5話 ジークと秘密
それは、ジークが第二図書館の護衛を務めてくれた日のことだ。
どこか気だるげなジークの灰色の瞳が、退屈だとアイリスへ訴えかけてくる。
「…………あの、ジーク様。何度も言いますが私に護衛は不用ですよ。こんな令嬢の命を狙う人なんていませんから……」
「これも殿下の命令だからさ〜」
護衛は不用。そうアイリスが何度伝えても、聞き入れてもらえない。どうやらウィルバートが断られても続けるようにと、彼らへ言いつけているらしい。
それにしても真面目なディランならまだしも、どちらかといえば不真面目そうなジークが王族とはいえウィルバートの命には従順に従うのは意外だった。
「アイリス嬢は、魔法の術式ばかり見ていて飽きないの?」
「飽きるはずがありません! 先人達の無駄のない術式は見惚れるほど美しいんですよ!」
「ふぅん。やっぱりアイリス嬢は変わってるね〜。殿下も君のそんなところを気に入ったんだろうけど。ねぇねぇ殿下と初めて会ったときって、どんな感じだったの?」
ジークは小首を傾げ、穏やかで愛想の良い笑みをアイリスに向ける。けれど彼女は思わず、苦笑いを浮かべて視線を逸らしてしまった。
乙女ゲームにおいて、ジークは『社交的で女たらし』という設定がある。その魅惑の微笑みで、数々のご令嬢の心を射止めている。
そして一見軽薄そうに思えるが、実は跡取りである兄との差にコンプレックを抱えており、ヒロインがそんな彼の悩みを癒すことで初めて、本心を口にすることができる。
そんな不器用なギャップがたまらないと、ヒロインたちからの人気も高いキャラクターだった。
大体はゲーム通りの性格だが、時折、観察するような冷徹で鋭い眼差しを投げかけてくる時がある。
まるでアイリスがウィルバートへ危害を加える人間かどうか、警戒し見定めているようだった。
だからこそ彼の魅惑の笑みも素直に喜べず、疲労すら感じてしまう日々。
○
そんな疲労を覚えた放課後から、数日後。アイリスは一人で王都の下町へと足を運んでいた。
華やかな表通りから外れた、平民や商人が行き交う賑やかな雑踏。アイリスの目的は、この界隈の薬草店でしか手に入らない『灯火草』を入手することだった。
灯火草は、一見するとただの枯れた葉っぱだ。しかし、体温で温めながら少量の魔力を流し込めば、青白く幻想的な光を放つのだ。魔法で灯りを灯すよりも省エネで、陽光の届きにくい第二図書館の奥で使いたいと考えていた。
「無事に買えて良かった。試しに一枚……うん、完璧」
店先から離れた路地裏で、一枚の葉を手のひらで挟み魔力を流し込む。すると枯れ葉のようだった表面に筋状の光が走り、淡く美しい光が灯る。
成功に満足したアイリスは、まだ使えるその一枚を、未使用の束と混ざらないよう、ハンカチに挟んでおいた。
(良い買い物ができた。早く寮に戻って色々試したいな)
満足感に包れながら学園へ到着した頃には、既に太陽は完全に沈み夜の帳が下り始めていた。アイリスは寮まで近道をしようと、学園の敷地内にある薄暗い森を突っ切ろうと木々の中を進んでいると――
パキッと、茂みの奥で枯れ木を踏む、誰かの足音が響いた。
「きゃっ!?」
視界の悪さも相まって、アイリスは大きな木の影から現れた人影と、衝突してしまったのだ。
「ご、ごめんなさい! 前をよく見ていなくて――」
咄嗟に謝罪の言葉を口にしながらアイリスが顔を上げると、黒いローブを頭まで被ったその人の、ハラリと揺れるフードの隙間からは、見覚えのあるグレージュの髪に灰色の瞳が覗いている。
「――あれ? アイリス嬢。偶然だね」
黒いローブの正体は、ジークだ。
目の前の彼は、普段と変わらない穏やかな笑みと声色をしている。けれど、アイリスの鼻腔を突いたのは土の香り混じる、錆びついたような鉄の匂い。
アイリスの視線が、自然と彼の首元へと向かう。
ローブの奥に見える仕立ての良い黒いシャツの襟の隙間。その白い首筋に、僅かにこびりついた赤黒い血が月明かりに照らされている。
(血……? それに、この香りは、まるで――)
アイリスが違和感に気づき息を呑んだ瞬間。ジークの灰色の瞳が、温度が完全に消え失せたような冷たい眼差しへと移り変わる。
「…………あぁ、まだ付いてた?」
彼は長い指先で首元の血を無造作に拭った。
「俺のじゃないよ」
黒く染まった微笑を浮かべるジーク。そのあまりに冷酷な気配にアイリスは背筋を凍らせ、一歩、後ずさろうする。
けれど、逃げることは叶わなかった。
「……!?」
ジークの手が、アイリスの細い手首を容赦なく掴んだのだ。
骨が軋むほどの強さではない。けれど、絶対に逃がさないという意志が彼の冷たい掌から伝わってくる。その威圧的な雰囲気は『お調子者の女たらし』という彼の印象を、根本から塗り変えてしまうほどだった。
「あ〜あ、見られちゃったからには、このまま帰してあげるわけにはいかないなぁ」
(これはまさか、殺されちゃうパターン……?)
血の気が引いていくのを感じながら、アイリスは必死に声を絞り出そうとする。
「…………私」
アイリスが恐怖に身を硬くしたその時、ジークは突然、声を上げて笑い出したのだ。
「――あはは! なんてね冗談、冗談。真に受けないでよ〜〜。この血もさっき、この森で悪さをしていた魔獣を始末した時に付いちゃっただけだからさ」
彼はケロッと言ってのけると、掴んでいた手首をすんなり離してくれた。アイリスは恐怖から解放され、安堵の息を漏らした。
(な、なんだ、ただのタチの悪い冗談だったのか……。心臓が止まるかと思った)
アイリスは胸を撫で下ろしながらも、一つだけ、違和感を覚えた。この森で見かける魔獣の血液は、例外なく紫か黒の濁った色をしている。
ジークの首筋に付着していたのは、人間と同じ鮮やかな『赤』だった。もちろん薄暗い場所で見たので、断言はできないが……。
それにアイリスを見下ろすこの目は、弧を描いているけれど、底知れないほどに暗く不審な笑みに思える。
違和感が残るけど、ここで下手に追及すれば今度こそ平穏な学園生活が終わる。けれど、このまま放置するのも寝覚めが悪い。
アイリスは意を決し、ポケットの中からとある二つの物を取り出した。
「……あの、口元の血がまだ完全に拭いきれていないようなので、良ければこのハンカチを使ってください。それから……魔獣の香りもまだ濃いです。私が配合して作った消臭液の試作品ですがコレも使ってみてください。――では、私は失礼します!」
「…………え?」
アイリスは、ハンカチと小瓶に入った消臭液をジークへ強引に押し付けると、振り返ることなく逃げるようにその場から立ち去った。
○
残されたジークは、手渡されたハンカチと消臭液を握りしめたまま呆然と森の中に佇んでいた。
「はは、流石に誤魔化せなかったかな〜……」
誰もいなくなった暗がりのなか、ジークは胡散臭い笑みを完全に消し去った。その表情は、ひどく虚無的だ。
ふと、預かったアイリスのハンカチに目を落とす。綺麗に揃った折れ目から、ハラリと一枚の枯れ葉が地面へと落ちそうになった。
ジークはその葉を空中で掴み上げ小さく呟く。
「これは……灯火草?」




