58話 私が婚約破棄!?
赤い満月から数日後。
ミスティカ魔法魔術学園では、卒業式が催されていた。
あの騒動の後、首謀者であるフィーネと操られていたブランカの事情聴取、そして黒い蝶の影響によって一部が崩壊してしまった校舎の修繕など……この数日間は本当に慌ただしく過ぎ去っていった。
そして晴々とした今日、ついに迎えた卒業式。梢を揺らす穏やかな風が去りゆく者たちの背中を優しく押し、見送る者たちの胸を優しく締め付ける。
三年生であるローズ、ジーク、ディラン、そしてルイスがこの学び舎を卒業していく。
けれどディランは卒業後もウィルバートの護衛として学園に出入りする予定らしい。
ローズは国の母になるべく本格的に王宮での教育を受けることになるが、息抜きとして休日にクロエも含めお茶会を開く約束をしている。
ジークは友人だからまたいつでも会えるだろうし、彼ならフラリとアイリスの前に現れそう。
微笑みを零しながら、アイリスは彼らとの思い出が詰まった第二図書館の机を愛おしそうにそっと撫でる。
(けど、ルイス様は……)
騒動のあと、学園側の事後処理やフィーネの実家であるノースクリフ侯爵家との重苦しい話し合いの場に追われ、ルイスは連日、息をつく暇もないほど忙しそうにしていた。
結局、あの激動の夜から今日に至るまで、彼とは一言も言葉を交わすことができないまま、卒業式の当日を迎えてしまったのだ。
(きっとこのまま、ルイス様とは会えなくなってしまう……)
公爵家の嫡男であり宮廷魔法使いとしての未来を約束されている彼と、片田舎のモブ令嬢である自分の未来が再び交わることなど、もう二度とこないのだろう。
物語の結末で二人の心が重なり合い、幸福な光に満たされるハッピーエンドなど、舞台の片隅に佇むだけのモブ令嬢に訪れるはずもないのだ。
アイリスは蕾のまま呆気なく終わりを迎えてしまった初恋の痛みに、そっと胸を押さえた。
けれど切なく疼く胸の奥には、確かな温かさもあった。彼が過酷な運命に打ち勝ち、こうして同じ世界のどこかで息をして、生きてくれている。
ただそれだけの事実が、今のアイリスにとっては十分すぎるほどの救いだった。
(どうか、彼の歩む未来が、温かな幸福で満たされますように……)
アイリスが心の中で静かに祈りを捧げた、その瞬間。静まり返った第二図書館の館内に、落ち着いた規則正しい足音が響き渡る。
「――あぁ、やはりここにいましたか」
困ったように眉を下げ上品な微笑みを浮かべて現れたのは、卒業の証である白い花のコサージュを胸元に添えたルイスだ。
「…………る、ルイス様!? どうしてここに……?」
驚きのあまり、アイリスは声を裏返らせてしまった。
卒業式が閉式した後、ルイスやジークたちは彼らの卒業を惜しむ在校生や、最後に一目だけでもと淡い慕情を伝えようとする令嬢たちによって、身動きが取れないほどに取り囲まれていたはずだ。
アイリスも祝福を伝えたかったが、あの熱気の渦に飛び込む勇気など到底なく、せめてほとぼりが冷めるまでは第二図書館で本でも読みながら待っていようと、ここに逃げ込んできたのだった。
「どうしてって……アイリス嬢を探しに来ました。貴女に大事な話があるので」
「大事なお話ですか……?」
ルイスはアイリスの前で立ち止まると、一通の手紙を彼女へ差し出した。
「え……これ、私宛の……実家からの手紙ですよね? どうしてルイス様が持っていらっしゃるのですか?」
「私にも関係のある内容でしたので、しばらく私の手元で預からせていただきました。もちろん貴女のご両親からは事前に許可を得ていますし、手紙の中身までは見ていませんのでご安心ください」
名家の公爵家と田舎の伯爵家に、一体どんな関係があるというのだろう。アイリスは少しだけ疑わしげな視線をルイスに向ける。
「どうぞ、中をご確認ください」
アイリスは戸惑いを隠せないまま、ルイスに促され手紙の封を丁寧に切り開いた。中には二枚の便箋が入っており、まずは一枚目を広げ読み進めていく。
そこには『バルト家との婚約を破棄した』という衝撃的な事実が両親の筆跡で書き綴られていたのだ。
「婚約、破棄……?」
震える指先で便箋を握りしめ、縋るようにルイスを見上げる。
「ど、ど、どうしましょう……私、婚約破棄をされてしまいました……」
「破棄、というよりは双方合意の上での解消ですね。バルト家は禁忌の魔法石の採掘をはじめ諸々の余罪が見つかりましたので、話し合いをさせていただき、貴女との婚約を解消していただきました」
動揺するアイリスをよそに、ルイスは実に淡々と言葉を並べた。しかもアイリスの知らないところで、話し合いの場まで設けられていたという。
「いつの間に、そんな話し合いを……!?」
「プロムのすぐ後です。バルト家を調査し始めたのは、もう少し前ですけど。そんなことより、アイリス嬢のご両親は貴女が学園で無茶ばかりしていないかと、ご心配されていましたよ? 幼い頃は隠れて荷台に乗り込んだりと……かなりやんちゃなご令嬢だったようですから」
そんなにも前の段階からルイスがバルト家を探っていたこと。そして自分の知らないところでアイリスの両親とルイスが秘密裏に繋がっていただけでなく、幼少期の荷馬車の件まで彼に知られているという事実に、アイリスは顔を真っ赤に染め上げてしまう。
「に、荷台の件は忘れてください! というか、そんなにも前から決まっていたのに、どうして当事者である私の耳に一切届かなかったのですか……!?」
自分を完全に置き去りにして話が進められていたことに、アイリスは赤面したまま抗議の声を上げた。
「フィーネ嬢とバルト家の繋がりと悪事の証拠を押えるため、情報を伏せていたのですよ。それに婚約解消の件は貴女の気持ちをきちんと伺ったうえで、話を進めたかったものですから。……と、言っても最終的には、強引に進める予定ではありましたが」
ルイスは上品に微笑みながら、混乱するアイリスを愉快そうに見つめている。
(とりあえず、なんとなく理解はできた……けど)
フィーネやバルト家の悪事の決定的な証拠を得る為に、敢えて情報を伏せフィーネを泳がせていたのだろう。けれど一つ、疑問が残る。アイリスとバルト伯爵との婚約解消の件だ。
彼は「貴女の気持ちをきちんと伺ったうえで」と言うけれど、アイリスは一度もバルト家との婚約を破棄したいなどと言った覚えはない。
とはいえ、バルト家は法を犯しているので、このまま婚約を維持し続けるということは、我がメルヴィル家の信用を落としてしまうことにもなる。だからこそ婚約解消の話し合いの場が必要だったのはわかる。
わかるけど、他家の婚約解消にわざわざルイスが関わる理由がわからない。
「バルト家の調査にはジークも協力してくれましたので、後で褒めてやってください。今は外で大人しく待っていますから」
「ジーク様まで関わっているのですか!? それにどうしてわざわざ外に……中へ呼んでも――」
ジークも事情を知っているのなら、この場にいても何の問題もないはずだ。
「ダメですよ。私は貴女に『大事な話』があると言ったでしょう?」
扉の方へ足を進めようとするアイリスだったが、ルイスに優しく腕を引かれ、元の位置へと引き戻されてしまう。彼の涼やかな視線が、アイリスの手元に残された便箋へと静かに下ろされる。
そういえば手紙はもう一枚ある。




