?」

 

 ジークが灰色の瞳を鋭く光らせて店主を睨みつけると、相手は途端に顔を青ざめさせた。

 

「や、やだな〜〜、冗談ですよ。銀貨五枚、いや、銀貨三枚でどうです!?」

 

「それならこっちの魔法石も付けて、銀貨四枚でどう?」

 

「……〜〜ッ! クソォ……そんじゃあ魔法石二つで銀貨四枚」

 

「ありがとう、素敵な店主」

 

 ジークが手際よく交渉を済ませ、本来の適正価格の半額以下で魔法石を二つ買い取ってしまった。

 魔法石を手渡されたアイリスは、ポカンとした後、気の抜けたような満面の笑顔を浮かべた。

 

「ジーク様、すごいですね……! あの、今お代を……」

 

「俺の分も買えたし、お代はいいよ。実は君の反応見たさにこんなところへ連れてきちゃったからさ〜。そのお詫びだと思って受け取って」

 

「……それでしたら、お言葉に甘えて。ジーク様がここに連れて来てくださったおかげで、とても良いお買い物ができました! ありがとうございます!」

 

「え〜罵倒するところなのに……君はお人好しだなぁ。うん、どういたしまして」

 

 ジークは拍子抜けしたように笑い、同時に、胸の奥が温かいもので満たされていくのを感じていた。

 


 ○


 

 路地裏の薄暗い迷宮を抜けると、視界が一気に広がった。

 

 そこは王都の喧騒を忘れさせるような、緑豊かな美しい高原があった。

 

「ほら、あそこだよ」

 

 ジークが指差した先には、数本の見上げるような木が佇んでいる。その枝葉の陰、日の当たらない幹の根元に無数の『灯火草』が自生していた。

 

「すごい……!!」

 

 アイリスは歓喜の悲鳴を上げると、ジークを置き去りにして、まっすぐに木の根元へと駆け寄った。地面に膝をつくのも厭わず、紫色の瞳を輝かせて灯火草の観察を始める。

 

「本の記述通りです! 周囲の魔力を吸い上げて育ってる。だからこんなに葉の脈が綺麗に発達していて……」

 

 ジークはその場に佇み、一心不乱に葉を愛でるアイリスの後ろ姿を、少し離れた場所から静かに見守った。

 

 しばらくして満足したアイリスが、数枚の葉を大切に懐に仕舞いながら立ち上がり、ジークの元まで駆け寄ってくる。

 

「お待たせしました! すっかり夢中になってしまって。……今日は、本当に有意義で楽しかったです」

 

 ジークは灰色の瞳を僅かに揺らし、静かな声で尋ねた。

 

「……有意義? あぁ、灯火草が見つかったから……」

 

「いえ、それだけではありません」

 

 アイリスは真っ直ぐにジークを見上げ、当然のこととして言葉を紡いだ。

 

「灯火草のことはもちろん。路地裏でいただいたあの美味しい串焼きも、ジーク様が交渉してくださった露店巡りも……何より、ジーク様がかつて過ごされた、大切な思い出の場所を歩くことは、私にとって価値のある楽しい時間でした!」


 その瞬間、ジークは目を見張った。目的の灯火草のことだけを、喜ばれるのものだと思っていた。あるいは自分の過去を軽蔑されるか、哀れみの目を向けられるのだとばかり思っていた。

 

 それなのに目の前の少女は――アイリス・メルヴィルという少女は、彼がかつて生きていた泥の世界を憐れむことなく『価値のあるもの』として、丸ごと受け入れてくれたのだ。

 

 ジークの胸の奥で、土に埋まっていた花が芽吹くように小さく揺れる。

 

「…………ふっ、あははっ! アイリス嬢は、本当にお人好しで変わっているね」

 

 その時、初めてジークの笑顔を見た気がした。穏やかであどけない、その優しい笑顔にアイリスもつられて頬を緩める。

 

「モブ令嬢ですからね。多少変わっていても問題ないんです」

 

「モブ? 何それ」

「ふふん、秘密です」

 

 夕暮れの高原に、二人の柔らかな笑い声が響き渡る。

 

 この日を境に、放課後の第二図書館では、前にも増してアイリスへちょっかいをかけ、楽しげに彼女の反応を観察するジークの姿が、日常の一コマとなるのだった。

 

★X(Twitter)にて登場人物のキャラデザを公開しました!

ぜひ見ていただけると嬉しいです↓


https://x.com/3o624r?s=11


とりあえず男キャラ達のみですが、後日女の子達も投稿予定です!


※自作イラスト not AI

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